サンドバッグに名前をつけて

感情を可視化するために独房に閉じ込められている。あたかも不本意であるように表現してしまったけれど、一応の納得はしている。だけどそれは仕方なくであって、できるなら避けたいのは当たり前で、そう考えるならやっぱり不本意で間違いない。

こうやって平常時の自分の状態を計測することで、感情は可視化される。エンドルフィンやらドーパミンやらアドレナリンやら、そのほか諸々の脳内諸分泌と電気信号。それらがぼくという人間と思考と意思と、いわゆる魂と呼ばれるものを司る。それを計測してはじめて感情は可視化される。感情というのは平常からどれだけ乖離しているか、ということにほかならない。

とはいったって、膝を抱えて座るのでいっぱいいっぱいの小部屋で何十時間も一人でいるというのはちょっとした拷問だ。こういうのを自由刑と言った時代もあるのだからやっぱりこれは罰に違いない。

「そろそろ落ち着いたかな」

「あ、ムツキさん」

「うん、だいぶマシになったね。これでやっと調査が始められるよ」

扉が急に開いたかと思うとほとんどなんの準備もなしに飛び出してきたムツキさんが、ぐいっとぼくの手を取って立たせる。二本の足を使うのも随分と久しぶりな気がしてふらついた。勢いのままムツキさんにぶつかってしまう。ムツキさんはおっと、すまんね、と老獪な笑みを浮かべた。煮込んだ木材みたいなしぶい匂いがした。

「悪いけど、上着を取るからね。機器をつけるために服を剥ぐけど私は肉に興味がないから心配はしないでくれ」

「いや、まあ、ムツキさんに限っては別の心配ならありますけど……」

お茶目なウィンクに、ぼくはどっと疲れが吹き出したのを感じた。

ムツキさんは研究と調査と観察のために存在する。ぼくという個人に興味を持つことはない。それを知っていても、ぼくは服の上から弄ってくる大人の指先にどうしてもどぎまぎを隠せなかった。一周回って虚しさが脳裏にちらちらとかすめる。

「ははは、それは心にしまって置いてくれ。私たちはこれからもまだ仲良くやっていかないとなんだからな」

「そうですね」

「よし、ひやっとするぞ」

「はい」

百八つをゆうに超えるくらいのセンサーがぼくの胸と頭と手のひらを中心に取り付けられる。感情というのは頭だけで感じるものではないから当たり前だけれど、今のぼくはさながら皮膚病患者とばかりの斑点模様だ。あまりに見たくない姿である。

これからぼくがするのは平常時のホルモン分泌ならびに各感情が高揚した時の種々の感情だ。

そう、数値化するためには、どこが上限かをまず明確にしなければならない。どの物質の分泌が多いです、だけでは個人差が埋まらない。だからこそ、ぼくのデータはぼく自身が規定する。百パーセントの悲しみを、百パーセントの喜びを、百パーセントの怒りを、機器にインプットしなくてはならない。

ムツキさんはそういう感情を誘発するための人材だ。単にテスター、と呼ばれる。人間じゃなくて本当はアンドロイドなのだ、という噂もあるくらいだ。なにせ、人間に常に怒られ泣かれ笑われるのが仕事なわけだから常人であれば三日で神経をやられかねない。けれどムツキさんはこのセンターの中で少なく見積もっても五年以上今の職でたち続けている。そう考えると、やはりムツキさんは人間ではないのかもしれないと疑ってしまう。

「じゃあ、始めますからね」

今や牢獄は満員御礼。そりゃあ一人で狭かったのだから二人になったらなお狭いのは当たり前だ。ムツキさんの体の表面の大半が触れていた。アンドロイドとは思えないような柔らかさと熱がそこにはあった。このすべすべした体で、これまで何千人の恨みつらみ笑顔を受け止めてきたのかと思うと、不思議だった。

「虚しくないんですか、この仕事」

「まあよく聞かれるけどさ、私は好きだよ。向いてるとおもう」

「どうして……」

「自分がどこまでも他人を人間として見られないってことがものすごくよく理解できるからさ」

なるほど、彼女が人間であるにせよないにせよ、あまり人の心を持ってないのは変わらないらしい。

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