偏見による歴史解説

最上来

李氏朝鮮


 同人イベントに参加する度に歴史解説の無料配布本を作っていました。

 この文章はその無料配布を書き直したものです。


 小さい頃から歴史が大好きで、最初はエジプト、次に李氏朝鮮、その次に幕末、戦国、古墳・飛鳥時代と好きな時代や国がころころ変わってる私。その中でも今熱があるのが李氏朝鮮。古墳・飛鳥時代も並行で好きなんだけど知識がまだまだ足りないから李氏朝鮮でいきます。


 李・成桂(イ・ソンゲ)が1392年に高句麗王を廃位して自らが王となったことで朝鮮の誕生。それまでの朝鮮半島には色んな国や歴史があります。私が好きな国もありますが長くなってしまうので割愛。

 李・成桂が一代国王太祖(テジョ)で最後が二十六代国王高宗(ゴジョン)五百五年もの間朝鮮半島は朝鮮という一つの国でした。日本で言うと室町時代、金閣寺で有名な足利義満さんが南北朝を統一した時から、明治三十年、日本勧業銀行、後のみずほ銀行創立まで! 武将が刀で戦ってる時代から銀行ができるまでって考えると長い。


 これから朝鮮という国の王様たちを紹介していきます。私の好みで説明がかなり長かったり、極端に短かったりしますがご了承ください。

二十六人の王様と五百五年の朝鮮の歴史に興味を持って頂けると嬉しいです。

あと、読み方とか意味が難しいので()の中は読み方、[]の中は意味で統一します。よろしくお願いします。




第一代国王 太祖(テジョ)

 名前は李・成桂(イ・ソンゲ)朝鮮ができる前の国の武官。すごく強くて国民の信頼もあった人。

 この前の時代の王様がポンコツだから王の住んでる王宮を攻めて朝鮮という国を築いたよ。

 子供達は誰が王になるかで揉めに揉めて、殺しあったりしたものだから李・成桂は次男に王位を譲って寺に引きこもった。次男はすぐに譲位、五男の太宗が王となる。

 李・成桂の在位期間は六年。晩年はお寺で死んだ息子たちを弔っていた。

 息子の三代王太宗とは仲が悪くて何度も殺そうとしたそう。権力が絡んでくると血の繋がりなんて関係ないものですね。

 正室→二人、側室→四人、子供→十三人

 在位期間→六年、享年→七十三歳


第二代国王 定宗(チョンジョン)

 李・成桂の嫡子、次男。

 穏やかな性格で頭が良く、父と共に戦地に赴いて手柄を立てていた。

 本人は世子(セジャ)[次の王になる王子の位]になりたくなかったが、仕方なく世子になって、仕方なく王になった。

 定宗には側室との間にたくさんの庶子がいたけれど、正室との間に子供が生まれず嫡子がいなかった。定宗にとってこれは好都合。元々権力を持っていなくて弟の言いなりの王だったため、王位を弟の太宗に譲位。

晩年は悠々自適に暮らしていた。

 権力を持っていない王だったから国民からは王と思われていなかった。後に十九代国王の粛宗(スクチョン)が定宗と名を贈り二代国王と言われるようになった。

 正室→一人、側室→九人、子供→二十五人

 在位期間→二年、享年→六十三歳


第三代国王 太宗(テジョン)

 李・成桂の嫡子、五男。

 朝鮮の色んな基盤を作った。とても優秀な人でやったことが多すぎて割愛、調べて見てね。

 人としてはちょっぴりヤバめの人。王になって弟や親戚をたくさん殺した。王様とか皇帝とか、この時代に国の頂点に立つ人は色々と大変だったんだろうなとつくづく。

 王座を守るために兄弟や親戚を殺した王様は各国にたくさんいます。今の私たちから見たら考えられないけど、この時代はそんなに珍しい事じゃなかったんだろうな……。

 正室→一人、側室→十六人、子供→二十九人

 在位期間→十八年、享年→五十五歳


第四代国王 世宗(セジョン)

