第17話「スカウト」

 西暦20××年、地球は異星からの侵略者の脅威に晒されていた。


 核攻撃さえも通用しない未知なる敵に対し、地球連邦政府長官は対異星生物に特化した戦術兵器の投入を提案。通称「ア式」の開発が極秘裏に進められた。


 西暦20××年○月△日。

 北極海上に異星人が送り込んだ烏賊型巨大生物が出現。周辺環境に甚大な被害を与えながら南下を開始する。


 同日、オホーツク海上にて巨大生物と連邦海軍が交戦。冷凍弾による攻撃が有効かに思われたが、イカ墨による煙幕で目標を見失う。その後背後に回り込まれ連邦軍は全滅。巨大生物は北海道に上陸を開始する。


 稚内に上陸した烏賊型生物は札幌を目指し南下。恐怖に逃げ惑う札幌市民を次々捕食しながら、破壊と蹂躙の限りを尽くしていく。


 連邦空軍による空爆も失敗し、誰もが諦めかけたその時。

 突如天空より飛来した物体が、巨大生物の体を両断した。


 「それ」を目撃した一人の札幌市民は、その時こう叫んだという。


「あれは何だ? 鳥か? 飛行機か? ──いや、アザラシだ!」


 黒光りする身体を波打たせ、大空を高速移動する謎の戦闘兵器。

 それこそが、海豹型対異星生物特別戦術兵器、通称「ア式」であった。


 絶望に打ちひしがれる人類の未来を守るため。「ア式」と、それに搭乗するパイロット達の壮絶な戦いが始まった。


 ◇◆◇◆◇



「なんつーか……コメントに困る作品の一つよね、これって」


 今日も今日とて喫茶店「Choko De Chip」。西日の差し込む店内には、午後の休憩を満喫するサラリーマンや学校帰りの高校生といった常連メンバーで溢れていた。いつもと変わらぬ昼下がりの一時。そんな中に異物が混じっていたら、それは目立つ。


 それがエロゲ談義に華を咲かせる美人のお姉さんだったりしたら尚更だ──ああ、この場合はわたしのことじゃないよ? 念のため。


「ほうなん? で、どうやった? おもろかった?」


 本来なら薫子たんが座るはずの向かいの席には、今日は別の女性が腰掛けていた。

 期待に目を輝かせて訊いて来る彼女の名は、霧島春夏。わたしは愛情を込めて「はるなつー」と呼んでいるが、本当は「きりしま はるか」と読むのが正しいらしい。

 特徴的なのは怪しげな関西弁を操ることと、人懐っこい性格だろうか。


 天然なことも相まってアホの子みたいに思えるが、実は彼女、こう見えてエロゲメーカーの社長さんだったりする。

 人は見かけに寄らないとよく言ったものである。


「うん、思っていたよりは楽しめた。想像してたのとはかなり違っていたけどね。キャッチコピーの『環境破壊に警鐘を鳴らす今世紀最大の問題作、主人公はアザラシ!』ってのは完全に釣りだと思うけど」

「にゃはは。まあええやん、おもろければ何でもー」


 ヲイ。良いのかそれは、社長さんよ。全国のエロゲプレイヤーが思わず顔面パンチをぶち込みたくなりそうな爽やかな笑みを浮かべ、春夏はわたしが持参したチョコチップを一切れ頬張った。


「ってコラ、勝手に食うな!? あんたの分なら別に」

「んー、美味しー! 美味しいなぁこれ。ミサキ、これどこで買ったんー?」

「……近所のコンビニだけど」

「ほうかー、今度寄ってみようかな? あーそれにしてもここのウェイトレスさんはかわええ制服着ててええなー。似合ってて羨ましー。目の保養になりますわー。眼福眼福」

「それについては同感ね。このお店に来てるお客さんの大半もウェイトレスさん目当てだって言うし、着眼点は間違ってないと思うわよ? そんな大声で言ったらマスター泣き出しそうだけど」

