Peeps ピープス

五十川マワル

1章 さあ仕事だ

1. 起きろっつってんだ、コラ!

 空き室だらけのビジネスホテルだが、そいつの部屋は一目で分かる。付近の廊下からドアの前まで、表札代わりに多種多様なゴミが散らばっているからだ。巨大な空き箱、茶色い熊みたいな獣をかたどった置物、元々は椅子であったであろう物……。俺はそれらを蹴飛ばしつつ、軽くノックした。

「おーい。朝だぞ」

 六秒ほど経って、物音一つしない。もう片方の手のコーヒーカップに気を遣いながら、もう一度ノックする。反応は無かった。

「起きろっつってんだ、コラ!」

 ガツン!と忌々しいドアに蹴りを入れてやりたいところだったが、スリッパしか履いてなかったので大した衝撃は与えられなかった。それがますます頭に来る。

「ベレスフォード!起こせと言ったのはお前の方だろうが!」

 昨晩、「『仕事』があるから」と俺にモーニングコールを頼んできたのは、何を隠そうこの同居人自身だ。そうでなければ、バイトの日でも無いのに、わざわざ朝六時に起床し、食堂でコーヒーまで用意してやって、こうして三階まで下りてきてやる訳が無い。にも拘わらず、当の本人はいまだ眠りこけている。対してこちらは朝食はおろか、一服すら出来ていない。つまり、非常にイライラしやすい状況に置かれているという事。

「起きろって!」

 衝動に身を任せて握りこぶしをドアに叩きつける。空っぽの廊下で音がよく反響し、哀れなコーヒーが少しこぼれた。それから数秒遅れて、ドアの向こうから引きずるような足音が近づき、蝶番を軋ませながら漸く部屋が開かれた。その隙間から長身の男――同居人、イーライ・ベレスフォード――がぬうっとのび、真っ黒いサングラスの奥から俺を見下ろす。

「おはようございます、旦那様。昨晩はよくお眠りになられましたでしょうか」

 嫌味たっぷりに言ってやると、ベレスフォードは何やらもごもご呟きながら、ドアの角度を広げて部屋の中に戻っていく。入れということらしい。

 壁を無理やりぶち抜いて、客室三つ分を一つの部屋に仕立て上げているというのに、狭苦しく、かつ息苦しく感じるのは、所狭しと置かれた機械の群れのせいである。時代の最先端を行くキュイハン社製の物もあれば、いつの時代の物なのかも分からないような古臭い機械までも最大限に活用されている。部屋の天井を埋め尽くしそうな程の数のモニターがあちこちから伸び、こんなにもいい天気だというのに、それらも負けじと光を放っていた。最も、ベレスフォードの部屋は年がら年中カーテンを閉め切ってあるので、外が晴天だろうが大嵐だろうがいつだってこんな調子なのだが。

 部屋の中の不健康な眩しさに目が慣れると、機械の群れ達が専門的な業務に従事している途中であるらしい事が窺える。そこら中に転がっているドリンク剤の空き瓶達がそれをしっかりと証明していた。ここにある全ての機械の指揮を執る事こそがベレスフォードの「仕事」だ。

 俺にとっては完全に興味の無い世界だから詳しい話を聞こうと思った事すら無いが、何でもこいつはこの部屋にある物で出来る事なら何でもやるらしい。例えば、その辺の修理屋では取り合ってすらくれないような怪しい機械の修理から、住所・氏名・カード番号といった個人情報の窃盗まで、受け付けている仕事は非常に雑多で幅広いらしい。ただし共通しているのは、どれも「合法では無い」という点。仕事とあらば、時にはお国の大事な秘密事まで盗むことも厭わない……とベレスフォード本人が言っていたので、これに関しては眉唾物だと俺の中で片を付けている。

 だがこいつの仕事の腕と稼ぎ高は信じていい。同居人がこうして少々手荒い方法で金を稼いでくれているからこそ、俺はこんなうらぶれた工業地帯で、定職に就かずして悠々自適な生活を送る事が出来ている。

