増殖と永遠について

親友が輪廻転生するのにかかる時間は一回につきおよそ五分。何かをするには短すぎ、何もしないでいるには長すぎる絶妙な時間にぼくはコーヒーを入れることにした。電子ケトルに水を汲んでスイッチを入れた。

「君はソメイヨシノを知ってる?とても有名な木だ。もう絶滅してしばらく経つけれど」

古めかしい拘束椅子には一人の検体が腰掛け、舌を保護するために嵌められた口枷をカチカチと言わせた。周囲にはいかにもそれらしい清潔なアルコールとかすかな塩素系の刺激臭。ずっと昔小学校の保健室で嗅いだことがあるようなそんなフレグランスはもちろん合成だ。ぼくにとって研究室というのはこういうものだ、というただの雰囲気作り。

ぼくと親友は研究室で出会った。だからぼくと親友が初めて再会するのもまた研究室……少なくともそれを模倣した空間であるべきだろう。彼に会ったら笑われそうなロマンチシズムだったけれど、そもそも輪廻転生するのを待ってる時点でロマンチックは致死量に達している。

「ソメイヨシノは小ぶりな傘状の花を枝いっぱいに咲かせる落葉樹でね、満開ともなると、こどもが描いたピンクの木みたいになるんだ。夢みたいだろ。そのソメイヨシノが国花だった日本という国には、当然山ほどこの花が植わっていた。けれど、驚くべきことにこのソメイヨシノというのはすべてクローンだったという話だ。ゲノム配列のヘテロ接合性が高いうえに自家不和合性が高かったものだから、ソメイヨシノ同士でしか交配できないくせにソメイヨシノにはクローンしかないからその交配もできない。さし技や接木で数を増やしたんだそうだ。でもだからこそ管理がしやすく人気だったとも言える。変な亜種が無限に増えることもないし、勝手にそこらへんに種を飛ばして予想もしないところから生えてきたりしないんだから、管理する方からしたら助かることこの上ない」

検体はどうにか口枷を外そうとしているが、残念ながら拘束具は完璧に彼の自由を奪っている。微細なアームは彼を自由に瞬きさせることさえ許さない。ぼくは丁寧に彼の鼻に呼吸補助のチューブを突っ込んでやった。ケトルが湯の沸騰を告げる。

「デザイナーベビーが主流になったときに人間にターミネーター技術と思想を持ち込んだのは君だったね。確かに、人間はよりよい遺伝子を望むけれどそれと同じくらい奇形を恐れる。より完璧を求めるなら、自然に任せてはいけないというのは自明だ。誰もが倫理の壁に阻まれてできないことを君は成し遂げた」

点眼機の位置を調整する、検体の目は親友と同じ琥珀色だ。これならきっと大丈夫だろう。ぼくは確信する。体をすっぽり覆うようにカバーをかける。

「幸福の形はひとつ、不幸の形は人の数だけ。トルストイの言葉をもじるならそういうことで、デザイナーベビーは代を重ねるごとに姿を寄せ、形質を似通わせていった。近親相姦がタブーになるのは何も脊椎動物に限ったことではないからね。今やあらゆる人間は誰とだって生殖不可能になった。これで不幸にも生まれてしまう子どもはいなくなったわけだ。美しくて、自己増殖に難があるという意味で人間は限りなくソメイヨシノに近づいた。だから接木だってできる。ぼくは君がいなくなってしまってから凡才なりにちゃんと考えたんだよ」

マシンを作動させる。検体をすっぽり覆った巨大な機械はこう言って良ければライティングマシンだ。タブララサにぼくの親友を書き込む機械の綴り手。

ペンの音すら走らない静寂の中でコーヒーを一服する。五分の長さを噛み締めていると、体感千年たったころやっと書き込みが終わったとアラートが高らかに鳴り響く。ぼくは急いで機械にかじりついて安全装置から外しにかかる。カバーを外すと、むわっとアンモニアのにおいが立ち上る。

虚ろな目をした検体が泡を吹いていた。びくんびくんと痙攣し、黒目がひっくり返ってまぶたの裏に隠れている。盛大に失禁したらしく、異臭が鼻をついた。失敗は誰の目にも明らかだった。

ぼくはぽつんとたちつくした。どうやれば成功するのか分からなかった。失敗の理由も分からない。けれどこの機械で接木ができることは確かなのだ。だってぼくの親友は、たしかにぼくを接木して永らえさせたのだから。

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