百年の添い寝

愛する人のためなので死んで欲しい、と知らない人から言われている。

残念ながらぼくはものすごく平凡で善良な一般市民なので、どうしてぼくが死ぬことが顔も知らない他人のためになるのかが理解できない。紀元前から形が変わっていないだろう原始的なナイフを首に突きつけられてハンズアップしながら一周回って冷静だった。

「どうして……」

「俺がキャリーオーバーするために」

「ああ……箱舟計画ね」

男の一言でぼくはだいたいを察した。彼の言うキャリーオーバー、ぼくの言う箱舟計画はどちらも同じことを指している。

もう何度目になったかわからないほどの世界大戦と両手の数では足らないほどの大虐殺を経験し、人類は一つのことを学んだ。どんなに頑張っても人間は殺しあってしまう。そしてそれは人類が多すぎることに起因する。ほら、狭い水槽に小魚をたくさん入れておくといじめが発生するって話があるでしょう。つまりあれと同じで地球という水槽は現生人類の数に対して狭すぎるのだった。

人が増えすぎたことにかかるエネルギー問題も食料問題も解決したのに、そもそも人は多くなりすぎると殺しあってしまうらしい。そんな馬鹿げた結論に対して科学者たちがなるべく人道的に、倫理的に妥当な落とし所を検討した結果導き出されたのが、人類を減らすために今生きている人々をコールドスリープさせ未来に送ろう、というトンチンカンで壮大すぎる計画だったというわけ。いろんな意味で先送りにしている感じが否めないけれど、確かに当面平和になりはするだろう。もしまた次に世界大戦が発生し今度こそ核の冬になってしまっても、未来に送られた人々がどうにかしてくれるだろうというリスクヘッジも兼ねた作戦なのだそうだ。

賛否両論あったが、ともかく全人類共倒れよりかはマシというところは皆一致していたらしい。箱舟計画はそうやって策定された。そしてぼくはその第一陣に選ばれてしまったというわけ。第一陣だけでもうん十万人が指名されているわけで、なんというかあまりありがたさは感じない。第二陣、第三陣を含めるのであれば繰り越される人類は現在人口のおよそ三分の一ということなのだから、やっぱり物珍しいとは言えなさそうだ。

おおよそ、この男は自分の恋人とグループが別れたというところだろう。そしてどうにかして未来で再会するために恋人と同じグループに所属しているひ弱で価値の低そうなやつと成り代わってやろうという魂胆だったに違いない。そしてひ弱で価値の低そうなやつとしてぼくが選ばれてしまったということか。

ちら、と男の顔を見るが、真剣そのものだ。ぼくを殺すことに躊躇はあるのだろうが、それよりも恋人と紡ぐ未来の方が大事に違いない。それだけ愛せる人に出会えたこと自体は他人事ながら大変喜ばしいが、とばっちりを受ける方からしたらたまったもんではなかった。どうにか殺されないで済む方法はないものか……とぼくは自分の背後に横たわる繭を見る。この繭に飛び込んで稼働してしまえば男はもうなすすべがなくなるのだが、そこまで機敏に動ける自信がない。内部にコンソールが設置されているから中から起動させられるとはいえ、本来ならちゃんと専門の人に外の制御盤から実行してもらうものなのである。男はその係の人に化けていたのだから、うっかりするとぼくがもたもたしている間に外から開けられてしまうかもしれない。そうしたらおしまいだ。

「あ、じゃあ、半分こしよう」

「はあ?」ぼくのバカみたいな提案に、男はアホ面で返した。

「殺されるのも、ここで箱舟に乗れなくて無戸籍にもなりたくないし。なら繭を折半にしよう。ぼくと君ならギリギリ二人おさまりそうだし」

もし何かあってもぼくは責任取れないけど。あはは、と笑って見せると、男は非常に不本意そうに顔をしかめた。

「君の愛する人は自分の幸せのために誰かが死んで無邪気に喜べるかな?」

「……わかった、それでいい」

最後の一押しで、男は容易に転がった。よかった、ある程度の倫理観はあるらしい。ぼくは呑気に笑って、まあ解凍中とか冷凍中の危険度が爆上がりするだろうなあという言葉を飲み込んだ。命は惜しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る