ここから誰もいなくなりますように

バタイユは人間の活動は全て浪費であると言った。生産性なんていうものは存在しない、あらゆる経済活動、あらゆる社会活動は全て浪費として解釈が可能であり、浪費こそが世界を発展させる鍵なのだそうだ。だからぼくは街を焼いている。

街を焼かれた人たちが、命からがら炎の舌から這い出してきて乾き切った涙腺で泣いている。涙はないけれど嗚咽が漏れている。いや、気管支が焼けて苦しんでるだけだろうか?残念ながら人体の構造に関する知識はぼくになく、それを教えてくれる人も検索ウィンドウもここには存在しないのだった。燃える街、干からびた人、ひどいにおいで胸やけしそうだった。

「どうして……どうしてこんなことをするんですか……」

「イーリア。きみにもいつか分かるよ」

ぼくの後ろで、真っ赤な空を見上げながら、まるで自分の出身地が焼かれたような顔をしている。イーリアはいつまで経ってもあまちゃんで、ぼくの唯一の後輩なのにどこかまだ現実が分かっていないところがある。現実というのは個人個人それぞれにあるものだという現実が。

ぼくの見ている世界とイーリアの見ている世界は違っている。別にそれはクオリアの話でもなんでもなくて、ぼくが大事だと思うことがイーリアにとって唾棄すべきものかもしれないという価値観の話だ。醜いアヒルの子を物語として共有できるのは、子アヒルと子白鳥の間に差異を見出す偏頗な価値観の持ち主だけ。醜いアヒルの子の定理はここで使うべきものではなかったけれど……事態は似ている。感情を共にするためには感覚を類似させなくてはならない。アヒルのこども同士の差異と白鳥とアヒルの間の差異をちゃんと理解できていなくては、醜いアヒルの子を教訓にできない。

「そんなに泣かないでイーリア。これは必要なことなんだ。悲しいけれど、その分誰かが笑うだろう」

「分からない、分からないんですよ。どうして彼らはくるしむ必要があるんですか?どうして全てを失わなくてはならなかったのですか、どうして彼らだったのですか!」

「イーリア、君の言葉はいつも大袈裟だね。直したほうがいい。物語の中での喋り方は、生身の人間が最も嫌悪するものだから」

「はぐらかさないでください!」

「ほしい答えがもらえなかったからって駄々を捏ねない。君はいつまでこどものつもりなんだ」

「人が!」

イーリアはほとんど絶叫していた。涙がしとどに流れ、頬を伝い、ばたばたと地面に落ちていく。真っ赤に染まる顔は火に照らされたのか劇場からか区別がつかない。気の毒なほど震える手は握りしめすぎて血が流れていた。

「死んでるんですよ!今!この瞬間に!」

「そうだね。とても申し訳ない。ぼくはいつも仕事をするたびに、これが終わったら死のうと思ってるよ」

「ならどうしてそうしないんです!」

「ぼくが焼かなくても誰かが焼くし、それはもっとひどいやり方かもしれない。ぼくは優しいんだよ。焼かれたひとたちはぼくに感謝したほうがいい」

こうなると、もう水掛け論だ。ぼくもイーリアも自分の主張を変えるつもりはない。ふうふうと息を荒げるイーリアに、ぼくは落ち着いて語りかける。別に、理解してもらおうとは思わない。ただ勘違いして欲しくないんだ。

「人間には浪費が必要なんだ。浪費するのためには土地が必要で、でも人間は増えすぎてしまって、どこもかしこも誰かが住んでる。だから誰かが空き地を作らなくてはいけない。だからこれは起こるべくして起こったことなんだよ」

「あなたがしたんですよ!他でもないあなたが!」

「そうだよ、だからこれが終わったら死にたい……ねえイーリア、君はぼくに付き合ってくれる?」

ぼくの問いに、イーリアはぐいと涙を拭って吐き捨てた。

「あなたを地獄に連れて行きます。その手を引っ掴んで」

その言い方が舞台劇じみていてだめなのだと、この子はいつになったら分かるんだろうか。ぼくは自分を棚上げにして考えている。

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