明日からは兵器の顔をして

ディタはこの世の全てが自分のためにあると思っているし、この世の全ては自分のせいだと思っている。秒単位で人が生まれて、コンマ秒単位で人が死んでいくのも全て自分のせいなのだと。

もちろんそれはディタの壮大な勘違いにすぎない。ディタがそう思ってしまった理由はその想像を絶する美しさのせいだ。楊貴妃が膝をついてクレオパトラが伏し、挙げ句の果てに黄金比が道を譲る絶対的な美貌がディタには生まれながらに備わっていた。

立って座って歩くだけで名前も知らない人の人生が壊れていくのを万単位で見せられると、脳というのは単純に物事を繋げてしまうらしい。ディタは自分に世界を滅ぼす力があると本気で思い込んでいる。

だから研究機関に自分の身を売り渡してしまった。

もう決まり切ったことだ。今まさに迎えを待っている。機関の人々がモノカーで直々に家の前まできてくれるらしい。

「本当に行ってしまうの」

手を伸ばすと紙袋に触れた。あまりにも周囲の人間を破壊してしまうので、ディタは覆面か紙袋を常時かぶっている。よりにもよって研究機関に行ってしまう日に紙袋を選ぶのはディタらしかった。顔を隠せるならどんなものでもいいのだろう。相手に対する礼儀とかそういうものを学ぶこともできずにここまできてしまった。まともに会話のできる人が周囲に少なすぎたからこんな歪な感性になったのだろう。幼馴染のぼくにも十二分の責任があると思うと非常に心苦しい。

「研究所のやつらは俺にも、いや俺だからこそ役に立つことがあるっつった。だから行くぜ」

ディタの言葉は荒っぽい。せめて研究所に行く前に敬語を一通りとまではいかないまでもそのチンピラのような口調はやめさせればよかった。残念ながら今の所ディタにとって一番の教師は少年活劇漫画である。その主人公の言葉遣い丸写しだ。ぼくが読み聞かせをねだったせいかもしれない。これもまたぼくのせいか。

「この目がまた開くといいな。オメェの描く絵が俺はいっとう好きだったんだぜ」

「……うん。ぼくも手術頑張るよ。手配してくれてありがとう、ディタ」

「礼なんかいうな。ダチだろ、俺ら」

ぼくは幼いころに両目の視力を失っている。だからこそ、今もディタの横に平然と立っていられる、ということになっている。目が見えなくなったのはまだ学校にも入らないころだ。光がどんなものだったかさえ、記憶は朧げだ。

遠くからわざとらしいエンジン音が響いてきた。エンジンそのものはとっくの昔に音なんてしないようになっているから、追突事故防止用の合成音声だ。

「ディタ、君の顔はいったいどんな研究に使われるんだ」

「よく知らねえけど、脳の研究だと。俺はバカだからな、よく知らねえんだ」

「美しさを研究するの……ロマンチックだね」

「だといいけど」

ぼくたちは知らない振りをした。声がかかっている研究機関は脳神経学とロボット工学を専門とした軍部の研究機関だ。ロクな研究に使われないことはわかっていた。ディタの美しい顔から人間の美しさを感じる脳の研究へ、そしてもっとも美しいと感じるロボットの開発へ、そしてそれが軍事転用される未来がぱらぱらとぼくの脳に振ってくる。ディタの顔をしたロボットたちが敵国に侵入し、国民を狂わせて、国そのものを内側から傾けて行く。戦争というのは国と国との踏ん張りあいだ。軍というのは交わり合うほんのわずかな点、その接地面にすぎない。軍以外の、軍を支えるための国民生活がボロボロになってしまえば、そもそも戦争なんて一方的な暴力にしかならない。試合をする前から勝つ。

そんな未来がくるのかもしれない。

ぼくたちの前にモノカーが止まった。エンジン音の再生も止まる。

す、とぼくの顔の前に何かが近く気配がした。がさ。頬のあたりにざらざらした硬い紙の感触があった。ふわりとたちのぼる香りはディタが気に入っているバニラのオーデコロンだ。

「じゃ、達者でな」

ディタはこの世の全ては自分のせいだと思っている。自分のためだと思っている。だから紙袋越しのチークキスが何よりも別れの餞別になると思い込んでいる。そしてぼくはそれを心の底から慈しんでいた。

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