「ええねん。所詮喫茶店のコーヒーなんて飾りやねん。偉い人にはそれがわかっとらんのですよっ!」


 うあ、言い切りやがった。今日も今日とて絶好調に飛ばす彼女は、周囲の視線などお構いなしといった様子で話を続ける。


「しかし、あれやね。ウェイトレスさんは上玉やけど、ウェイターが加齢臭漂うハゲ親父ってのはちょっと──もが」

「やめなさい。それ以上言ったら生きてこの店から出られなくなるわよ?」


 春夏は知らない。この店には、そんなハゲ親父にぞっこんのウェイトレスが一人存在するということを。

 普段極めて影の薄いその人は、マスターの話題になると途端に活性化する。逆鱗に触れるとは正にこのこと、厄介なことこの上ない。


「お父さんが、どうしたって?」


 果たして。

 わたしが春夏の口を押さえた時点で既に手遅れだったのか、その人はわたし達の目前に立っていた。

 幽鬼の如き陽炎が、彼女の背後に立ち昇る。


「りょ、リョーコ、さん」

「聞きたいな。ねぇ、お父さんが、どうしたって?」

「もがもが」


 わたしではなく春夏の方に向かって、彼女は問いかけた。顔は笑っているが、目は死んだ魚のように濁っている。

 そんなリョーコさんに、春夏は何かを言いたそうにしているが──これ以上は一言も喋らせる訳にはいかない。


「ね、ねぇリョーコさん。注文頼みたいんだけどー」


 とにもかくにも、彼女の関心を春夏から逸らす必要がある。

 春夏の口を塞いだまま、わたしはリョーコさんに努めて穏やかな口調で話しかけた。


 ぎぎぎ、と軋むような音を立ててこちらに顔を向けるリョーコさん。

 わたしに対しては、彼女は愛想笑いすら浮かべていなかった……怖い、怖過ぎるよリョーコさん!?


「それ以上何が欲しいの? 一応言っておくと、うちは食べ物の持ち込み禁止しているんだけど?」


 しまった! チョコチップを隠すの忘れてた!?


「え、えーと。こ、このイチゴミルクパフェとか、美味しそうかなーと思って」

「ハン! あんたなんかこれで十分よっ」

「はうあっ!?」


 内心の動揺を隠しつつ上手く切り抜けようと試みるも、そんな余裕をリョーコさんは与えてくれなかった。

 問答無用でテーブルに置かれた──もとい叩き付けられたグラスの中には、緑色の液体がぶくぶくと泡を立てていた。

 一見して極めて濃いメロンソーダに見えなくもないが、多分違うんだろうなぁ。


「青汁ソーダ。お父さんの自信作だから一滴も残さないように、ね?」

「……はい」


 ああ、ちなみに「お父さん」というのはマスターのことだ。

 極度のファザコンであるリョーコさんは、マスターを侮辱されるとこのように怒り狂う。

 普段は温厚な善い人なんだけど……ホントだよ?


 カウンターをチラ見すると、マスターがこちらに向かって両手を合わせているのが見えた。いわゆる「ゴメンね?」のポーズだ。謝るくらいだったら娘止めろよと言いたかったが、そんなこと言った日には本気で殺されかねない。

 わたしは黙って、やたら泡立っている液体を一口含んだ。予想以上に苦い。青汁に炭酸は史上最低の組み合わせではないだろうか?


「で? あなたはお父さんのこと、何て言ったのかな? さっさと吐かないと半殺しにする程度じゃ済まさないわよこの糞餓鬼!」

「もがもが」


 ああもう、どうしたら良いんだ? 片や遂に本性を見せた怒りの戦士リョーコさん、片や窒息寸前でもがくはるなつー。

 正直どっちもどっちだと思うが、何とかこの場を収拾しないと被害が拡大する一方だ。主にわたしへの被害が。


「あ、あの、リョーコさ──」

「はっ!? さてはあなた、お父さんを横取りするつもりね!? 何よ、少し胸が大きいからっていい気になってんじゃないわよこのボケナス! 一応言っとくけど、ナスビといってもお笑い芸人のアイツじゃないんだからね!? 芸人ならボケは最高の褒め言葉だけど、この場合はけなしてんだからちょっとは怒りなさいよこのお馬鹿ー!」

「もがもが」


 確かにスーツに隠された春夏の胸は大きそうに見える。薫子に負けてないんじゃないだろうか? 一度揉んでサイズを測定してみる必要がありそうだ。まあ、今はそんな余裕無いんだけど。


