吉原遊郭


 中学三年生の時に読んだある漫画の影響で吉原遊廓を調べて始めて、いつの間にか資料の本が増えていき、詳しくなったり花魁というものがとても好きになりました。

 今は残っていませんが、吉原遊廓があった場所に行ったり、遊女の死体を投げ込んだと言われるお寺に行ったりしました。

 遊女は吉原の以外にも全国にあるたくさんの花街にいましたが、今回は東京の吉原遊廓について絞ってご紹介します。(性的な表現がたくさん出てきます。それを踏まえてご覧ください)


 初めに、単語紹介! 吉原遊廓は閉鎖的な場所だったので、特殊な単語がたくさん存在します。私が吉原について調べ始めたばかりの時、出てくる単語が一から十まで全部わからず、資料を読んでて出てきた単語を別の資料で調べる、という事をしていました。一日かけて三ページほどしか進まずに地獄だ、なんて思ったりもしてました。

 詳しく単語を書くとなるとものすごい長さになってしまうので、私が選んだ単語に絞ってご紹介します。私もまだまだ勉強中なので、拙い説明になってしまうと思いますが、温かい目でお読み頂けると嬉しいです……。




【花魁】おいらん

 花魁と言えば、高い下駄を履いて豪華で華やかな着物と帯、簪をたくさん刺した髪の高級遊女のことだけをいう言葉と思う方も多いと思いますが、花魁は遊女全員を指す言葉です。けれど、江戸時代の吉原遊廓では花魁と呼ばれるのは高級遊女(宝歴期以降)だけでした。当時の最高位の遊女は呼び出し昼三と言います。

 呼び出しになるのはひと握りの遊女だけ。美貌はもちろんのこと、書道、古典、和歌、筝、三味線、囲碁などあらゆる教養や芸事ができなければなれませんでした。今風に言うと、美人で勉強もできて、運動もできて、ゲームも強い、そんな女性です。

 花魁が着飾り、遊郭内を練り歩く花魁道中は花魁が禿や振新を連れて、お客を迎えにいくパレードのようなものでした。外八文字という独特な歩き方をします。外八文字を習得するには、三年以上かかるそうです(髪が約四㎏、服もかなり重くて全部で二十キロ強、そして高下駄も約四㎏。重い物を身に着けながら美しく歩かなければいけないので、年数がかかるのも納得)


【禿】かむろ

 十歳前後の女の子を指す言葉です。禿の中でも優秀な子を楼主の元に預け、高級遊女になるためにたくさんの教養を教えられます。この禿は引っ込み禿と呼ばれます。なんで禿と呼ばれるかは調べてみてね。

 名前はみはまやまはまなど、平仮名3文字の名前が多く付けられていました。


【振袖新造】ふりそでしんぞう

 略して振新。十五〜十六歳の女の子。高級遊女になることを約束された、将来有望な遊女を指します。お客を取ることは基本的に御法度ですが、姉女郎の花魁が許せば振新でもお客を取ったそうです。

