ミリガンもビリビリ
ぼくは三重人格で、アルタは五重人格だ。
世間一般の人格数の平均は四強だそうなので、ぼくは平均より若干少なく、アルタは平均よりわずかに多い。とは言っても一人でバカみたいな数の人格を保有している人もいるわけで、そういう人が平均値をグッと引き上げていることを考えると、ぼくはほとんど平均値だ。アルタは普通のひとよりもたくさんの人格を使い分けている。
「そんなに人格あってどうすんの?」
「便利だよ、カートリッジ式なのはちょっと前時代的で辟易するけどね」
言いながら、アルタは手元のカートリッジホルダーをパカっと開いてみせた。名刺入れサイズのそれには小指の爪ほどのサイズの精密半導体機器が几帳面に並んでいる。
「これが家族用、これが友人用、これが仕事用で、これが恋人用用」
「後もう一個は?」
「プライベート用」
「なにそれ」
人間は自分の何もかもを外注に出すことに余念がない。それは食事や掃除や洗濯が専門職に委託されることが当たり前になると、より顕著になった。何せ外注するということはそこに市場が生まれると言うことだ。資本主義は貪欲で、満腹というものを知らない。怪物の飢えの果てに、人格はまんまと解体されて人間から引き剥がされ商品になった。
「便利だよ、何かと。だって恋人でも友人でも同僚でもない人と喋る時ってあるじゃない」
「あるかなあ……」
「社会不適合者は黙ってて」
「別に不適合者ではないよ、孤独主義者なだけ」
「孤独主義者のカートリッジも見せてよ」
「持ち歩いてないよ」
「ゲッ、それ困らないの?」
「困ってないよ。困ってまで持ち歩かない理由もないでしょうに……」
「盗難予防とか」
「盗んでどうすんのこんなの。インストールされたらユーザー認証されてその人以外使えないんでしょ?」
「でもほら、その人格がどうしても好きになれなくて、同僚とか知人のカートリッジを破壊した、みたいな事件聞いたことあるよ」
「怖……」
ぼくは手元のグラスを弄びながら呟いた。人間はいつまでも人間とつるみたがる。なのに人間はどうしたって人間といると傷つき、傷つけてしまう。人格というものに完璧や完全は存在しない。相性だけがそこにはあって、相性が悪い人格というのは必ず存在する。だから職場によってはあらかじめインストールする人格を指定したり、あるいは金のあるところなら専用カートリッジを配布したりするらしい。それでもベースの人格というものに左右されるし、何より人格というのは育つ。摩耗する、と言っても構わない。例えば誰に対しても優しく怒らない人格をインストールしても、あまりにも粗悪な環境に置かれ続ければいつかその人格は擦り切れてしまう。そこから怒りっぽい人格になるか鬱々と塞ぎ込む人格になるかは運と素質次第だが、そうなって仕舞えばその人格はお払い箱だ。新しく買い直す他ない。
「ね、ベガはどうなの」
「なにが?」
「人格だよ。何入れてるの」
「普通に……家族用、社用……」
「後もう一つは?」
「勝ったは良いけど、使ったことない」
「なにそれ?なんのために買ったんだよ」
アルタは怪訝そうに眉を顰めながらグラスに口をつける。ぼくもそれに合わせて唇を酒で湿らせた。ハイボールの味はいつまで経っても慣れない。食べ物の味ではないような気がして反射で吐き出したくなってしまう。アルタは平気でごくごく飲むので美味しそうに見えてつい注文してしまうが、いまのところ後悔以外したことがない。
「ポツンと売れ残っててさ。なんか惹かれて買っちゃったんだよね」
「ベガはそういうところあるよね。無意味に情け深いというか」
「無意味ってなんだよ」
「で、どんな人格?優秀型?柔和型?」
あきらかに好奇心に満ちた目がこちらを射抜く。居心地が悪くて目を逸らした。
「大審問官型」
「はぁ?」
「カラマーゾフの兄弟ってあるじゃん、ロシアの長い小説」
「ロシアの小説に短いのなんてないよ」
「そこに出てくるんだって。調べたら出てきたけど小難しくて分かんなかった」
「ふうん……」
そんな人格聞いたことないけどなあ、とアルタは呟く。ぼくは家にある真っ黒なカートリッジのことを思い出した。そのカートリッジの売り文句を思い出す。
ーー世界のために、世界を地獄にする覚悟はありますか。
あまりにも主語の大きい問いかけを、鼻で笑うことは簡単なのに、ぼくにはとても難しかった。アルタはポチポチと手元のデバイスをいじって検索しているようだったが答えは出ないらしい。
どうしたもんかな、と思いながらぼくはグラスを傾ける。木と花の香りがする炭酸が喉を滑っていき、うげ、と顔を顰めた。
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