唯一神よ悪魔たれ

ユイカは悪の組織のアイコンになった。

パブリックイメージとか組織の顔とか色々言い回しはあるんだけれど、つまり「あの団体といえばあの人ね」というポジションだ。ちゃちな言い方になるのでぼくは好きじゃないが、看板娘と思ってもらってかまわない。まあつまり、ユイカはあくまでも看板を背負っているだけで、それ以外の何もしていない。一般職員のぼくの部屋に転がり込んできてゴロゴロしながらヴァーチャルコミックを流し読みしているイデオローグ、なんて考えたくもない。

「世界滅亡がどうして阻止されてしまうか分かるか?それは敵を作ってしまいやすいからだ。つまり敵を作らないような顔を用意すればいい。愛らしい子猫を誰も憎めない」

裏の顔であるところのジューザは肯定しても否定しても角が立ちそうなそんなことを堂々とのたまった。ユイカはジューザがどこからか連れてきた子猫ということで、実際猫みたいな顔をしている。ジューザはユイカのあたまを撫でくりまわしながら、「彼女には猫の遺伝子が入っているからね」なんて言っていた。ジューザは石像もまっさおになるほど表情筋が硬いので、誰も笑わなかった。

ユイカは文字が読めないので、コミックから流れるSEにケラケラ笑っているけれど内容なんてこれっぽっちも理解していないのだろう。今ちょうど流れているシーンは両片思いだったヒロインとヒーローが実は生き別れた母子だった上に国の仇だったことが発覚するシーンだ。展開を分かった上で無邪気に笑っているのだとしたらだいぶ倫理観に問題がある。とはいえ、ぼくたちは悪の組織なのだからそれくらいでただしいのかもしれない。

悪の組織なんて言ったけれど、それはあくまでもぼくがそう思っているという話だ。ぼくたちの所属する全世界統一共同参画戦線という内容の知れない漠然とした集団は、世間一般からすればたぶん悪なのだと思う。個人所有を否定し、貧富の格差を否定し、ついでに労働と勤勉を否定する。毎日を祝日とすることをマニュフェストに掲げているのは悪というよりほとんど不思議の国のアリスだ。何でもない日おめでとうパーティを掲げ始めてもぼくは驚かない。

とはいえ、ぼくたちの社会では個人は所有し消費することが義務づけられているし、貧富格差は奨励されているし、労働と義務は生まれた瞬間から強制されている。

「ユイカ、ねえユイカってば。そろそろどいてよ」

「やだ。まだ読む」

「それそんなに面白い?」

「おもしろいよお。人の絵がいっぱい描いてあるね。かわいい。変な顔してる」

ユイカはページに割かれた中でも一番大きな、いわゆる見せゴマを指差してぼくに示した。ヒロインがヒーローの土手っぱらをレーザーブレードで真っ二つにした後、その口に毒を含ませながら死ぬシーンだ。この頃のコミックはハイコンテキストすぎてぼくには正直よくわからないのだが、これを貸してくれた先輩によれば泣けるシーンらしい。実際、ユイカの見せてくれた絵で、ヒロインはガラスもびっくりの澄んだ涙を流している。

「これは泣いているんだよ。悲しいんだ。……それくらい分かるでしょ?」

「知らない。ユイカ、楽しいと嬉しいしか知っちゃダメだから。たぶんもう忘れるよ」

忘れることを自分で宣言するなんて新しいな、と思った。共感性にあまりにも欠けている。もはや感動する。これを作った人は何を考えていたんだろうか。ぼくがそう考えていたのを察したみたいにぐりんとユイカの首が回ってぼくを見た。

「お前たちは社会を滅ぼして世界を新しくするんだろ。なら悲しい、はなしだ。悲しいを知っている人間は悲しみたがるからな」

「そういうもの?」

「お前は、行く先は楽園だというやつと地獄だというやつ、どちらについてきたいと思うんだ?そういうことだ。ユイカはお前たちを楽園に連れて行く。そこは悲しいのがないところだ。泣いているやつの絵を見て変な顔と笑えるところだ。そうであるべきだからな」

「そういうものかな……分からないけど」

ユイカは目を細めて「それでいい。分からないのであってる。ユイカの信者として正しい」そう言いながら、ぼくの充電口を撫でた。

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