2. 家のシステム

 この国において、「家」は生きる術そのものと言っていい。何故なら、家を一つ買えば、個人の土地、それと水道や電気といった光熱の類、インターネットを楽しむ為の回線等々、生活の全てがセットになっているからだ。そしてそれらは、家に組み込まれたメインコンピューターが管理する事になっている。だからこそ、家の購入には様々な法律が定められている。

 しかし、基本的なルールは至ってシンプルだ。一つ、家を売る事が出来るのは、それぞれの地方を管轄する政府の機関のみ。二つ、家を買う為には、そこの町、あるいは市の「住民票」――この辺では、「キューブ」と呼ばれる小さな箱型のコンピューター――が必要。知っておくべき事はそれぐらい。

 しかし、どこの町や市でも同じ暮らしが出来ると思ったらそれは大間違いだ。なんと忌々しい事に、この国では使える水道や電気の限度が、住む場所によって大きく異なってくる。これにより生じる格差の悲劇に巻き込まれる前に、住む――もとい、家を買う場所は、これでもかというぐらい熟考を重ねておいた方がいい。

 ベレスフォードと俺だが、この問題には全く無頓着だ。実はこのビジネスホテルの廃墟、厳密に言うと、俺は勿論の事ベレスフォードの所有物ですら無い。「誰の物でも無い」のだ。当たり前だ、政府と契約をして手に入れた訳では無いのだから。

 原住人であるベレスフォード氏曰く、かつてこのあたり一帯はリゾート業が盛んだったらしい。確かに海は歩いてすぐの所にあるが、今はそんな夢の残りカスすら感じさせない、うらぶれた貨物船の出入り口となり果ててしまった。

 そんなリゾート業の一環として建てられたのがこのビジネスホテルであり、当時はそこそこ繁盛していたそうだ。「ビジネスホテル」とは名ばかりで、そりゃあ明らかにリゾートで休暇を消費しに来た客向けに商売していたんだろうから、当たり前だ。

 そして時は流れ、「リゾート」という概念そのものが廃れてしまった今、たまたまこの廃墟を見つけたのがベレスフォードだ。

 驚いた事にこいつはどこで鍛え上げたのやら、謎の根気強さと類まれなる能力を発揮して、自身で「家のシステム」を作り上げてしまった。

 まずはこの地区――M-50地区の水道、電気、ガスを管理している「生活管理課」のコンピューターをハッキングしてビジネスホテルの息を吹き返させ、インターネット等通信する物の拠り所となるネットワーク環境を自力で整えて、仕上げにこの廃墟自体を特殊な防御壁で囲ってしまった。

 それはすなわち、「M-50地区42丁目30番地に、ビジネスホテルの廃墟がある」という事実を知る人のみが、この廃墟に接触出来る、という事を意味している。それを知らない人間は、廃墟に入る事はおろか、それを見る事すら出来ない。

 かくして、世間的にも家のシステム的にも、完全に独立した彼だけの城が出来上がった。

 ただし、大きな弱点が一つ――それは、この街の戸籍データ上に「イーライ・ベレスフォード」の名が存在しない事。つまり、ベレスフォードは、小型コンピューター「キューブ」を持っていないのだ。

 このキューブという名の住民票は、M-50地区が属する「オスメント市」住む権利を象徴しているのと同時に、誰かと連絡を取り合ったり、クレジットカード代わりにもなったり、普通のコンピューターよりは劣るものの、何かをインターネットで調べたり出来る優れもので、生活の必需品と言える。

 ……だが、キューブは決していい事づくめの代物ではない。実はこれ、GPS機能を搭載していて、ある程度の行動は政府に把握されているらしい。俺のキューブもそうだったが、同居人に改造させられて、今はその機能を強制的にオフにしている状態だ。勿論、この行為は犯罪だが、同居人が「政府に何か知られちゃまずい」と勝手にやった事だから、俺に非は無い。

