捨身飼虎カウント接触不良
おシャカ様がギロチンを抱えた姿が夕方のニュースで大写しになっている。
釈迦、つまりゴータマ・シッダルタのことではなく、おシャカ様というのはオサカベ・サクヤというタレントの 愛称で、その愛称が受け入れられる程度には人心に篤くストイックなのだそうだ。老若男女に人気のオサカベは、どうやら新作映画の宣伝のためにアルタ前のロータリーで大々的なイベントをやったらしい。ギロチンはその小道具だろう。
ということは、ぼくの首を拘束しているこのギロチンはおそらくオサカベが使ったものだと予想できる。身の丈を超えるような立派な作りのそれは、処刑道具ということもあってそうゴロゴロ存在するものではないと思う。映画の内容はさっぱり知らないけれど、もしかしら有名な俳優なんかも今のぼくのようにこの狭い穴に手と頭とをはめたりしたのだろうかというミーハーな気持ちになってしまうのは許してほしい。
「人は悲しいね……ううん、生き物ってとても悲しい……」
ぼくのことを今にも処刑せんとしている黒づくめの人物は、透き通るような声でそんなことを言った。白々しいなあ、と思う。感情がこもりすぎていて、まるで台本を読み上げる役者みたいだ。映像の中で見るなら違和感のないそれも、こうやって舞台の外でやられると途端に嘘くさくて寒々しいものになってしまう。
「だからこそサクヤ様は解脱されなくてはいけない……この世で二番目の仏陀に……悟った人にならなくては……」
「それとぼくになんの関係が?」
「それは……あなたが……サクヤ様と並んで……今生きているものの中で一番さとりに近いから……」
なるほど、ブツブツ喋る黒づくめが親切に色々教えてくれたおかげで、ぼくは状況を完全に理解した。つまり黒づくめはなんとしてもオサカベ・サクヤを仏陀にしたい、そして人から崇められて欲しいのだろう。そのためにぼくの存在が邪魔なのだ。解脱すればぼくのように無名な一般人でも一躍時の人である。
これをオサカベ・サクヤが指導していたのであれば随分スキャンダルだな、と思ったけれどこの感じだと黒づくめはただのファンで、熱心な信者による暴走なのだろう。自分のために、しかも取るに足らない名誉のために人が死んだと知ったら普通の人ならショックで芸能界引退にもなりそうなものだが、さてどうなるか。気にならないといえば嘘になるが、それを見るためにはぼくはぼくの死後に生きてる必要があってそれは不可能だ。
ぼくは少し考えて、それから「まあ、うん。そういうことなら」と頷いた、
「ぼくは別に解脱にも興味ないしね。これでまた人間をもう一周できたら面白いと思うし……いいよ」
あ、ぼくがスイッチ押そうか?このギロチン、スイッチ式なのかはわからないけど……とぼくがあくまで善意で申し出ると、黒づくめはかすかにヴェールの向こうに見える口元を歪めた。む、そんな顔をされる言われはないはずだけど。
「何を……企んでいる?」
「別に企んでるわけじゃないよ。ほら、みんなの憧れの人が解脱してたほうが、自分も解脱したい!って気持ちになるかもじゃん。ぼくみたいなそこらへんの石ころみたいなやつが解脱するより、よっぽどいいと思うね」
ぼくの言い分に、黒づくめは納得したらしかった。それからぼくの手の中に漫画みたいな赤いボタンのついた箱をねじ込んでくる。なんというか、形から入るの見本市みたいなやつだ。
死ぬことが怖くないわけではないけれど、誰かの邪魔になってまで生きたいとは思わない。ぼくはただどこまでも無尽蔵に臆病なだけだ。震える手でボタンを押し込み、刃の走る音が響いて、
そしてぼくの首に触れる直前で止まった。あたり一面に咲き乱れるハスの花と、差し伸べられる如来の手にぼくは泣きそうになった。後ろでは黒づくめがもっと泣きそうな顔をしていた。
「解脱するつもりはなかったんです!」ぼくは心から叫んだ。
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