 太宗の嫡子、三男。

 朝鮮の王様の名前は二人を除いて宗か祖の文字がついてるよ。祖の字と付いてる王様の方が宗の字が付いてる王様より優れていたとか。

 世宗は宗の字が付いてる王様だけど、歴代王の中で一番優れていたと言われている王様。韓国の人々は世宗大王と呼ぶそうです。

 ハングル文字を作った王様で色んなものが世宗の時代に生まれました。

 前の王様の太宗が色々やらかして関係が悪くなっていた日本とも上手くやり取りしました。

 廃仏政策を進めてお寺なんかをたくさん壊した。晩年は病気がちで仏教にすがっていたそう。

 本が大好きで色んな逸話があります。

 正室→一人、側室→十人、子供→二十二人

 在位期間→三十二年、享年→五十三歳


 ちなみに正室が複数いる人がちらほらといますが、同時期に複数いたって事では無いです。

 正室が死んでしまったから新しく正室を迎えたという事です。それで複数正室がいるって書き方をしてます。


第五代国王 文宗(ムンジョン)

 世宗の嫡子、長男。

 世子の時から政治に関わる。世宗が死去し王になったけど、すぐに原因不明の病で死去。

 正室→一人、側室→八人、子供→八人

 在位期間→二年、享年→三十八歳


第六代国王 端宗(タンジョン)

 文宗の嫡子、長男。

 父の文宗が死去して十一歳で王になりました。叔父さん達に色々手伝ってもらってたよ。

 その手伝ってた叔父さんが王になりたくて廃位されてしまいます。上王という立場に閉じ込められました。

 ある学者さんたちが端宗を復位させようとしますが失敗。上王というのも廃位になって庶民にまで降格されて遠くに追放。

 王命により毒を飲みました。死体は川に流したそうです。

 ~宗とか~祖という名前は王様が死んだ後に付けられる名前です。端宗はこの名前を付けられてなかったけど、十九第国王の粛宗が端宗という名前を贈りました。

 正室→一人、側室→二人、子供→いない

 在位期間→三年、享年→十六歳


第七代国王 世祖(セジョ)

 世宗の嫡子、次男。

 甥を廃位して王になり、反対勢力をことごとく粛清した。

 病が進んだため次男に譲位、上王となった翌日に死去。

 正室→一人、側室→三人、子供→六人

 在位期間→十三年、享年→五十二歳


第八代国王 睿宗(イェジョン)

 世祖の嫡子、次男。

 李氏朝鮮で初めて垂簾聴政(すいれんちょうせい)[王妃や王の母が王の代わりに政治を行うこと]が行われた。睿宗の時に垂簾聴政を行ったのは母親。体が弱かった。

 正室→二人、側室→三人、子供→五人

 在位期間→一年二ヶ月、享年→十九歳


第九代国王 成宗(ソンジョン)

 世祖の長男(嫡子)の次男、世祖は祖父、睿宗は叔父。

 王道政治を貫いた名君。成宗の時代は文化の黄金期と呼ばれている。

 正室→三人、側室→十一人、子供→三十四人

 在位期間→二十五年、享年→三十八歳


第十代国王 燕山君(ヨンサングン)

 成宗の嫡子、長男。

 ~祖も~宗と名前がついてない王様。

 君が付いてると王様と側室との子供。ちなみに大君が付いてると王様と王妃との子供だよ。

 燕山君は嫡子だから大君が付くはずですが、廃位されて名前を燕山君にされたの。庶子じゃないよ、嫡子だよ。

 ~宗~祖という名前は王様が死んだ後につけられる名前なんだけど、燕山君はその名前がついていません。理由は燕山君が廃位された王様だから。端宗も廃位されてるけど、名誉を回復してちゃんと名前が贈られています。

