世界の中心が紅茶だったころ
世の人々は争いたくて争いたくてたまらないらしい。かくしてこの世では紅茶バトルが大流行りしていた。街行く人々の腕にはバトル用のティーバンドなるガジェットがつけられ、あらゆるものが英国かぶれとなり、どこを歩いても紅茶の香りが漂ってくる。
紅茶の香りといえば聞こえこそいいが、結局はバトルのにおいだ。そこには勝者があって敗者がある。優越があり恥辱がある。人生がバトルで左右されるともなれば、子供達は幼いころから専門の塾やら学校やらに通って紅茶バトルに一心不乱に取り組んでいる。
「いつのまにこんな世界になっていたんだろうね」
「どうしたの。今までと何も変わらないように見えるけど」
「何も変わらないからこそ、我に帰って見ると恐ろしいね。鉄の塊が豪速で街じゅうを走り回るのも、人々が一箇所に集まって液晶に首ったけなのも、きっとよくよく考えたら正気じゃないんだろう」
「悟ったみたいなこと言って、そんな風だとすぐおじいちゃんになっちゃうからね」
「おじいちゃんになれるのかなあ」
「将来のこと考えるならレンもちゃんと紅茶バトルの勉強しなさいよ」
「はいはい」
ダージリンはぼくの頭に羽のように軽いチョップをすると、ひらひらとスカートをひらめかせながら通学路の先を行く。ただお隣どおしのぼくとダージリンは一緒に学校に行くほど仲がいいわけでもなければ、顔を見ただけで喧嘩するほど仲が悪いわけでもない。顔を合わせれば挨拶と軽い世間話くらいはする。込み入った長話はしない。ミドルティーンにしては理想的なご近所づきあいだ。
去って行くダージリンの背中を眺めながら、ぼくはなんとなくの違和感を拭えないでいる。紅茶バトル、ぼくの世界にとって当たり前に存在し、当たり前にこの世で一番人気があり、当たり前に世界を動かすもの。
それさえなければ、とぼくは思っている。だっておかしいじゃないか。受験にも紅茶、就職にも紅茶、車を買うにも家を買うにも、果ては墓に入るのも紅茶バトルがつきものだ。人生に寄り添っているというより蔓延っている。
それは卑屈な考えだ、とぼくの中の仮想の誰かが言う。ぼくには紅茶バトルの才能が微塵もないからそう思うのかもしれない。致命的に紅茶のことが理解できないし、バトルのセンスもありはしない。
とぼとぼと歩いていると、公園のベンチでぼくと同じくらいの年の子が本を開いていた。びっくりするくらい綺麗な子だ。こういう子は紅茶バトルもうまいにきまっている、と先入観で濁った目で彼女を写したのに、驚いた。彼女ときたらティーバンドを巻いていない。
他人事だというのにぼくは落ち着かない気持ちになった。下着をつけていないと知ってしまったような、あるいはズボンのチャックが開いていることに気がついてしまったような、そういういたたまれなさだった。
ぼくは意を決してその子に近づいて、「あの、バンド……されてませんけど」と声をかけた。これで一安心だ、きっと慌てて家に取りに戻るだろう、と思っていたのに、本からゆうっくりと顔をあげたその子は「うん」とだけ答えて、またゆうっくりと本に視線を戻してしまった。
え、それだけ?
ほんとうに?
「待って、バンドがないんだよ。君、紅茶バトルを仕掛けられたら不戦敗ってことだよ!身ぐるみ剥がされても文句いえないよ、何考えてるんだ!」
「……うん」
「うんじゃなくて!」
変な子だ。ぼくはその子の手の中にある本を覗き込んだ。量子力学……なんの本だ?知らない学問だ。そんな学問がこの世に存在しただろうか?とはいえ紅茶学以外の学問なんて廃れて久しい。国語、英語くらいは、とやらせる学校もあるらしいが、そういうところは白い目で見られる。紅茶に本気じゃない、って世間の目は厳しい。
「バンドしないと、だめだよ」
「どうして?」
「どうしてって……社会的じゃないだろ」
「ボク……紅茶嫌いなんだよね」
そう言いながら、変人はぺらりと見たことのない学問の本のページを繰った。ぼくは世界がひっくり返る予感がした。
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