36. ふと空を
眼前に広がる黒。でも、それは完全な闇ではない。細かな砂のような、ほんの小さな星が散らばっているし、なんなら白い月まで浮かんでいる。体の節々が疲れてしまって、まともに動かすことが出来ない。死ねば体が軽くなると思っていたのに、なんだ、あれはデマだったというのか。
「……ジョン、ジョン!」
誰かが俺の名前を呼んでいる。所謂お迎えの声という奴なんだろうか。それにしては随分聞き慣れた、しかもいやに緊迫した声な気がする。ここは一体どこなんだろう。誰が俺の名前を呼んでいるんだろう。
「ジョン!起きろって!」
お迎えの声じゃない。これは――エドの声!
そのまま慌てて身を起こした。辺り一面が、夜らしい体を保ってしんと静まり返っている。そして多くのロボットが、関節が溶けてしまったかの様な格好でぐったりして動かなくなっていた。ほとんど俺に覆い被さるように倒れていた男型ロボットは、小型銃を片手に死んでいる。
突然右頬に鋭い痛みが走り、そっと触れてみると、小さな切り傷が出来ているらしく、乾いた血が指先に付着した。尻を地面につけたまま思わず後退りすると、地面についた右手の中指が、すぐ側の地面の不自然な小さい窪みに触れる。……そうか、あの時俺は撃たれたんだ――いや、正確には違う。間一髪でこいつが動きを止め、倒れこんだんだろう。だから、弾丸の軌道も一緒になってずれたという訳だ。つまり、俺は――生きている。
「……これ、俺達がやったのか?」
「んな訳あるか!こいつらが急に動きを止めたんだよ」
その時、ポケットに入っていたキューブが鳴り響いた。取り出して発信源を確認すると、イーライからだ。咄嗟に応答しそうになって、すぐに思い止まる。おかしい、今は廃墟のシステムが死んでいるから、映話は出来ない筈なのだが……。必至に鳴り続けるキューブを片手にどうしようか迷っていると、背後から伸びてきたエドの指が応答ボタンを押した。
「バカ!勝手な事――」
だが、俺の心配をよそに、ホログラムに映し出されたのは、伸びるに任せっぱなしの無精髭に癖だらけの髪。それと、黒いサングラス――は無く、長い睫毛に縁取られた大きな目をした男。額には玉のような汗が浮かんでいる。
『ああ、やっと出た!』
安心しきったその笑顔、低い声は正しくイーライのそれだが、初めて見る同居人の素顔のせいで、幾分か頭が混乱してしまっている。
「あれ、あんた、イーライかよ?」
エドが俺の肩越しからキューブを覗き込むような形で、俺の心の内を代弁してくれた。
『当たり前だろ。俺が誰に見えるっていうんだ』
「えっと……じゃあ、なんで俺達映話出来てんの?」
『え?ああ、これ、キュイハン社の回線使ってかけてんだよ』
キュイハン社にいるという事は、やはりこの男はイーライで間違い無い。サングラス一つでこんなに印象が変わるとは思わなかった。
会社の回線まで利用出来る、つまりそこのシステム全体が持ち直したと捉えていいだろう。例の遠隔操作によって、ロボット達も動きを止めたに違いない。
「流石キュイハン、って感じだな」
横目でエドを見やると、元御曹司は不満気に鼻を鳴らした。
「もうあそこの名前を名乗るのは二度とごめんだからな」
『なあ、ジョン、エド、無事かよ?』
まるで縋るかの様な同居人の声。まだ異常事態の緊張を引きずっているらしい。
「ああ、無事さ。お前のおかげで命拾いしたしよ」
イーライは一瞬きょとんとした後、こちらが礼を言ってやったにも関わらず、悔しそうに顔を顰める。
『……本当に、すまねえな』
ホログラムで出来た手が、まるで俺の顔を撫でるかのような形で伸ばされる。イーライのキューブには、俺の頬の傷も一緒に映し出されているに違いない。本当に俺の事、心配してたんだ。多分、自分の心が引き裂けそうなぐらい。その時、エドが俺の肩を抱いて、キューブに浮かび上がるイーライに笑って見せた。
「何シケた面してんだよ。丸く収まりゃ、それでいいだろ?」
俺らしく無かった。一瞬とはいえ、なんと声をかければいいのか分からない、だなんて。そうだ、エドの言う通り。俺達はちゃんと生きていて、再びこうして顔を合わせる事が出来たじゃないか。それだけで上出来だ。
イーライもエドにつられるように、漸く笑った。最初はおずおずと、でも徐々に、身体中に「嬉しい」が広がっていくかの様に。
『そうだったな。俺達は、無敵だ』
『感動のフィナーレ、って奴だね』
イーライの隣からひょっこりとジャックが割り込んで来る。
「元はと言えば、全部お前が引き起こした事だろうが!」
イーライに叱られたジャックは「しまった」とでも言うように死角に隠れて、ホログラム上から消えてしまった。
「なあ、イーライ、エドも」
イーライが「何だ?」と身を乗り出し、エドもきょとんとした顔で見つめ返す。やっぱり俺らしくも無く、急に照れ臭くなって、何でもない振りをしようかとも思ったが、この二人ならば、逃げる事は絶対に許してくれないだろう。だからその言葉をなるべく早くに遠くへ流してしまう為に、目を逸らして吐き出すみたいな恰好で、俺の正直な胸の内を打ち明ける。
「その。楽しかったな」
一瞬、誰も何も言わず、熱が耳を這い登って来るのを感じたその時、二人がほぼ同時に「おう!」と返事したものだから、思わず吹き出した。それが火種となって、三人で馬鹿になったみたいに大笑いした。夜空に吸い込まれるように響き渡る俺達の笑い声を聞きながら、どうしようもなく楽しくなって、底の無い幸せに放り出された感じがする。だがやがて、その笑い声も名残惜しそうに余韻を引きずりながら消えていった。
『じゃあ、俺もそろそろ、そっちへ帰るよ』
余韻も姿を潜めた頃、イーライがどこからともなく取り出してきたサングラスをかける。いつも通りの、俺の同居人が戻って来た。それと同時に、またいつも通りの日常も戻って来た気がする。
「ああ、気を付けろよ」
映話を切って、ふと空を見上げた。動かなくなったロボット達が織り成す、凄惨たる風景を、月の光が静かに照らしている。そのコントラストの不釣り合い具合が、俺を取り巻く日常と似ている気がした。
――施設で孤独に暮らしていたイーライの上にも、家を出たいと願っていたエドの上にも、月は何も言わずに、俺達を平等に見下ろしていたんだろう。妙な紆余曲折を経て、今は、三人揃ってそれを見上げてやる事が出来る。
――こういう青春も、悪くないのかもしれない。
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