レゾンデートル急募
「死は禁止されていますよ」
病院で床に臥せっている人に、ぼくは申し訳ないと思いながら告げる。白いベッド、白い貫頭衣、白いカーテン、どこまでも白い部屋の中で、僕だけがかっちりキッチリの黒色だ。
患者は男で、白色の髪に蒼白な顔をしていた。ぼくは手元のボードを見る。そこに表示されている生年月日からして、まだ200歳にもなっていない若者だということを認める。最近の人たちは、どうしてこうも死にたがるのだろう。やっぱりゲームのやりすぎだろうか?
「エマさん、どうして死のうとするんですか」
「わたしはもう長く生きすぎだと思うんです」
「そんなことはないですよ。まだまだこれからです」
「監視員さんは今おいくつなんですか」
「そうですねえ、ざっと千は超えます。正式な数はちょっと覚えてないですが」
「随分長生きなんですね」
「あなたも、長く生きなくてはならないんですよ」
ぼくが諭すようにいうと、患者は薄く笑った。諦めと嘲りとが混じった艶やかな笑みは、初めて見るものだった。
「わたしが死ぬと迷惑がかかるからですか?」
「まあ、それもひとつ理由としてありますね。あなたと関与した人々があなたが生き、そして稼ぐはずだった生涯賃金ぶんの納税を課せられることになります。友人や三親等どころか、道ですれ違っただけの知人まで」
「そんなに……」
「人間は資源ですからね。失った分はどこかで取り戻されなくてはいけない。悲しいことですが、それが現実なんです」
ぼくはなるべく鎮痛に見えるような面持ちを心がけた。こういう物言いをすると、多くの人は反感を買って「絶対に死んでやる」という意気込みを新たにしてしまう。ぼくはこの、死に向かう人を引き止める、という仕事が一番苦手だった。事業部の中で成績はいつだってドベだ。
それでも死にたいとは思わない。死ぬことは逃避にならない。ぼくたちは死ねばいく先は明確だ。そこに名前はつけられていない。ただぼくたちの住む隣の世界であるということだけははっきりしている。科学のないその世界では、人々は100歳まで生きられず、汗水垂らして労働し、自分の腹を痛めて子供を産み、重税に喘いで、貧困に怯えている。
輪廻転生、というのはこの世界には存在しない。たましい、なる無形のものはない。だが僕たちが死んだ先の場所を知っているのは、隣の世界が観測されてすぐに真実が明らかになったせいだ。ぼくたちの世界と隣の世界のあいだには、ぼくたちの次の器になるための容器が準備されていて、ぼくたちは死ぬとその容器の中に飛び込む、らしい。そして隣の世界に射出され、ぽん、と母体から生まれる。向こうからはぼくたちの世界は見えない。一方的なものだ。だから僕たちの世界の研究者は、この世界の上には僕たちの世界へ生まれ変わってくる人々が住む場所があるのだと信じている。大真面目な研究課題にさえなっているのだ。だからこそ、ぼくらは研究のためにたくさんの利潤が必要だ。なんて言ったって、研究者が一つの大陸を埋めるくらいにいてもまだ足りないわけだから。彼らを食っていかせるために、研究者以外のひとびとはとにかく労働、労働、また労働になる。
それを不幸だとは思わない。自分の食うもののために生きる方が、ぼくにとってしてみればよっぽど難しい。人間は自分のためならなんでもできるけれど、自分のためには何にもできないことだってある。面倒だから料理はしたくないけれど、お金を得るために人を襲う、なんてことが成り立ってしまう。ガバガバの倫理観は残念ながら否定されないほどぼくたちに根付いている。
患者はぼくの考えを読み取ったかのように、こくりと頷いた。あなたもこの世界には辟易してるでしょう、その目が語っていた。ぼくは肩をすくめて見せる。否定も肯定も難しいよ、と言外に言う。
「どうすれば死ねますか」
「そればっかりだね。でも残念、君にはあと一千年は生きてもらう」
「じゃあ、あなたが生きる意味になってください」
唐突な豪速球に、ぼくは当然返事ができない。患者の目がくりくりとぼくを見ていた。困らせたいという色はなく、ただただ、それが適切だと心の底から思い込んでいるとわかるような目だった。
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