 燕山君の母親は一度王妃になっていますが、すぐに側室に降格。夫である成宗の顔に引っ掻き傷をつけた罪により毒を飲みました。享年二十八歳。

 最初は父の成宗を見習って国を治めていましたが、次第に暴君と呼ばれるようになります。

 朝鮮全土から女性を集めて王宮の至る所を王の享楽の場に変えました。学問を学ぶところには妓生(キーセン)[遊女]をたくさん連れ込みました。

 燕山君に反対する者は残酷な方法で処刑。

 こんな事ばかりしていたので、臣下たちに謀反を起こされ失脚。流刑先で亡くなりました。

 側室の張・緑水(チャン・ノクス)は朝鮮三代悪女の一人、燕山君と共に国のお金で遊びまくったため斬首刑になりました。

 燕山君廃位後には王妃も廃位され、王子達は全員処刑、王女達は全員奴婢に降格。燕山君の長男は八歳、弟は五歳の子もいました。

 正室→一人、側室→十三人、子供→十七人

 在位期間→十二年、享年三十歳


第十一代国王 中宗(チョンジョン)

 成宗の嫡子、次男。

 燕山君の腹違いの弟。臣下達が王になってくださいと家に押しかけた時、燕山君が自分を殺しに来たと勘違い。自害しようとするが奥さんに止められ勘違いと気づいて即位できました。この時の奥さんとは訳あって即位後に離婚、奥さんの名前は端敬王妃(タンギュンおうひ)ぜひ調べてみてね。

 長い間王様だったけどずっと混乱してたらしい。詳しく書くと頭の中ぐるぐるすると思うから省略!

 正室→三人、側室→九人、子供→二十一人

 在位期間→三十八年、享年→五十六歳


第十二代国王 仁宗(インジョン)

 中宗の嫡子、長男。

 在位期間が最も短い王様。

 父ができなかったことをやろうと頑張ったけれど、元々体が弱かったため死去。

 正室→一人、側室→四人、子供→いない

 在位期間→八ヵ月、享年→三十歳


第十三代国王 明宗(ミョンジョン)

 中宗の嫡子、次男。

 最初の頃は母親が実権を握っていました。

 母親の弟は高い位について調子に乗っていました。その弟の妻は鄭・蘭貞(チョン・ナンジョン)朝鮮三代悪女の一人。夫の正室を毒殺した罪で捕まる前に自殺しました。

 正室→一人、側室→八人、子供→二人

 在位期間→二十二年、享年→三十三歳


第十四代国王 宣祖(ソンジョ)

 中宗の九男(庶子)の三男、祖父は中宗、明宗は叔父。

 豊臣秀吉が朝鮮に侵攻してきて戦争勃発。この戦争は日本では文禄・慶長の役、朝鮮では壬辰倭乱(イムジンウェラン)と呼ばれています。

 平和な時代が続いてた朝鮮は日本の武士に対抗できず、宣祖は首都から逃げます。

 宣祖が逃げる一行に民衆は罵声を浴びせて、石を投げつけたとか。

 次の王には嫡子をと望んでいましたが、次の王は庶子で次男の光海君(クァンヘグン)になりました。

 正室→二人、側室→九人、子供→二十六人

 在位期間→四十一年、享年→五十六歳


第十五代国王 光海君(クァンヘグン)

 宣祖の庶子、次男。

 とてつもなく個人的な意見ですが、李氏朝鮮で一番好きな王様です。

 燕山君と同じく~宗も~祖もつかない王様なので廃位されてる王様。

 父親の宣祖が次の王は嫡子をと望んでいましたが、王妃との間に子供が生まれなくて仕方なく光海君を世子に指名。長男の臨海君(イメグン)もいましたが気性が荒くて世子には向いてないと判断。

 世子を指名した後、王妃との間に嫡子の永昌大君(ヨンチャンテグン)が誕生。宣祖は永昌を世子に望んだけれど、宣祖は永昌が二歳の時に死去。二歳の子は王にはできないので世子である光海君が即位しました。

