命の輝きと踊らない異常者

医者はぼくの病を正気度過多と診断し、いのちを輝かせなくてはなりませんからあなたには入院が必要です、と続けた。


命の輝きが大阪府上空に現れたのは今から大体十年くらい前のことだ。そこの頃のぼくはまだ九九も諳んじられないこどもの中のこどもだった。七の段が鬼門で、算数の時間がやってくると思うと幼いながらに気が沈んでいたのを覚えている。

その日の夕食はコロッケだった。犬が転び赤ちゃんが跳ねるハプニング映像ばかり垂れ流されるゴールデンタイムのテレビに、とつぜん夜が割り込んできた。臨時ニュースです、と男の人の声が被さる。今まさにバースデーケーキが落下する子猫の下敷きにならんとしていたところだったのが、瞬きの間に大阪の上空映像に切り替わったのだ。バタバタバタと忙しい音は多分ヘリコプターの羽のせいだろう。カメラマンが痙攣しているみたいにテレビの中が揺れていた。

映像はどこかの公園を映していた。ライトアップされた芝生が柔らかそうで、背後の木立はこぼれそうなほどの闇を湛えていた。夜の公園はそれだけで恐ろしかったが、それどころではなかった。お茶の間が凍りついているにもかかわらず、リポーターはどこか喜悦を滲ませながら叫んだ。

「ご覧ください、いのちのかがやきを!」

今思うなら、あのリポーターには正気度がもうなかったのだろう。

ゾンビがしばしばそうするように、彼もまた生前の自分の行いをトレースして行動した。げに恐ろしきは習慣というやつで、その頭が変になったリポーターのせいで全人類は一斉に正気度を失った。

地上から五階建てのビル1個ぶんくらい上のほうに、赤い輪っかのようなものが浮かんでいた。それはぬらぬらした光沢を帯びていて、公園のライトを反射してよりつやつやして見えた。さらに詳しく見るなら、赤い輪っかは紐や管のような長細いものがウロボロスのごとく頭とおしりをつなげているというわけではなく、巨大な丸い肉塊が円形に集合しているらしかった。

輪っかは、ぎょろりと青い目を覗かせた。目ではなくてただの模様かもわからなかったが、大きな白い円と小さな青い丸が重なっているところはいかにも絵描き歌に出てきそうなドングリまなこそのものだった。

テレビを見ていたぼくたちはみんなそれと目があった。

正気を失うのにはそれだけで十分だった。

ぼくたちは、それを見た瞬間に理解してしまったのだ。命とは何か、どんなふうに発生し、どんなふうに進化し、どんなふうに滅びるのかがいっぺんに脳味噌の中に入ってきた。ぼくはダイニングテーブルに盛大に嘔吐した。幸いなことに、テーブルの上はもう吐瀉物でいっぱいだったからぼくは怒られずに済んだ。


そうして、理性の時代は終わった。

そうして、狂気の時代が始まった。




めでたくぼくは入院となった。窓の外には命のかがやきが浮かんでいる。この特等席で正気度が擦り切れてなくなるまでを軟禁されて過ごすのが目下ぼくの唯一の予定だった。

「なるほど、こうしてみると……」

「こうしてみると?」

「あれだな。珊瑚礁とか深海生物に似ている」

「この後に及んで言う?そんなこと」

「これを命のかがやきと名をつけた人はすごいな。生物の真理を見せられた上でなお輝きと断じることができる傲慢さはいっそ讃えられるべきだ」

ルームメイトのイサナがぺちゃくちゃと喋る。ぼくは無視した。さすがに十年たっても正気度を保っている人間はちがうな、と自分のことを棚にあげながら思う。

社会というのは残酷で理不尽で幼稚でいくら面罵しても足りないくらいどうしようもなく頭が足りなくて、そして単純明快だった。正気の人間より狂気の人間のほうが多くなると、「ふつう」という言葉は狂気の人間のふるまいを指し、「へん」という形容は正気の人間の行動を示すようになった。年一の健康診断で高コレステロールや高血糖高血圧と同じ感覚で正気度過多が言い渡されるようになり、それからというものぼくは命のかがやきと年に一度顔を合わせる羽目になっている。イサナも同じ類の人種で、ルームメイトになるのはこれが初めてとは言え毎年この時期を一緒に過ごしてきた。

夏から秋のスペクトラムな期間、ぼくたちは命のかがやきを見る。近くで観察すると、命のかがやきは歪な球の集合体であると同時にその球もまた小さな粒が集まったものだということがわかる。風に身震いするように顫動し、はたまた敵を威嚇するように逆立つところは見るだに鳥肌ものだ。

「はやく正気なんて失えるならもう見なくて済むのにな……」

「ぜいたくものめ、外の連中はこれに会いたくて仕方がないんだぞ。大枚叩いて見学しにくるやつもわんさかいる」

「わんさか?」

「鳥取砂丘の砂粒と同じ数」

「ぼくもそうなるのかな……」

「多分な」

イサナはじっと命のかがやきを見ていた。本当は正気をとっくに喪失して命のかがやきに心奪われているんじゃないかと思いたくなるほど熱心に。もしかしたらぼくと同じように、さっさと正気を手放して狂気に身を投げてしまいたいと心底願っているんじゃないかと勘違いしてしまうほど熱烈に。

でも残念ながら、イサナの目には理性の光が灯っている。正気を失ったやつらの暗く濁った砂鉄みたいな目とは似ても似つかない。

イサナが命のかがやきにご執心なのは、十年前から変わらないままだ。こいつにとってはこれがスタンダードで正常でふつうというだけの話だった。

「イサナはなんだかんだ、来年もその先もずっといそうだな」

「いるさ。でなければここに来られないからな」

正気とは狂気の余事象である、とどこかの誰かが言ったそれらしい言葉をぼくは思い出している。

窓の外で命のかがやきがぱちん、とまばたきした。こう言ってよければ、女児が戯れに見せるおちゃめなウィンクのようで、それを見たぼくの正気度は1d10も減ったのだった。

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