グレートレインフォール

今日から四十年ずっと雨が降るんでよろしく。そう言われたとき、ぼくは当然ノアの箱舟のことを思い出していた。ノアは結局四十日の雨を動物のつがいたちと生き延びたわけで、たった四十日でもおおごとだったっていうのに。だいたい三百五十倍くらいの長きにわたって雨が振ったら地表はどうなってしまうんだ。

結論から言ってしまうけれど、どうにもならない。

なぜなら雨を降らせまくったところで、地球上にある水分子の数が変わったりはしない。地球全域を覆うだけの雨雲なんて薄っぺらくて大した雨量になりはしないから、しとしとぴちゃんが延々続く、鬱陶しい曇り空を眺めることになる。時には景気良くざあざあぶりになることもなくはないけれど、それはだいぶ希だ。

電話の向こうでは、地下にこもったレトが地表の様子を訪ねたくてしかたなさそうにしている。切り出すのを待っていたら日が暮れてしまうので、ぼくは自分から話してあげることにした。なにせ、レトが自分から連絡してくるなんて地表の様子を聞く時くらいであるからして。ぼくは変な期待を持たないし、レトも変に期待させない。どちらもそんな器量がない。

「地上だけどね、変わりなし。今日も雨だし、雨は地面に一滴もついてないね」

「い、いってき、一滴も……?」

「一滴も」

「そう……そっか……一滴もついてないんだ……」

「ただ発光は随分マシになったよ、サングラスかけなくてもよくなった。ぼくの目が慣れたんじゃなかったらレトのおかげだね」

「そ、そ、そう?えへへ」

あれもこれもそれも、全部地球温暖化ってやつの仕業だ。とはいっても、二酸化炭素やメタンガスとは関係がない。そもそも、温暖化は人類の叡智を結集して成し遂げた一大プロジェクトでもあった。

知っているかどうかわからないけれど、ぼくたちが生きている時代は間氷期と呼ばれる。第四次だが第五次だかは忘れた。地球の繰り返すサイクルのうち、氷に覆われていない時期というのがここに該当する。そう、つまり、地球はいつか氷に覆われることになる。これはわかりきっていたことだ。だから人類は地球を温暖化させなくてはならなかった。どうしても氷の星になることを回避しなくてはいけなかった。

試行錯誤の結果、温暖化は回避された。温室効果ガスや、太陽光の収集システムやら、使えるものはなんでも使って地球を温めた。結果として、暖かくなりすぎた。バランスって難しい。誰もがそう思いながら死んでいった。そこかしこからマグマが吹き出す土地に住める人間っていうのは数が限られていた、温まりすぎてドロドロに溶けて発光する地表を眺めた人類は、この星から一旦離れることにした。雨をふらせに降らせまくって、溶岩が固まるのを待つことにした。それは奇遇にも恐竜が滅びた時の状況と酷似していた。恐竜が生息したとされる白亜紀を終わらせたのは地表を真っ赤にするほどの隕石の嵐だったという話だ。ぼくたちの時代に隕石は降らなかったけれど、自分たちで自分たちの住処をめちゃくちゃにして滅ぼしてしまった。こんなのと比較される恐竜はかわいそうだ。

レトは地球に残った。雨を降らせまくる機械のメンテナンスを押し付けられたからだ。ぼくは地球に残った。機械が正常に動作しているか監視する役割を授かったからだ。四十年、ぼくとレトは毎日宇宙のどこかにいる人類に向けて今地球がどんな風になっているのかを発信する役目を授かっている。地球のそこかしこにぼくたちみたいな連中がいて、嘘をついていないかどうかを確認する徹底ぶり。たしかに、こんなせまっくるしいところに閉じ込められていたらまともな精神ではいられない。危惧したやつは頭がいいな、と思った、

「レト、そっちはどう?」

「だい、だい、大丈夫。機械の、具合は、ばっちり。そ、そっちは?」

「まあまあだね。悪くないよ。明日は少し雨がこぶりになりそうだ」

「そ、そそ、そっか。それは残念」

晴れ間が見えるということは、雨を降らせた意味がなくなってしまうということで、ぼくたちは一生懸命に太陽がこちらにあたらないように雲を動かし続ける。塗りムラがないように、塗りムラがないように、そうやって雲を伸ばしているところを想像すると、なんていうか左官の仕事みたいだな、と思った。くつくつ笑うぼくを、レトが何にも知らないまま「たの、たの、楽しそうだね」と評した。

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