五千兆円になる方法
人の形をした五千兆円がぼくの喉元に万年筆を押し付け、自分を誘拐しないと殺すと脅したのが三日前のこと。ぼくは泣きながらハイエースを走らせている。
資本主義も末期になり、人間の価値が定量的に表示されるようになったのは十年くらい前のこと。残念ながらぼくは人間経済学に一切興味がないからどのようにして一個人を金額に換算しているのかはよく知らない。総資産額なのか、あるいはその人が将来的に稼ぐだろう金額なのか、才能や肉体を換金したものなのか、どれをとってもロクなものじゃないし、人権団体はいまだにワーワー言っている。ちなみにぼくの価値は一億ちょっと。低くはないが、目立って高いということもない。貯金が一億あるわけじゃないが、このくらいの金額なら内臓全部売り払っていますぐにでも作ることができるわけで、そういう意味ではぼくの総資産額と言われても頷いてしまう。
ヒトノはぼくの五千万倍の価値があるらしい。助手席でアイスをぺろぺろなめているところを見るに、あまりそういう雰囲気はないけれど。
「生まれてこのかたずっと誘拐されてるから、家も家族もよくわかんないんだよねえ」
ぼくがハイエースを準備しているとき、ヒトノは言い訳みたいにそう言った。
「あんたには迷惑かけて申し訳ないよ。ほら、他に誘拐するやつが出てきたらそいつにパスしてもらうのでいいから。だからほんのちょっとだけ付き合って」
ぼくより年下のくせに、妙に達観していたのは、自分でどうにかすることのできないものに振り回され続けてきたせいなのかもしれない。ぼくが警察に彼女を突き出さないのはそういう理由があったりもする。もちろん、第一の理由はぼくがヒトノを誘拐していることになっているからなのだけれど。流石に人生を棒に振りたくない。残念ながら、人間の価値が一眼見てわかるようになってこのかた誘拐やら人質やら人身売買やらその手の犯罪は多くなりすぎ刑務所はパンパンで、そういう人身に対する罪を犯したやつは裁判なしで前科がつくことになっている。
「誘拐なんてやったことないんですけど」
「わたしが教えてあげるから頑張れ。これも人生経験だ」
ぼくの弱音に、ヒトノはあっけらかんと言った。流石に五千兆円の人間は言うことが並ではないな、と他人事みたいに思った。
「身代金ってどこに連絡すればいいんでしょうか……」
「保健所」
「身代金って保健所が出してくれるんだ……」
「誘拐保険なんてのもこの世には存在するらしいよ。ま、わたしを入れてくれる保険なんてないだろうけど」
毎日誘拐されているのだから、保険会社は即破産だろう。さもありなん。
開いた窓からかすかに潮のかおりが漏れてきた。海が近いのだろう。行くあてもないドライブは、チンケな小説のように海岸へとたどり着く。誘拐というより逃避行みたいだった。素行のよくない場所に行けば次の誘拐先が見つかるだろうとはヒトノの言だが、おそらくヒトノ自身が海に行きたかっただけだろうというのがぼくの読み。五千兆円を手放せるのなら願ったり叶ったりでもあるし。
「そういえば、どうして貴方は五千兆円なんて価値がついたんですか」
ほとんど大国の国家予算だ。何をすればそんな値が人っ子一人につくのか。単なる興味で尋ねる。もちろんそれは、相手も分かってないだろうという他愛ない雑談のつもりだった。
「将来、わたしがでかいことをするからさ」
「へえ、どんな?」
「五千兆円が動くからなあ。宇宙開拓か……さもなきゃ一国を焦土にするようなことだろうな」
誰かがわたしと国を天秤にかけた挙句、わたしを取るんだ。そういう運命がわたしには待ってるのさ。ヒトノさんは冗談みたいなことを言いって笑った。手にしたアイスの棒には当たりの文字が刻印されていた。
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