19. エドモンド……キュイハン?

「イーライ……!」

 モップを投げ捨てて、立ちはだかるエドをすり抜け、足をばねにしてエレベーターへ一直線に走る。まずい。エドに気を取られすぎた。全速力を尽くしてエレベーターに飛び乗ったのに、なんとエドも扉が閉まる直前に無理矢理乗り込んできた。

「何で着いてくんだよ!」

「あんたらを助けたいからさ!」

「答えになって無いだろうが!」

「答えになってるだろうが!」

 機転の利いた返しが思い付かず言い返しそびれていると、やがてエレベーターが三階に到着したことを告げ、のんびりと扉を開く。その隙間に俺とエドがねじ込むような具合に突っ込んだから、二人して床に倒れこんだ。が、俺はすかさず立ち直ってベレスフォードの部屋へ――

「待て、ばか!」

 右足が進行方向とは逆に引っ張られ、再び地面へ舞い戻るハメになり、顎をしたたかに打つ。がちん!と歯がきれいに噛み合った音が脳内に響き渡った。

「うぐぐ……」

「抜け駆けするな!俺も連れていけ」

 顎の痛みに呻いている俺に構わず、エドはなおも右足を放そうとしない。右足を振ってみても押してみても引いてみてもしぶとい事に離れやしない。

と、その時遠くの方でドアが乱暴に開かれる音がした。ベレスフォードに違いない。途端に右足が軽くなり、立ち上がったエドが俺をまたいで音の方向へ走り去る。

「こら、おい!」

 慌てて後を追うと、廊下のど真ん中で数メートルの距離を保ち、二人が向き合っていた。エド越しに見えるベレスフォードは明らかに動揺していたが、俺を見つけるとサングラスの奥から「こいつは誰なんだ?」というアイコンタクトを送った……のだと思う。

「……お前がキルロイ、だな」

 低められたエドの声には、自身の助けを受け入れてくれない事に対する憤慨がにじみ出ている。

「あー、えっと……」

 対してベレスフォードは気まずそうにもごもごしつつ、必死に適切な行動の判断を仰ぐアイコンタクトを俺へ送り続けている……ように見える。エドが既に自分を知っているという事が分かったものの、エドの正体が分からない限りそれを認めたくないんだろう、そうして然るべきだ。ベレスフォードに「何も言うな」とサインを送ろうとして、突如こちらを振り向いたエドに早速バレた。

「ああもう!俺にもあんたらにも時間が無いってのに!」

 廃墟の住人の間で哀れなエドは地団太を踏んでいたが、やがて覚悟したように再びベレスフォードを見据えた。

「分かった。これは俺の予想だけど、この名前を聞けばあんたらもちょっとは俺を受け入れてくれるんじゃねえの」

「あー……」

 ベレスフォードが不安気な視線を再び俺に投げかけるので、代わりに答える。

「分かった。言ってみろよ」

 エドは「よし来た」と言わんばかりの得意げな表情を浮かべ、俺とベレスフォードの両方に目をやる。仰々しく数回咳払いしてから、わざわざ意味ありげな間を置き、満を持して口を開いた。

「ジャック・ベレスフォード」

「はア?!」

 俺の頭の中では疑問符の嵐が渦を巻いているものの、同居人の中では確実な手応えがあったらしい。素っ頓狂な声を上げたままの表情で固まってしまっている。ジャック・ベレスフォードだと?すると、そいつはこのイーライ・ベレスフォードの家族か何かだと言うのだろうか。それとも生き別れた兄弟だとか、まさか隠し子だったり……?

「お前、名前は?」

 俺が脳内で推理を繰り広げている間に落ち着きを取り戻したらしいベレスフォードが、驚いた事に自らエドの元へ歩み寄る。

「……エドモンド」

 エドは迫る大柄なベレスフォードから気後れしたように後ずさりしつつ、ぶっきらぼうに名乗った。その後、ベレスフォードの眉が意外そうに吊り上がる。そして、一瞬の妙な間。

「エドモンド……キュイハン?」

 ……今、誰がエドのフルネームを口にしたんだ?ぎょっとしたのはエドも同じようで、ぽかんとした顔を俺に向けている。という事は、今の発言はベレスフォードのものだ。その証拠とでも言えばいいのか、謎多き同居人は、俺達の狼狽える様を見て愉快そうな笑みを浮かべている。何故、ベレスフォードはエドのファミリーネームを知っているんだろう。

「お前も随分大きくなったなあ……。一緒に"冒険"してた頃は、あんなに小さかったのに」

 エドは完璧に打ちのめされたかのように目を見開いた。エドと、"冒険"、だと?昨晩の夢が再び脳裏に蘇る。それは俺、もしくはエドの思い出である筈なのに、何故ベレスフォードがそれを口に出来る?エドの何を知っているというんだ?

「まあ、例えお前らが覚えてなくても、今は『久し振り』と言っておくよ」

 それからベレスフォードは、何事も無かったかのように踵を返して廊下を進んでいく。途中で俺達を振り返り、名前を呼ぶ声が聞こえてから漸く自分の体が動き出す。慌てて後を追いかけようとする俺をちらりと見やってから、ベレスフォードは再び廊下を歩きだした。ただ、エドだけがまだ呆気に取られた時のままでそこに佇んでいる。……そうなる気持ちはよく分かる。俺だって、さっきのベレスフォードの発言のせいで、目には見えない疑問符が周りを飛び交っている。だが、今はこんな事に気を取られている暇は無い。というかそもそも、同居人のああいった含みのある言い方は日常茶飯事だ。

「おい!お前が俺達を助けると言ったんだろう」

 やがてエドも、まるで何かに憑りつかれたかのようなぎこちない足取りで俺と並んだ。オイルの切れたロボットさながらに首をゆっくりと俺の方へ向ける。

「……お前はジョンで、あいつはイーライだ」

「何当たり前の事……何だ、お前、"キルロイ"の本名知ってたのか」

 エドの脳は完全に自分だけの世界に引き籠ってしまい、俺の声は聞こえていないようだ。ここでは無いどこか一点を見つめながら、「そうか、そりゃあ久し振りだ」とうわ言の様に繰り返して、そのまま俺の横をとぼとぼと通り過ぎて行く。

「久し振りだよ、全く」

 結局、俺が一番最後に二人の後を追った。

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