 花魁に付き色んなことを学びました。花魁のお世話も振新の役目です。


【留袖新造】とめそでしんぞう

 振新になれなかった遊女や、売られてきた年齢が遅く禿になれなかった遊女を指します。 振新と年齢はそんなに変わりませんが、お客を取っていました。

 振新と同じところは、姉女郎の花魁がいること。花魁に付きながら遊郭のことを学びました。


【楼主】ろうしゅ

 遊女たちの雇い主。遊郭の主。忘八とも呼ばれます。


【若い衆】わかいしゅう

 遊郭内で働く男の人を指します。


【お歯黒溝】おはぐろどぶ

 吉原遊廓を囲う堀のこと。遊女達が付けるお歯黒を洗うことからお歯黒溝と呼ばれていました。


【総籬】そうまがき

 大店とも言います。格が高い遊郭のこと。こういう位の高い遊郭は茶屋を通さなければ、入ることができませんでした。 一見さんお断り。


【吉原遊廓】よしわらゆうかく

 今の台東区千束三丁目、四丁目にあった江戸幕府唯一公認の遊郭街。今の私たちが吉原と聞いて思い浮かべるのは宝暦期以降から明治維新までの約百年間。

 周りをお歯黒溝に囲まれ、入口は大門だけ。

 遊郭内では男の身分などは関係なく、侍は野暮だと笑われることも多々あったそうです。町人の方が大枚はたいてくれるお客が多かったようです。

 真ん中に大通り、大門から見て左端に羅生門河岸、右端に西河岸。

 多い時には一万人が吉原遊廓内で生活していました。

 吉原遊廓は一度移動して千束に作られたので新吉原とも呼ばれていました。移動前の旧吉原は東京の中央区日本橋人形町辺り。


【郭言葉】くるわことば

 ありんす、しておりんす、など遊女が使ってる独特な言葉。ありんす言葉とも言われます。

 吉原遊廓には全国から女の子が売られてきていたので、その方言を隠すために使われたと言われています。 時代や店で違いがありました。


【年季明け】ねんきあけ

 遊女は体を売るのが仕事なので長い期間はできませんでした。 なので、二十七歳以降は遊女を卒業と決まっていました。ですが、年季を守っていた遊廓はそれほど多くないと思います。

 不衛生な環境のせいで年季明けの年齢まで生きられた遊女は数少ない。


【身請け】みうけ

 お客に買われること。買われた遊女は妾などになって生活しました。

 吉原を出る方法は身請けされるか、年季が明けるか、逃げ出すこと。逃げ出しても大抵捕まり、折檻などの酷い目に遭いました。




 単語はこれぐらいにして、次は有名な遊女の紹介。遊女は本名ではなくて源氏名と呼ばれる名前を名乗って仕事をしていました。

 吉原と言えば〜の宝歴期より前の遊女達を紹介しますが、それまでは高級遊女を花魁ではなく太夫と呼んでいました。ですので、ここからは花魁のことを太夫として紹介していきます。

 ちなみに、花魁と太夫の違いは体を売るか芸を売るか。


【勝山太夫】

 元は湯女(風呂に務める遊女)と言われています。吉原以外での売春は禁止されていて、勝山は逮捕されてた後に吉原で遊女として働きはじめました。

 髪は自分で考えた武家風の勝山髷(丸髷)を結い、腰に木刀を挿し、派手な服を着ていたと言われています。外八文字の生みの親とも言われているとか(諸説あり)

 武家の娘だったんじゃないかと言われていますが、湯女の前に何をしてたかは一切不明。

 そんな勝山は江戸中の女性の憧れとなり、女性達はみんな勝山の真似をしていたとか。そして、勝山は吉原遊女の最高位、太夫にまでなりました。

 男勝りで型にはまらない、かっこいい革命的な女性だったんだと思います。私はかっこいい女性が大好きなので、勝山太夫のことが大好きです。


【高尾太夫】

 吉原遊廓で一番の有名人ではないでしょうか? 三浦屋の高尾と言えば、最高位の遊女として男が一度は憧れたといわれるほどの遊女です。高尾という名前は代々襲名され九代までとか、十一代までとか諸説がたくさんあるので何代までいたかは不明。私はは十一代までいたと言うていでご紹介。


一代目高尾太夫

 遊女を引退した後は、尼になったそうです。


二代目仙台高尾

 高尾太夫の中でも一番有名でたくさん逸話があります。仙台藩主の意に従わず船中で殺されたとか。


三代目水谷高尾

 身請けされたあと浮気がばれてしまい離婚、再婚したがまた離婚、再婚と離婚を繰り返して茶屋の前で死んでいたとか。なんと壮絶な人生……。


四代目浅野高尾

 武士に身請けされたそうです。


五代目紺屋太夫

 身請けされた後、駄染(だぞめ)と呼ばれる量産染色で手ぬぐいを製造。当時の遊び人の間で流行りました。長生きだったそう。五代目高尾は幸せだったのかなと勝手に思っています。