 光海君は王になると実兄である臨海君、腹違いの弟の永昌大君、甥の綾昌君(ヌンチャングン)を殺害。大妃(テビ)[先王の王妃]と腹違いの妹の貞明公主(ジョンミョンコンジュ)を幽閉。

 これらの行動の全てが光海君の決定なのかわかっていません。部下の李・爾瞻(イ・イチョム)と金・介屎(キム・ゲシ)の独断とも言われてるのであやふや。

 燕山君と違う点は政治を疎かにしなかった事。大陸情勢を見極めて中立的立場から政治を行ったり、壬辰倭乱の時から国交を断絶してた日本と和議を結んだり、世子の時には壬辰倭乱で大活躍したりしています。

 甥の仁祖がクーデターを起こして廃位、流刑となりました。

 廃位され流刑になった後、妻や子供、子供の妻は亡くなりましたが、光海君は六十六歳まで生きました。

 正室→一人、側室→十四人、子供→四人

 在位期間→十五年、享年→六十六歳


第十六代国王 仁祖(インジョ)

 宣祖の五男(庶子)の長男。

 光海君、仁祖の時は大陸情勢を見極めるのがとても難しかったと思います。

 明という大国とヌルハチという新しい国が出来て朝鮮はどっちの味方につくんだ⁉ と双方に脅されました。

 光海君は中立的立場から政治を行いましたが、仁祖は明の味方の立場で政治を行いました。その後明は滅亡。ヌルハチが清という国を建国しました。

 清としては敵国の味方だった朝鮮が気に食わず、三跪九叩頭の礼と言う手と頭を地面につけるという行為を仁祖に求めました。

 正室→二人、側室→六人、子供→十人

 在位期間→二十六年、享年→五十四歳


第十七代国王 考宗(ヒョジョン)

 仁祖の嫡子、次男。

 父親が受けた屈辱を晴らそうと軍事力に力を注ぎました。その軍事力を清にかわれて清VSロシアの戦いに参加させられました。

 正室→一人、側室三人、子供→十一人

 在位期間→十年、享年→四十歳


第十八代国王 顕宗(ヒョンジョン)

 考宗の嫡子、長男。

 情報が少ない王様です。ですが、側室が一人もいなかったっていうのがすごい。顕宗の妹の淑徽公主(スッキコンジュ)が好きです。

 正室→一人、子供→四人

 在位期間→十五年、享年→三十三歳


第十九代国王 粛宗(スクチョン)

 顕宗の嫡子、長男。

 この人は色々した王様。父親の顕宗とは対象に情報過多です。

 十四歳で即位しました。普通は母親などの年上の人に助けてもらいますが、それをしないで直接政治を行いました。

 政党でたくさん揉めたりしていますが、たくさんのいい事をして功績を残しています。

 粛宗のように強い権力を持つ王様はこれ以降現れません。

 粛宗の側室に朝鮮三代悪女の一人、張・玉貞(チャン・オクチョン)がいます。あまり高くない位から王妃にまで登りつめて処刑された彼女の人生を調べると、事実は小説よりも奇なりという言葉がピッタリだと感じます。

 淑嬪崔氏(スクピン・チェシ)も面白い人です。女官から側室になった二人の女性の子供が王様になるんです。ロマンの塊。

 正室→三人、側室→八人、子供→八人

 在位期間→四十六年、享年→五十九歳


第二十代国王 景宗(キョンジョン)

 粛宗の庶子、長男。

 母親の張・玉貞が一度王妃になったものの、降格されて処刑された。

 それから父である粛宗に冷たくされ、王になっても謀反が起きたりしました。

 弟の英祖に殺されたとも貴族に殺されたとも言われています。

 幼い頃から頭が良くて張・玉貞がいた時は父に可愛がられてたとか。穏やかな性格だったそうです。

 正室→二人、側室子供→いない

 在位期間→四年、享年三十五歳


第二十一代国王 英祖(ヨンジョ)

