バグ・フロム・ヘヴン

針の上で天使が踊れるのは三十二匹までだ。

天使というのは俗称なので、この手の表現はある意味で中世から連綿と続く神学上の問題をばかにしていると怒られるかもしれない。敬虔な宗教家たちは針もしくはピンの上で無限の天使が踊るのだと信じているし、ぼくもぼくでそれを否定するつもりはない。ただ、アルビオン裂頭条虫の話が

したいだけだ。

近年になって人間の死亡とこの寄生虫の間には深い関係があるととある研究者が発表した。人間が死亡した時どこからともなくその寄生虫たちが現れてそしてどこかへ消えていくという。アルビオン裂頭条虫が現れるから人が死ぬのか?人が死ぬからアルビオン裂頭条虫が現れるのか?その答えはしばらく出そうになかったけれど、人間の死に密接に結びついているらしいその寄生虫を三文カストリサイエンス史が天使と呼んだ。安直でわかりやすくて冒涜的なものを大好物にしている連中はこれに食いついて、めでたくアルビオン裂頭条虫は天使と呼ばれる運びになった。

その寄生虫の大きさはおおよそ〇.三マイクロメートル。針の上がおおよそ十マイクロ平方メートルとして、ざっと六十四匹がおさまる計算になる。とはいえ踊るためにはそれなりの広さが必要であることを考えると、半分の三十二匹が妥当なところ。そういうわけで、ぼくたちの研究所では「針の上で踊れる天使は三十二」なのだ。

アルビオン裂頭条虫が近年まで発見されなかったのは、彼らが死の直前まで人間の体のどこにもいないからで、死人の体から速やかに去って行ってしまうからだ。魂を持ち去る天使になぞらえたどこかのロマンチストで信心深いライターはまことに頭が下がる。これほどまでに的を射ている上に本質をうやむやにする命名もない。

そういうわけでぼくたちは集中治療室の前で待機している。仕方がない。死んですぐの検体でしかアルビオン裂頭条虫を確保できないのだから、そこに倫理や道徳や良心の話を持ち込まないでほしい。ぼくの隣に座るルカもやはり深刻な顔で俯いている。こうして医者が患者を助けるために手を尽くしているのにぼくたちときたら患者が死んだ時のためにこうして出待ちをしているのだから、死神と言われても仕方がない。きっとそれを憂えているのだろう。ぼくもそうだから分かる。

「考えたんだけど……」

「……うん」

「人間は死ぬとき体重が二十一グラム減るって迷信があるじゃんか。あれってもしかして、魂の重さじゃなくて、アルビオン裂頭条虫の重さなんじゃないか?二十一グラム分の大量の裂頭条虫が一斉に体外に脱出するからその分遺体が軽くなって……」

やっぱり嘘だ。ぼくにはルカのことなんてこれっぽっちも分からなかった。分かってたまるものか。

その時、この世で一番重々しい自動扉が開き治療室から執刀医が姿を表した。医者はぼくたちを一瞥することなく、施術者の家族たちの方へ歩いていく。つまり、ぼくたちの出番はなくなったということだ。今日ばかりは死神と罵られることもなさそうで、ぼくは徒労と安堵をいっぺんに感じて足から力が抜けるのが分かった。

ルカもぼくと同じように、ベンチの背もたれに体を預けながらいう。

「明日の実験用、確保できなかったね……」

訂正、こいつは単純に裂頭条虫を捕まえられなかったことに意気消沈しているだけだ。ぼくとは違う。投げやり気味にぼくは答える。

「いっそ今どっちかが死ねばいいんじゃないか……天使は平等に迎えにきてくれるよ」

ぼくの渾身のジョークに、ルカは顔を輝かせ、「じゃあどっちが死ぬ?」と首を傾げた。

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