隣人愛の夕暮れ

人間の認知には限界があるから、国に人格を持たせてそれに全権を委任することになった。

人格というとすぐにAIだの反乱だのと言い出す無教養極まりない蛮族たちがいるので断っておくけれど、法人格と同じ使い方だと思ってほしい。つまり権利を行使し義務を負うひとつの主体であること。もちろん人工知能を用いた会話は可能だし、そのためにある程度匂い付け程度のキャラクターは持たせはするけれど、それをイコールで人間への叛逆に結びつけてしまうのはその、ちょっと自意識過剰がすぎる。

「別に自意識過剰なわけじゃないよ。人間っていうのはそういうものなの。お判り?」

「誰かにとって自分が滅ぼすべき何かであると思い込むことのどこが自意識過剰じゃないっていうのさ」

国家擬似人格の枢要を担うメインコンピュータの保守をしながら、ぼくとハーツはグダグダとしゃべっている。日夜皆が弄り倒しているAIだ、まさか夜間におかしな輩にちょっかいを出されては溜まったものではない。プログラムや端末上の問題は簡単で、完全なスタンドアロンにして電源を落としてしまえば全てが恙無く回避ができるのだけれど問題は物理的なもので、変なディスクを読み込まされたり訳のわからない端末に接続されたり、あるいはもっと原始的に釘バットでフルスイングされたりすればたちまちお釈迦になってしまう。だからぼくたちは深夜に交代で見張りをする必要があるというわけ。技術がいくら進歩を重ねても人間というのは三千年は変わっていないし、向こう三千年も変わりそうにない。

「根源的に他人というのが恐ろしいの、人間って。皮膚を隔てて向こう側にいる何かに自分と同じ意思があって、自分と同じように考えて生きているというのが気持ち悪くて仕方がないのよ本当は。だけど、自分も相手からすれば同じ気持ちが悪いという存在に貶められる。この相互的な気持ち悪さの認識のおかげで、私たちは隣人とうまい距離を保てる。オーケー?」

「ハーツの言っていることがこれっぽっちも理解できない」

「そういうこと。私たちはお互いに、本当の意味では何を言っているのかを理解しあうすべがないの。ただ相手の中に自分を見出して、それとネゴしてるのね。自分と似た人間であれば、相手に占める自分の割合は大きくなる。そうすれば自分と同じことを考えていると思い込める。相互理解なんてものは常に自己愛ってこと」

「人間は究極的には自分しか愛せないってこと?」

「理解したものしか愛せない人ならそうかもね。宇宙を愛している人だからといって宇宙の全てを知っているわけではないでしょう。それでも愛を語っていいのなら、人間が他人に向ける愛情だって愛と呼ばれてしかるべきだと思うの」

かちゃかちゃとハーツは音をたてながらキーボードを叩く。あらゆる電波が遮断されてオフラインが原則のこの空間では、あらゆる機器類は全て前世紀よろしくコードで本体に繋がれているという驚くべき状態になっている。昔、コードのついたマウスを見て犬の首輪みたいなものだと納得したことがあった。その感覚に似ているけれどもっと強烈ですらある。

「他人は気持ち悪い、けれどその中に自分がいる、割合はともかくいる。だからギリギリ社会生活が営めるわけだよ」

ただ、人工知能にはそれがないからね。これは仕方がないの。どうにか人間が人工物に愛着を持って話しかられるのかを研究している時間はないし。

「擬似人格に向けられる批難って言うのは結局のところ、本当だったら隣人に言いたいけれど社会が言わせてくれない言葉なの。言わせてあげて。それでしか救われない人たちがいるんだし」

擬似人格は落とされた主電源の向こう側で眠っている。

ハーツはくるくるとペンを回し、まあ今話がどこまで本当かは謎なぞだけどね、とへらへら笑った。

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