 粛宗の庶子、次男。

 母親は淑嬪崔氏。母親が貧しい身分の出身だったため苦労したそうです。

 色々した王様。民の負担を減らしたり、書を編集したり書いたり、学問が大好きな人。

 一つの党が力を持たないように法を作ったりしました。それが原因で息子と関係が悪くなり、最後には米櫃に閉じ込めて餓死させてしまいました。英祖はこれをひどく後悔して息子に思悼世子(サドセジャ)と名を贈り、思悼世子の子供を世子にしました。後の正祖。

 朝鮮で在位期間が一番長い王様です。

 正室→二人、側室→五人、子供十四人

 在位期間→五十二年、享年八十三歳


第二十二代国王 正祖(チョンジョ)

 英祖の次男である思悼世子(嫡子)の次男、嫡子。

 父親を政党の争いにて亡くしました。即位式の時に思悼世子の子供だと宣言、父親を死に追いやった党を毛嫌いしました。

 世宗大王と並ぶ好学の王と言われています。

 父の思悼世子のお墓を水原に移して水原華城(スウォンファソン)を建設。遷都しようとしたけれど、正祖の死去により見送られた。

 毒殺されたという説もあります。正祖には敵が多かったから殺されても不思議じゃない。

 正室→一人、側室→四人、子供→五人

 在位期間→二十四年、享年→四十八歳


第二十三代国王 純祖(スンジョ)

 正祖の庶子、次男。

 英祖の正室であった貞純大妃(チョンスンテビ)による垂簾聴政が行われました。貞純大妃の死後は純祖の正室の純元王妃(スンウォンおうひ)の一族が権力を握りました。

 正室→一人、側室→一人、子供→六人

 在位期間→三十四年、享年→四十四歳


第二十四代国王 憲宗(ホンジョン)

 純祖の長男(嫡子)の長男、嫡子。

 ここら辺から説明が難しい……養子だったり亡くなった王族の子供だったりします。私もわからない事だらけ。

 七歳で即位しましたが、大妃である純元王妃による垂簾聴政が行われました。

 身分制度の崩壊により民は生活が困難になり、謀反が二度も起きました。王様にあまり力は無く軽んじられていました。

 正室→二人、側室→二人、子供→二人

 在位期間→十五年、享年→二十二歳


第二十五代国王 哲宗(チョルジョン)

 正祖の異母弟(庶子)の三男。

 兄が罪人になったため流刑地で過ごしていた所、呼び戻されて即位しました。

 純元王妃の一族が力を持っていたため、哲宗自身はあまり力を持ってなかったそうです。

 この頃の朝鮮は混沌に包まれ、汚職が蔓延、災害も多く飢える民が急増。禁止されていたカトリックも急激に広まりました。

 哲宗は頑張ろうとしたけど純元王妃の一族を止める力が無く、流刑地での生活を懐かしんでいたそうです。

 正室→一人、側室→七人、子供→十一人(全員幼くして亡くなってる)

 在位期間→十五年、享年→三十三歳


第二十六代国王 高宗(ゴジョン)

 十六代国王仁祖の三男(嫡子)の子孫。

 父と妻が対立したり、妻を日本兵に殺されたり、そんな混沌の時代の王様。

 朝鮮という国から大韓帝国という国になり、大韓帝国の初代皇帝になりました。

 正室→一人、側室→十二人、子供→八人

 在位期間→朝鮮王として三十四年、大韓帝国皇帝として十年、享年→六十七歳




 歴代王様は以上! 続いては朝鮮の身分制度!

