天使の降る夜
空から天使が降ってくる。天使というのは焼夷弾に始まる、地上を焼き尽くすための爆弾や毒やそういう殺戮兵器の別名だ。死ぬの時のためにかける保険の名前を死亡保険ではなく生命保険と呼んだり、人類はそういうレトリックがうますぎる。
ぼくはハッチをそろそろと閉めて中に戻った。シェルターの中では不安そうな瞳を揺らしてニーカがぼくを見ている。肩をすくめて見せた。「だめそう」
「そっか……今日は静かだからもう大丈夫だと思ったんだけどな」
「ちょうど落ちてくるところだったからね。少し前まではマシだったのかも。多分これからまた眠れないくらいうるさくなるよ。今のうちに眠っておこう……」
「もう寝すぎて難しいよ」
その通りだ。時計もない、陽の光なんてさすわけがない空間では時間というものはひどく曖昧とはいえ、ぼくたちは暇さえあれば眠っている。時間を早回しするためにはそれが一番だからだ。シェルターには山ほどの本とゲームと動画再生機器と諸々を持ち込んでいるけれど、いざ時間ができてみるとさっぱり手につかない。やはりああいうものは普段制限されているからこそ面白いということだろう。
「外に出たいねえ」
「ワーチャは結局帰ってこなかったけれどね」
ずっと前に、こんなところで閉じ込められているなんてもうごめんだと言って飛び出していった先輩のことを脳裏に浮かべる。どこかで安全に保護されていればいいとは思うけれど、現実的に考えて多分ワーチャの命の灯火はとっくのとうに消えている。通信機器は断絶されているせいで、外でどれだけの人々が生きていてどれだけ死んでいるのか、ぼくたちは知らなかった。
「戦争ならよかったのに」
ニーカが冷たい床を睨みつけて、自分の足の小指を引っ張りながら唇を尖らせる。子供みたいなことをしないの、と言いながらぼくはその指先を握った。陶器みたいな手だ。多分むこうはぼくの手を暑すぎると思っているだろう。
「そんなことないんじゃないの」
「かもね。戦争だったら探し出されて、ぱっと殺されて今頃空の上だったかも」
「そうだよ。ぼくたちまだ生きてるんだし、あんまり暗いこと言わないでよ」
「でもさ、こうやって無気力に待つだけって辛いよ。これが終わったって、地球が住める環境でいるとはあまり期待できないし」
「事故なんだから仕方ないさ。誰も責められないよ」
「まあ責めたくてもとっくに死んでるものねえ」
こんな風に地上が火の海になったのは、某国でひどいドミノだおしが起きた結果だという。地上で活動中だった自国兵士を、一部士官が何を錯乱したかエイリアンと見間違え上に攻撃行動を上申し、さらに上はもっとパニックを引き起こして国民に戦争を宣言し、国民は……という風に連鎖反応がとめどなく拡散していった結果、地上をまるまる十回焼ける究極のオーブンが起動してしまったというわけ。戦争にほとんど有人機が使われなくなっていたことも、この悲劇の原因の一つである。とはいえ、全てが人工知能で動いているわけでもあるまい。いまだに地上を焼き続けるドローンが飛び回っていることを鑑みれば、案外この天使たちの親玉は地上のどこかで一心不乱にボタンを押しまくったりレバーをガチャガチャやったりしているのかも知れなかった。
手違いで世界を滅ぼしてしまった人。
勘違いで地球を焼き尽くしてしまった人。
それがこの世のどこかにはいて、今日もまた爆撃機を出発させている。その誰かさんが死ぬまで、ぼくたちはシェルターの中で眠り続ける。これは根気比べなのだろう。
ああ、それなら多分ぼくは負けてしまうかもしれないなあ。と思った。
だって、世界を滅ぼすのって、見える限りを焼き尽くすのって、きっと限りなく楽しいに違いないから。いつまでたっても飽きないに決まってるから。ぼくはまぶたの裏にぱちぱち光る天使の姿を投影しながら、ニーカに「ちょっと眠ろうよ」と昼寝を持ちかけた。いい夢が見られる気がした。
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