 一応ベレスフォードも、見た目も機能もよく似た「似非キューブ」を自作し愛用しているが、それは住民票の代わりにはならない。

 キューブは、M-50地区に住んでいるのならば、政府から支給される筈だし、違う場所の生まれだとしても、「ここに住む」という契約を結んだ時点で手に入る物だ。こいつは今、ここで暮らしているにも関わらずそれを持っていない。だからこいつの素性――どこで生まれ、どこで育ち、どこからここへ来たのか――は一切分からない。

 俺もこのおかしな同居人の過去を引き出そうと、虚しい努力を試みた事は何度かあるが、ベレスフォードがそれを打ち明ける事はとうとう無かった。面白い奴であるのは間違い無いのだが。

 とにかく、この廃墟を生活の場所に仕立て上げる過程がそもそも犯罪なのに、住民票を持っていない人間が住処を持っているとなると、話が非常にややこしい。

 そんな訳でベレスフォードは、滅多に外を出歩かない。もし仕事の取引がこの廃墟以外で行われるというのなら、俺が代理で行く事になっている。まあ、いつもいい思いをさせてくれてるんだし、それぐらいは手伝ってやらない事も無い。

「で、お前にはこのチップを受け取ってきてほしいんだ」

 ほら、例えばこういう事だ。ベレスフォードはモニターを元の位置に戻した。

「何だよ、依頼人がわざわざ出向いてくれるっつうのか?」

「いや、どうやらやっこさん、代理を立ててあるらしい。そいつから受け取ってくれ」

 ベレスフォードがまた別のモニターを操作すると、俺の真後ろにあった機械が妙な音を立てた。機械に疎い俺でも分かるような、古い型の所謂「コピー機」という奴が、地図を一生懸命吐き出している。

 ピーッと単調な音が鳴ってから、それをちぎり取った。大体ここから徒歩で十分程度の広場に赤丸が付けられている。そこが待ち合わせ場所なのだろう。倉庫が立ち並ぶ海の近くで、バイト先とは真反対の方向だから、馴染みはそんなに無い。

「代理人の特徴は?」

「俺も聞いたんだが、人気のない広場だから行きゃあ分かるだろの一点張りでなあ」

 毎度の事ながら怪しい話だ。これでもしその代理人とやらが殺人鬼で、俺が刺されでもしたらこいつはどう責任を取ってくれるつもりなのだろう。まあ、これまで幾度となくベレスフォードの仕事の片棒を担いできて、そんな事はただの一度も無かった訳だが。

「はん、そうかい。で、いつ行けばいい?」

 ベレスフォードははたと動きを止めた。次いでそうっと電子メールの画面を覗き込み、壁にかけてあるアンティークな数字盤時計を見上げた。その恰好のまま、「九時、五十分」と呟く。時計は九時四十五分ちょっと過ぎを指していた。まさか――血が頭に上る感覚、「嫌な予感」が俺の脳を満たした。

「それ、今日の話?」

 ベレスフォードの顔から、血の気が引いていく様が見て取れる。それから一呼吸置いて、小さく頷いた――

「先に言えよお!」

 気持ちが慌てるより先に俺の体がベレスフォードの部屋を飛び出す。ベレスフォードの「すまねええ」という情けない声も、すぐに廊下の奥の方へ吸い込まれていった。

 この手の商売の客は、表沙汰に出来ない事情を持つ人間が多い故に、何事にも慎重過ぎるぐらい慎重な奴らばかりだ。だからどんな些細な事が仕事を失うきっかけになるや分かったものでは無い。

 いくら一度で大金を稼げる仕事とはいえ、ミス一つが文字通り命取りになるという事だ――ベレスフォードの稼ぎ口は、これしかないのだから。

 そしてそれと一緒に、ベレスフォードに寄生し、甘い蜜を吸いまくっている俺もまた、連鎖式に命を落とすことになる。

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