死神未満の詭弁
次にヒルノカが戦争の理由に選ぶのは歌だという。
この前は水だった。水が緑色をしているから、という理由でヒルノカは見事に中東の小国同士の紛争を引き起こして見せた。
「理由はなんだっていいんだ。戦争したがる人たちにとって、それがどれだけ国際世論を味方につけるものだとか倫理的に見て正義があるとかは関係ないんだよ」
戦争をしたいから戦争をする。戦争は目的であって手段じゃない。ヒルノカは淡々と語る。
「そもそも、戦争なんていうのはこのご時世リスクの塊だし、勝ったところでロクに利益も見込めない。つまり、浪漫だし、好事家たちの趣味なんだよ。言っちゃえばさ」
「趣味で人が死ぬなんて浮かばれないな」
「大義で死ぬのと変わらないよ。人が死ぬのに善も悪もない。本人や周囲の納得さえ関係ない」
一人の死は悲劇だが、百万人の死はデータだといちばん最初に言ったのはウィドゲンシュタインだ。だが本当は違う、一人の死だってちゃんとデータだし、統計だよ。わざわざ数えないだけで。
ヒルノカの詭弁は明らかに間違っているのに、どこが間違っているのかをぼくは指摘できないから押し黙る。
飛行場には風が吹いていた。こう言ってよければ死の風だ。この風とともに、ヒルノカは戦火に呑まれることを運命づけられた土地に入り込む。我が物顔で歩き回る。人々の心に戦争を植えつけるだけ植えつけて去っていく。今ならまだ間に合うから、ぼくたちを先ほどまで乗っていた小型ジェット機に押し戻してくれとぼくの倫理的で良心的な部分が喚いていた。それでもぼくらには戦争が必要だったし、ヒルノカを頼らなくてはならない差し迫った理由があった。ぼくたちにはちゃんと、戦争をするだけの道義的な後ろ盾があった。けれどそれを部外者のヒルノカにやすやす口外できるわけがない。ぼくは百回息を呑み下して我慢する。
「きみは映画は好きかい」
「え、」
「なんでもいいよ、ハリウッドでも、ヒッチコックでも、マカロニウェスタンでも」
「映画は……あまり見ない。教養もないし」
「見なくて正解だ。ああいうのを見てるやつらっていうのは御託ばかり並べたがるから。それこそボクみたいに」
笑っていいのか悩ましいジョークにぼくがもごもごと言葉をつまらせているのを見て、ヒルノカはケラケラと笑った。
「ああいうフィクションにはいわゆる悪役が出てくるのだけれどね、彼らには理由が与えられる。悪役には悪を成す理由が。主人公には悪を倒す理由が。映画は理由で回るのさ。映写機を回す手は動機でできているというわけ。でもそれを現実に持ち込まれるとボクとしてはとっても迷惑なんだよねえ」
「何故」
「理由なき行動が咎められるようになるからだよ」
話が戻ってくる。戦争の理由に戦争を掲げてはいけない理由は、それがどこまでもトートロジーであり堂々巡りだからだ。そして戦争は悪いものだからやってはいけない。ここにも自家撞着がある。
「だから、ぼくのことは導き手と呼んでくれていい。ぼくはただ、理由を与えているだけなんだ。それが戦争を引き起こしてしまうのはほとんど偶然なんだよ」
ほんとうはみんな戦争をしたがっている。けれど戦争には理由がいる。だからヒルノカは求められる。ヒルノカは戦争をする理由をくれるからだ。
そしてこの国で、それは歌だ。鎮魂歌なのか、あるいは子守唄なのかはヒルノカだけが知っている。
「曲目はあれにしよう。蛍の光だ。さあ、お足元に気をつけて還ってもらおうじゃないか。土にね」
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