因果はピンクのスズランテープ
ドーラによれば、ぼくは彼女の兄の仇を勝手に討ってしまうらしい。政府公認の事前復讐許可証を掲げながら、ドーラはぼくに復讐を宣言した
「込み入りすぎていて意味がわからない」
ぼくは素直に白旗をあげて説明を求めた。だって、一般的で善良で凡百な市民であるぼくは誰かを討った記憶はないし、そもそもドーラの兄は今日も元気にゲームセンターでアルバイトをしているはずなので仇もくそもない。ドーラはこくんと頷く。許可証をくるくると丸めて筒にしまうと、やっと口を開いた。
「将来的に……兄さんは殺される……そしてあなたはその加害者を……刑務所送りにしてしまう……わたしが復讐する前に……だから今、あなたに復讐する……」
「説明ありがとう。でも余計にわからないんだけど、どうして君のお兄さんが殺されるの。その流れでいったら、そのお兄さんを殺す相手に事前復讐すればいいんじゃないの」
事前復讐法が整備されたのはおおよそ五年かそれくらい前のこと。二一世紀に興隆した大きな政府の反動で、政府はどこまでも縮小を続けていた。司法は福祉や教育に比べたら随分頑張ったのだけれど時勢には抗えず、警察も軍もどんどん人数を減らして行く。その中で治安維持のために制定されたのが事前復讐法。自分に対し加害行為に及ぶことが予期される他人に対して、文字通り事前に、何もされていない時点での復讐を一部許可するという脳をぐつぐつに煮込まれたのか勘ぐりたくなるような暴力的な代物だ。事前復讐での殺害は厳しく禁じられており、未遂であっても極刑は免れない。そう、事前復讐での暴力行為はちゃんと罪に問われる。犯罪の予告状をわざわざ提出するような、意味不明の法律なのだ。だからぼくはこれまで単純に学術的な興味以上のことを知らなかったんだけれど、それを後悔していた。だってドーラが何言ってるのかこれっぽっちもわからない。
「兄さんを殺す相手は……わからない……。理由も……」
「余計にわからないんだけど……この復讐にどんな正当性があるの?」
自分で言ってて笑いそうになってしまった。正当性のある復讐ってなんだろう。復讐なんてものはそもそもがごくごく一個人の感傷でしか肯定され得ないものだ。あらゆる宗教が復讐を禁じているのはどこからが復讐でどこからが加害なのか、許される復讐と許されない復讐の条件は何か、ということについて万人が納得できる線引きをするのが不可能だからだ。
ドーラはぼくの質問には答えなかった。答えられなかったというよりかは、答える必要がないという感じで、泰然自若にその場に佇立していた。ぼくはため息をついて、
「事前復讐をしたら、その相手からの加害に対し免責義務を負うことは理解してる?」
そうなのだ。事前復讐される側は、その後相手にどんな加害行為を働いても、事前復讐した側は訴えることができない。権利の放棄は許可証にもくっきりはっきりの明朝体で示されている。
「望むところ……」
「そう、じゃあ好きにして」
ぼくは腕を広げた。ドーラの後ろではかっちりしたスーツに身を包んだ役人さんが、復讐立会人のネームカードを首から下げて控えている。復讐の場は整っているというわけだ。ドーラは手にしていた釘の飛び出る角材を、バッドのように構えた。これでぶん殴られたらだいぶ痛そうで、今からなかったことにならないかなと思考を飛ばした。血が出るだけではすまないかもしれない。それだけのことをぼくがしたのだろうか?あるいは、これからするのだろうか。
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