エクストリーム例外処理
先生を冷凍庫に詰めること。今日の行動予定表にそう書き込んで送信する。
「本当に承認が降りるんですか、こんなので」
ぼくの素朴で根本的な質問に、テレジア先生は鷹揚に頷いた。
「大丈夫大丈夫。サーバーでやってるのは辻褄合わせがほとんどで、コンプライアンスチェックなんて杜撰なものよ。特定ワードが入ってなければノーチェックなんだから」
「本当かなあ……」
「うーん、絶対ではないわね。もしかしたら今後一生あなたに監視がつくかも。そうしたらその、ごめんなさいね?」
「勘弁してくださいよ」
ぼくたちがいるのは森の奥、ものすごく深いというわけではないけれど、普通だったら立ち入らないようなところだ。科学技術が進歩すればするほど、人間は密集して住むようになって、その分人が住まなくなったところは鬱蒼とした森に覆われることになった。昔は地方都市としてビルが立ち並んでいたというこのへんは、もうとっく見る影もなくなっている。小屋の窓からはどこまでもどこまでも木立しか見えない。
これまでもそうだったように、森は朝でも暗い。きっとこれからもそのようにある。こんなところにぼくたちがいるのは、テレジア先生の実験の集大成を見届けるためだ。
人々の行動が管理されるようになったのは、およそ一世紀前のことらしい。それまで人々は個々人の判断と自由意志に基づいて行動し、社会はそのミクロな行動の集合体として存在していた。行動予定表と中央辻褄計算システムの発明はそれまでの生活を、それこそ一変させてしまった。人々は自由意思に基づき、決められた時間にその日の行動予定を出力する。そしてそれを中央に送る。中央では社会構成員の予定を全て統合させ、辻褄を合わせる。そのままの予定で良ければ承認がおり、誰かの予定とぶつかるようであれば折衷案的な再提出案が返ってくる。人々はその予定の通りに行動し、そして予定通りに社会が進む。このシステムが完成し順調に運営されることによって、人間社会からはあらゆるものが消えた。その最たるものが殺人をはじめとする犯罪だ。行動予定チェックにはコンプライアンスチェックと呼ばれる、申請された行動が法律に違反しないかどうかを判定する機能がついている。別にそこで引っかかっても逮捕されるわけではないが、行動予定は突き返されるし、当然だけれど保安維持軍からの監視を受けることになる。
これに否やを唱えたのがテレジア先生だった。人間の自由な意思の尊重を掲げる彼らは当然だけれど予定にしばれる人間社会を否定した。けれどすでに出来上がった仕組みを破壊することがどれだけ難しいことか。テレジア先生たちはほとんど犯罪者予備軍のように世間から叩かれに叩かれた。
倫理的に言うなら、テレジア先生は殺人を犯せる社会を求めているという事を否定はできない。それどころか先生はきっと肯定するだろう。人間には人間を殺す自由があるのだと言って女神のように微笑むだろう。神はカインがアベルを殺せるように作った。だからこそ我々自身は神以上に自分たちを縛ってはいけないのだと、先生は言うだろう。とても反社会的で、過激すぎるほどの人間主義。ぼくは先生を全肯定する気はないけれど、心酔してしまう人がいるのも理解できる。
「中央のシステムにね、一撃を与えたいの。会心の一撃を」
そう言って、彼女は自分を殺させることを思いついた。システムというもののほとんどがそうであるように、例外は致命的なシステムエラーを引き起こす。人を殺せないはずの社会で殺人が起これば、少なくとも数ヶ月は計算システムはメンテナンスのために稼働を中止しなくてはいけないはずだ。ホットスタンバイされている方も同様。ぼくたちはこれから網の目を縫うようにして中央に打撃を与え続けることになっている。自分たちの死を以って。崇高なことだ。ぼくは加害者役だから人柱にはならないので他人事でしかない。
そのとき、ぴろんとメッセージの着信を告げる音がどこからともなく聞こえてきた。人を殺す承認がおりた音がした。
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