正しい農民の作法

人間は老いることを辞めた。ということになっている。表向きは。

「でも実際は畑から採れるようになっただけさ〜」

「思ってても口にしない」

「否定しないってことは君もそう思ってるってことだね〜」

イエンはへらへらとぼくに笑いかけてホースの口をすぼめた。しゃあしゃあと水の軽やかな音が耳に涼やかだが、残念ながら周囲の光景はあまり爽快とはいえそうにない。

人間は畑で採れるようになった。

イエンの比喩はかなり悪意が篭っているようだけれど、そも畑という呼称自体は公式のものだ。少なくとも僕たち社団の構成員にとっては。なにせ、人間の入った体がふわふわのコットンに包まれて縦置きされている状態は、地面に埋まった大根とか人参の格好によく似ている。縦置きすることで褥瘡の発生を防ぐとか、いざという時に足腰が使えるようにしておくだとか、色々理由があるらしいけれど。そんなこと知ったこっちゃないぼくらに取ってみればその光景は純粋に畑とたとえたくなってしまうものなのだ。

どうして畑に人が植わっているかというと、と説明を始めたいが。植わっているのは人じゃない。クローン体。いわゆる魂というやつが入っていない、とでもいえばいいのだろうか。脳は血流こそ巡っているが一切の電気信号を発していない、自発呼吸もできない、本来であればすぐにぽんと死んでおしまいの体だ。これにうまいこと生きている人間の脳波をインプットしてやると、あら不思議、過去の記憶もそのままに生きた人間として目がさめるというわけ。人間ってふっかつのじゅもん方式だったというわけ。まあもちろん、書き込まなきゃいけない文字数は二十じゃきかない。それこそ天文学的な数値ではあるのだけれど、仕組みが一緒というのはちょっと笑ってしまう。ぼくたちの記憶はランダムな文字の並びに還元されてしまうものだし、記憶どころか宗教・政治・果てには性的嗜好までがそう。そうして考えると、長い間信奉されてきた人間性、ヒューマニティの神性って今どこにあるのだろうと不思議になってしまう。

神さまがすべからく隙間に押し込められてしまったのと同じように、人間性もまた端の端まで追いやられてしまった。

「ぼうっとしない〜」

「……いいじゃないか。暇なんだからさ」

「いつもそういうの注意する側がさ〜そういうこと言うと、ずるいなあって思う。うちだけ?」

「かもね。そうじゃないかも。どっちもかな」

「ぱっとしない答えはやめて〜」

「わっ、水かかった。ひどい、着替えないとなんだけど」

イエンの手に握られたホースから飛び出した水がぼくのつなぎを濡らす。反射神経など持ち合わせていないので全面ぐっしょりになったところで、イエンが「あ」と間抜けな声をあげた。

「そこらへんの〜そろそろ収穫のやつ〜。ぬらしちゃだめだよ〜」

「ああ、そうなの」

イエンが撒いているのは肌のための栄養剤みたいなものだ。年がら年中布団の中に植わっている連中は、太陽の光を浴びられないせいで皮膚がとことん弱くなりがちなので、薬剤を散布して表面を防護して病原菌を弾く。うん、ほとんど農薬だ。出荷前には流石に、農薬を浴びせかけるのは打ち止めになる。薬が切れたころを見計らって収穫され、綺麗に整えられたらお客様のお手元へ。とはいえ、お客様は自分の体が入れ替わったことには気がつかない。あくまでも眠っている間に「若返りの薬」を投与されたと思っているのだからおめでたいものだ。

古い体はこの土の下で堆肥に混ぜ込んであるという嘘かほんとかわからない噂がある。ぼくは笑う。引き継ぎされたとして、元の体から魂が抜けるわけではない。だが、同じ人間が同じ場所に二人いては困ってしまう。では、古い方はどうするのか?簡単すぎて推理もいらないなぞなぞだ。そして、誰かが答えればぼくたち社団は終わってしまう。だからぼくたちはアホのふりをして、毎日畑なんぞを耕して何もなかった風な口をきく。農民なんていつの時代もそうだろう?

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