 大きく分けると良人(ヤンイン)と賤民(チャンミン)。良人は科挙を受けられて、税を収めるなどの義務があります。賤民は科挙は受けられないけど、税を収めるなどの義務は無いです。

 良人はさらに三つに分かれます。両班(ヤンバン)と中人(チュイン)と常人(サンイン)。


両班(ヤンバン)

 貴族のこと。親が両班だと世襲制で子供も両班に。嫡子と庶子で違うんだけどね。


中人(チュイン)

 技術官、医官、訳官、庶子などのこと。

 両班の子供でも妾の子供だと両班ではなく中人になります。


常人(サンイン)

 庶民のこと。町に暮らしてる普通の人たちはだいたいこれ。


賤民(チャンミン)

 賤民の中でもまたいくつかに分かれます。

 奴婢(ノビ)→犯罪者の子孫。借金や税が払えなくて奴婢になった人もいます。人ではなく物として扱われて、売買されました。

 官奴婢→宮廷や役所が所有してる奴婢。

 茶母(タモ)→お茶くみなどをしていた女性の奴婢。

 医女→今で言う看護師さん。朝鮮は女性の立場が弱いので医女も賤民にあたります。

 ムスリ→肉体労働をする奴婢。

 他にもたくさんいるけど以下省略!

 奴婢以外の賤民には僧侶や妓生、旅芸人や楽師、巫女、肉や骨の加工をしていた人たちがいます。


 ついでになってしまいますが、王室と官職の位の説明をしますね。

 大君(テグン)→王と王妃との間の王子、嫡子。

 君(クン)→王と側室との間の王子、庶子。

 公主(コンジュ)→王と王妃との間の王女。

 翁主(オンジュ)→王と側室との間の王女。

 世子(セジャ)→次の王になる王子。

 嬪宮(ピングン)→世子の正室。

 大妃(テビ)→先王の王妃。

 側室の位は上の方から嬪(ピン)、貴人(クィイン)、昭儀(ソイ)、淑儀(スギ)、昭容(ソヨン)、淑容(スギョン)、昭媛(ソウォン)、淑媛(スグォン)

 あと、側室では無いけど王様とえっちした尚宮(サングン)[女官の最高位]を特別尚宮とか承恩尚宮と呼んだよ。光海君に仕えていたキム・ゲシはこの特別尚宮!


 官職はたくさんありますが、一番偉いのが領議政(ヨンイジョン)、二番目が左議政(チャイジョン)、三番目が右議政(ウイジョン)です。




 さて、ここからは旅行記みたいなものです。2018年の夏に家族旅行で韓国に行きました~初海外! 次の無料配布のテーマは李氏朝鮮と決めていたので最高のタイミングでした。

 妹以外の家族みんな韓流歴史ドラマが大好きなので古宮に行ったり、ドラマのセットがある場所に行ったり、どこもかしこも楽しすぎた! 行った所と行きたかった所を簡単に紹介。


昌徳宮(チャンドックン)

 世界文化遺産に登録されてる古宮。

 景福宮(キョンボックン)の離宮として使われていました。壬辰倭乱の時に焼失しましたが、光海君が再建して正宮として使われるようになりました。

 秘苑と呼ばれる庭園があってすごく綺麗らしい。秘苑に入るのはまた別の券を買わなきゃいけなくて、ツアーだったので断念しました……芙蓉池とか見たかった。

 光海君が使っていた王宮なので絶対に行きたくてツアーを申し込んでもらったのですが、解説を聞きながら見れたのが最高でした!