 当の稼ぎ頭であるベレスフォードは、俺から温くなったコーヒーを受け取ると、部屋の隅のソファの上に腰を下ろした。

「順調?」

「……ん。一件、終わらせた」

 声を出しているというより絞り出しているといった感じで、コーヒーをゆっくり啜る。それから熊が雄叫びをあげる時のように大きく口を開け、長いあくびを一つした。こいつの仕事は言ってしまえば犯罪なのに、この呑気さはいったい何処から湧いてくるのだろう。

「でもお前、今日も仕事あるんだろ」

 ベレスフォードが口を開きかけたその時、機械の群れの何処かから軽やかな着信音が流れ始めた。途端に同居人は先程までの気だるそうな動作と打って変わってバネのようにソファから立ち上がり、天井から生えているモニターの一つを手繰り寄せて覗き込む。それからまた別のモニターを引き寄せてみたり、他の機械に何事かを打ち込んだりした後に「噂をすれば」というような意味の言葉を呟いた。

「うん、その事なんだがな。頼みたい事がある」

 こちらを振り返ったその顔には、寝起きのむさ苦しさは既に消えていて、声には普段の張りが戻って来ている。ワーカーホリックが、漸くお目覚めになったらしい。それはありがたい事なのだが、「頼みたい事」が非常に気掛かりだ。俺自体はバイトをいくつか掛け持ちしているぐらいだから、少しばかりお遣いを頼まれた所で大した支障は無い。しかし、ベレスフォードの仕事の性質上、そのお遣いは非常に面倒くさい事が多い。仕事の内容は気軽には人に話す事が出来ないし、こちらの素性を相手に知られてはいけないからだ。探られてしまうような隙を見せるのも、勿論アウト。犯罪の片棒を担がされているのだから、当たり前なのだが。

「何だよ、俺は高くつくといっつも言ってるだろうが」

「またタバコ買ってやるから。な、頼むって」

 ベレスフォードはまるでその言葉が決め台詞であるかのようににやりと笑った。

 タバコに関する規制が厳しくなり始めたのは、俺が生まれる数年前だと聞いている。それから俺の成長に合わせて徐々に取り締まりが強化されていき、今では愛煙家という存在は絶滅してしまったかのように思われた――だが、それは違う。例えばここにも一人――ジョナサン・ツシマという男、つまり俺も、数少ない現代のタバコ愛好者の一人だ。ただしこの「時代遅れの薬物」、そんな歴史を辿っているという事もあり、俺が知る入手ルートはこの風変わりな同居人、ただ一人なのだ。ベレスフォードもそれをよく心得ていて、これさえ言っておけばジョンという男は仕事に協力してくれる物だと思っている節すらある。腹立たしい事に、その通りなのだが。

「んー、四箱で勘弁してやる。今度は何すりゃ良いんだよ」

「よし来た、これを見てくれ」

 そう言ってモニターの一つを俺の方へ引っ張って来た。画面には電子メールのやり取りが映し出されており、匿名の人物から「キルロイ」――ベレスフォードが好んで使うハンドルネーム――へ仕事を依頼する文面が表示されていた。えらくへり下った様子で、急な依頼を申し訳なく思う旨、この件は少なからず違法性を孕んでいるから頼めるのはキルロイ、つまりベレスフォードしかいないという事がつらつらと書かれている。

「チップを修理してほしい、だって?」

「うん。今時この手の媒体を使っている奴がいるなんて夢にも思わなかったぜ」

 チップ――大昔によく使われていた記憶媒体……という事ぐらいしか知らない。さすがのベレスフォードも実物を目にした事は無いようだ。つまり、今回の仕事はこいつの知的好奇心を満たしつつ、依頼人の困窮も解消出来るという、お互いに利益になるような内容らしい。

 この電子メールによると、依頼主はクラシカル志向にあるようで、家のシステム管理をメインコンピューターでは無くこのチップに収まったデータで行っていたらしい。勿論家の持つ機能をフル活用したいのならば、もとから埋め込まれているであろうそのメインコンピューターを用いる方がはるかに合理的だし、そもそもこの地区の条例でそう決まっているはずだ。でもそれは、依頼人の主義に反する事なのだろう……。全くもって、俺には理解出来ない。

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