六代目榊原高尾

 武士の榊原政岑(さかきばらまさみね)に身請けされましたが、倹約令が出てるにも関わらず政岑の贅沢な振る舞いから罰を受けました。

 その後政岑は死亡。高尾は江戸に戻り尼となった。


七代目、八代目、九代目は省略! (資料が少ないから)


十代目高尾

 大名に身請けされて、長生きしたそうです。


十一代目高尾

 身請けされたが目に余る行動が多く、その後高尾という名前は襲名されませんでした。


 吉原遊廓が好きな私も全員覚えられていません。こんな高尾がいたっていう事は覚えていますが、何代目かはいつも調べなおしています。

 何代目かはわかりませんが、子供と一緒に花魁道中をした高尾がいたとかいなかったとか。私が好きな高尾は二代目の仙台高尾と三代目の水谷高尾です。




 次は避妊、性病、中絶の暗いお話。

 極楽浄土と言われてた吉原遊廓ですが、体を重ねるとどうしてもこういう問題が出てきます。


【避妊】

 今みたいに避妊具も避妊薬もありません。迷信に頼っていました。避妊に効くと信じられてるツボにお灸を行う、膣の奥に御簾紙を詰める。性行為の後に陰部を洗う。

 しっかりとした避妊が行われていなかったので、吉原は性病が蔓延しました。


【性病】

 吉原で特に蔓延した性病は梅毒。

 遊女とたちは不特定多数の男性との性行為を行います。ほぼ百%と言っていいほど、吉原遊廓の遊女たちは梅毒にかかりました。

 梅毒を持ってるお客と性行為を行う→遊女たちは梅毒を持ってる事に気付かず他のお客と性行為を行う→お客の男性は奥さんや他の遊女と性行為を行う。こうした、狭い吉原の中はもちろん江戸中に梅毒は広まっていきました。

 梅毒は猛威を奮ってから潜伏期間に入って、表面上は症状が治まります。これを遊女たちは治った! と勘違いしました。そして、一度梅毒にかかって完治すると二度とかからないと信じられていました。

 治っていない梅毒はまた猛威を奮います。梅毒は見た目が変わってしまう症状がでます。性器に塊ができたり、赤い湿疹が出たり。見た目が命の遊女たちは自分の姿が醜く変わっていくのが耐えられず、首を吊ったり、喉を突いたり、井戸に飛び込んだり、舌を噛み切ったり、悲惨な末路をたどりました。梅毒は進行が遅いので、その他の病気を併発して亡くなった遊女も多かったようです。


【中絶】

 性病などのせいで遊女たちは妊娠しにくい体質でした。とはいえ、性行為をしてるので妊娠をすることも少なくありませんでした。これは店側としてはかなりの痛手です。売り物を休ませないといけないし、当時は出産で命を落とす人も多かったそうです。そんなわけなので、中絶することが多々あったみたいです。

 今の私たちからすると危険な手術でした。堕ろすことに成功しても、体調を崩したり、亡くなったりする遊女の方が多かったと思います。




 どうでした? 吉原の暗いお話。華やかな印象が強いと思うけど、こういう事が溢れてるのが花魁たちの世界です。

 私は華やかな吉原を見て調べはじめましたが、暗いお話の方が多くてびっくりしたのを覚えています。調べていくうちにそうだよねと思いました。年季明け前に亡くなる遊女の方が多く、高級遊女になれるのもひと握り。

 吉原遊廓が消えるのは1958年、売春防止法が適用され三百四十一年の歴史に幕を閉じました。それまで、何万人もの女の子が人生を奪われたのが吉原遊廓。彼女たちへの差別的な考えが少しでも減るといいな。


ぼそっと本音 。

 本当は何度火災にあっても不死鳥のように蘇る吉原とか、高級遊女と床を共にするのにいくらかかるかとか、簪や髪型の種類、打ち掛けの値段とかとか! もっと書きたいことが沢山あります……全然書ききれなかった……。

あとですね、江戸には陰間茶屋ってのがありました。男色の人や金持ちなご婦人、夫に先立たれた未亡人が通った風俗。陰間茶屋も面白いからぜひ調べてみてね。

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