 シャンデリアとか車が入れるようにとか、結構西洋式になってる所がたくさんありました。あと、最後に見た楽善斎(ナッソンジェ)は他の場所と違って建物に塗装がされておらず、すごく落ち着く場所でした。


景福宮(キョンボックン)

 昌徳宮と同じく壬辰倭乱の時に焼失。昌徳宮は再建されましたが、景福宮は270年間も放置されました……高宗が建て直しました。

 高宗の正室である明成王妃(ミョンソンおうひ)[日本では閔妃と言われる]が日本兵に殺されたのはここです。

 私の感想はでかい! 昌徳宮の後に行ったのですがとても広くてたくさん歩きました。ツアーじゃなかったので解説は聞けないし文字はハングルだったので読めなかったのですが、雰囲気がとてもいい所でした。

 時間が無くて急ぎ足で回ってしまったので次はゆっくり見たい……香遠池(ヒャンウォンジ)も改装中で見れなかったから絶対また行きます……。


徳寿宮(トクスングン)

 光海君と仁祖の即位式が行われた場所。

 行く予定だったのですが時間なくて行けませんでした……光海君が大妃と貞明公主を幽閉したのはここ。光海君の時代は慶運宮(キョンウングン)と呼ばれていました。

 西洋式の建物が多い場所。恋人と歩くと別れるというジンクスがある道があります。

 中には博物館と美術館もあるみたいで、行けなかったのが悔しい。


昌慶宮(チャンギョングン)

 世宗が父のために建てた宮殿。成宗が祖母と生母、養母の三人を住まわせた場所。

 日本統治時代に動植物園が作られて格がガクッと下がりましたが、政府が大規模な工事をして格を取り戻しました。

 昌徳宮と近いって事を調べてて知りました……行けばよかった……。

 春塘池(チュンダンジ)と呼ばれる大きな池があるみたいで写真が綺麗! とても行きたかった。


慶熙宮(キョンヒグン)

 光海君が建てた宮殿です。

 建物は壊されてしまっていて、最近復元されました。

 瑞巌(ソアム)と呼ばれる岩とても見たい。昔は泉があったそうです。


宗廟(チョンミョ)

 昌徳宮と同じく世界文化遺産に登録されてる建物。今まで紹介した古宮とは違い、歴代王と王妃、国家の発展に貢献した臣下達の位牌が安置されてる場所。

 世界的に珍しい造りをしていて、たくさんの観光客が訪れるそうです。年に一回、五月の第一日曜日に宗廟大祭というのが行われます。歴史ドラマ好きとしては一回は見てみたい!


水原華城(スウォンファソン)

 正祖が父親のお墓を水原に移すのでお墓を守るために建てたお城。こちらも世界文化遺産に登録されてます。

 私が大好きな光海君に関係無いのと遠いという理由で行きませんでしたが、今一番韓国で行きたい場所です。水原華城と調べて出てくる写真がどれも素敵で行きたい欲が高まるばかり。

 昔見ていたドラマのロケ地でもあるらしく聖地巡礼したい……!


 あと名前を出していいか分からないので出しませんが、歴史ドラマを撮るときによく使われるセットがある場所にも行きました!

 どのセットも見たことがあって始終大興奮。写真を六百枚ぐらい撮って写真フォルダが大変な事になりました。

 こんなシーンをここで撮りましたっていう説明が細かく書いてあって、スマホを駆使して必死に読みました。ここに行ってから歴史ドラマ見るのがもっと楽しくなりました。韓流歴史ドラマが好きな方には絶対に行ってほしい場所です!




 よし、書きたいことは全部書けたぞ!

 途中から李氏朝鮮から離れちゃってやりたい放題したけど楽しかったです。

 小さい頃から歴史が大好きで家族旅行の時には博物館によく連れて行ってもらっていましたが、まさか海外に連れて行ってくれるなんて思ってなくて。とてつもなく楽しかった……両親には感謝するばかりです。

 でも、二泊三日じゃぜんぜん時間が足りなかったのでまた行きたい! 光海君が晩年を過ごした流刑先の済州島にも行きたいので最低でも二回は行かねば。お金貯めます。

 この文章を書くために改めて調べ直したり、新しく知れた事がたくさんあって読んでもらうためと言うより、私による私のための解説本になってしまいました。

 他のものより倍近く文字数多いです。好きが溢れて何を書くか絞りきれなくなってしまいました……これ以降はコンパクトになるように頑張ります。

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