18. ねえ、ここのリーダーっているんでしょ

 心臓が胸を突き破りそうな程高鳴って、体が後からそれに追いついてくる。カーテンを閉め忘れていた部屋には既に朝日が差し込んでいた。それと、けたたましく鳴り響くベレスフォードからの外線の呼び出し音。布団を跳ねのけて応答する。

「……あい」

『よう、ジョン、あのな、侵入者だ』

 途端に焦点が急に合う。意識が研ぎ澄まされる。まさか、もう廃墟の防御壁が切れてしまったのだろうか。

『すんげえ怖いから、俺の部屋まで来てくんねえかな』

「今そいつどこにいる?」

『駄目だ、分からん。家のシステムは死んでいく一途を辿ってるから』

 それなのに俺に来いと言うのか、この男は。その侵入者とやらは、おおかた政府の人間だろう。確かに、俺より先にベレスフォードが捕まってしまっては折角の計画がおじゃんになる。ていうか俺も捕まりたくないし、この広い廃墟に身を隠すならば、同じ場所にいた方が見つかる確率はかえって低くなるだろう。

 すぐに行くとベレスフォードに伝えて外線を切り、部屋を出る前にとりあえずモップを簡易武器として手に取る。呼吸を整えて、力に任せてドアを開いた。

「わあっ?!」「ええっ?!」

 激しく鈍い音と衝撃に我に返った。反射的にモップを力いっぱい振り回し、それが見事にヒットしたのだと漸く気が付く。目の前の見慣れない人間――栗色のぼさついた髪をを一つにまとめ、頭を抱えて呻いているこの男が侵入者に間違い無いが、薄っぺらくてひょろっとしたその体躯、ぶかぶかの洋服、政府の人間というには余りにもラフだ。

「一体何の用だ」

俺の声に反応して、栗色の髪の男がそろっと顔を上げる。モップを持つ手に力が籠る。涙に歪んでいるものの、はっきりとした灰色の瞳、そばかすの散った白い顔、その顔が見る見るうちに驚愕の表情へと移り変わっていく――途端に頭の奥底で燻っていた記憶、昨晩の夢、そしてあの朝、サングラスを外した"ネイビー"の顔が表面の方へ引っ張り出されて、目の前の男の顔と結び付いた。

「エド!」「ジョン!」

 エドモンド・キュイハン。そこそこ数がある俺の知り合いの中では珍しく、親友と言い切れる数少ない人間。その名前が示す通り、あの大手企業「キュイハン社」の御曹司であり、子供の頃に頻繁に遊んでいた「年下の友達」その人。俺は何故、こいつの事を忘れていたんだろう。あの頃は放課後になると、必ずと言っていい程一緒にいた仲間の一人なのに。

「良かったあ。やっぱここにいたんだな」

 何気なしに腕を広げて俺に抱きつこうとしてきたのでそれを避けつつ、とりあえずモップを床に置く。

「なんでここが分かったんだ」

「依頼主が教えてくれたから。凄いね、今までただの空地かと思ってたのに、教えてもらったら本当にここが見えるようになった」

 エドの口ぶりからするに、まだほんの一握りの廃墟の防衛機能は残っているららしい。しかしそれも今日中には消え去ってしまうだろう。

 「依頼主」――これで、エドが"ネイビー"である事が明らかになった。あの時の彼女――いや、彼の思い出話への不可解な共感も、正体が分かった今なら納得できる。あの思い出は、俺の思い出でもあった訳だから。

「あの時、よく俺の事分かったな」

「当たり前じゃん。顔がちっとも変わってないし。それにお前レベルの小柄な奴ってそうそういないよ」

 このややむかつくものの言い方、それこそ昔のエドと変わってなかった。この背の小ささはツシマ・ファミリーが代々受け継いできた、誇るべき身体的特徴だというのに!

「俺はお前の事、全然分からなかったよ」

 ありったっけの皮肉をこめて言ってやった。

「そりゃあね。上辺だけでも性別を偽るってのは、身を隠すのにいい方法なんだよ」

 つまり、こいつは今、普段から身を隠さなければならないような業界にいるという事だ。そうでも無ければ、あんな風に違法なチップを引き渡す仕事なんて引き受ける事は出来ない。それにしても、あのキュイハン社の御曹司がこんな事をしていていいのだろうか。

「ねえ、ここのリーダーっているんでしょ」

「は?何の事?」

「『僕ら』のターゲットのこと」

 エドが短く笑い、あの時の別れ際にやってみせたような口の歪まし方をする。朝の和やかな日差しが投げかけられる廊下で、あたりの空気が急に張り詰めたようだった。『僕ら』――エドは、雇われ人なのだ。

「会う価値もねえよ、あんなヘタレ野郎。ここでお引き取り願えるか」

 再びモップを拾い上げ、いつでも殴り掛かれるように身構える。対してエドは両手をだらりと下げ、突っ立ったままだ。

「頼むよ、ジョン。俺はお前を、助けたいんだ」

 少し掠れた声、あの時の女装姿が思い起こされる。エドは親友だが、こんな状況にあっては最早何も信じられなかった。はっきりと俺達の敵だと分かっては尚更だ。しかしエドは一向に行動を起こす素振りを見せず、俺は相変わらず行き場を失いつつある敵意を体の中で固めている。やがて、エドが小さくため息をついた。

「ジョン……もう、八時だ」

 あ、忘れてた。そう思った瞬間、部屋の扉の向こうから内線がけたたましく鳴り響いた。

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