 言いたい放題言うだけ言って疲れたのだろうか。リョーコさんはテーブルに突っ伏し、しくしくと泣き出した。

 うわー、やだなぁ、こんなウェイトレスさんの居るお店。まあ、わたしはそんなお店の常連な訳ですけども。


「ううううう。悔しかったら何か言い返しなさいようこん畜生ー」


 無茶言うな。言い返したら最後、鉄拳制裁されるに決まってんのに。

 どうしたものかとわたしが途方に暮れていると、


「ご注文のイチゴミルクパフェお待ちしましたぁー」


 救いは、意外なところから現れた。


 どう見ても日本人には見えない金髪碧眼のウェイトレスが、パフェを片手に参上する。

 彼女こそ、我が下僕第一号にして喫茶店「Choko De Chip」第二のウェイトレスでもあるマリアたんである。

 過去にはマスターその他数名を撲殺した(※殺してません)罪で投獄されたことのある彼女は、ある意味で対リョーコさんにおける最終兵器と言えた。


 アイコンタクトで彼女と会話する。


「この貸しは大きいですよ?」

「オーケー。今晩みっちり相手したげる」

「交渉成立、ですねっ」


 どうやら上手くいったようだ。マリアはリョーコさんの首を引っ掴むと、


「大人しくしないと、マスターの命は無いですよ?」

「ひぎぃっ!? い、嫌……それだけは嫌ああああああああっ……!?」

「大丈夫。大人しくしてれば、命までは取りませんから」


 などという会話があったかどうかは定かではないが。


 耳元で何事かを囁かれるや、急に大人しくなるリョーコさん。そんな彼女を引き摺り、マリアは店の奥へと消えていった。


 その後何があったのかは、知らずにおいた方が幸せなのだろう。



 ◇◆◇◆◇



 閑話休題(それはともかくとして)。


「ぷはぁー! く、苦しかったー」


 塞いでいた口から手をどけてやると、春夏ははぁはぁと息を吐いた。

 どうやらこの子、鼻で息をすることを知らないようだ。


「もー! いきなり何するねんミサキ! ウチを殺す気かっ」

「あほ。狂戦士からあんたを助けてあげたのよわたしは。感謝しなさい」

「ふぇ? ……ほうなん?」


 涙目で文句を言って来る春夏に、わたしが溜息混じりに応えると。

 良く分からなかったのか、彼女はきょとんとした表情で虚空を仰いだ後。


 唐突に、ぽんと手を打った。


「せや! 『エロエロアザラシ』どうやった? おもろかったー?」

「そこで最初の質問に戻るのは実にあんたらしいところよね」


 こいつの相手は疲れる。それは中学時代から分かっていたことだが、再会した彼女は更に天然に磨きがかかったように思える。加えて、どこか確信犯的な部分も出て来たような気がするし。


「つーかさ。仮にも社長さんがこんな所で油売ってて良いの? わたしなんてほっといて、さっさと新作完成させなさいよ、ったく」

「何言うてんのー。ユーザーの意見を聴くのも立派な仕事の一つなんやで? 特にミサキは美少女ゲームに特化したゲーマーやからなぁ! ウチらからすれば神に等しい存在なんや。ないがしろにできるかいな!」

「……さいですか」


 何気無く放った一言に、珍しく食ってかかって来る春夏。こういう所、昔の彼女には無かった性質だ。攻撃的というか何と言うか。さすがのわたしも、ちょっと怯んでしまった。


 社長なんてやってると皆こうなるのかな?


「じゃあ、これは親友としてじゃなく一エロゲユーザーとして言うけど。『エロエロアザラシ』は、確かに単品で見ればそこそこ面白かったわ。内容の意外性というか奇抜さは群を抜いてると思うし、グラフィックは相変わらずの美麗。サウンドも一定水準をキープしてるわね。その辺りはさすが夜風といったところかしら。

 けど、何つーか。これは最近のナイトウィンド作品全般に言えるけど、こう、シナリオに力が無いのよね。シナリオが完全に設定負けしてる感じ。今回のは設定が凝ってただけに、余計それが顕著に表れたわね。

 前にも言ったけど、ライター替えたんじゃないの? だったら言うけど、前のライターさん呼び戻した方が良いんじゃないかな。はっきり言って今のままじゃ、シナリオが足引っ張って良作を生み出せな──」


 そこまで言ったところで、わたしは気付いた。春夏の瞳に、涙が溢れていることに。

 やば。もしかして傷ついた?


「あ、いや、その。シナリオさえ改善されれば問題無いわけだけど、わたしとしては。全体的には高い水準を保っていると思うし、うん」

「……気ぃ遣わんでええよ」


 慌てて言い直したわたしに、彼女は驚く程に静かな口調で応えた。

 例えて言うなら、洞窟の中の湖のように波一つ立てず穏やかに。そして、恐ろしく、冷たい。


「ミサキの言ってることは正しい。確かに、シナリオが致命的に悪いんや」

「あ、いやだから、それに関しては言い過ぎたと」

「ううん、そういうことやない。あんたの言う通り、シナリオライターが替わったんよ。だからもう、昔のような話はウチらには作れないんや」


 涙を拭った時には、春夏の顔から表情が消えていた。

 淡々と彼女は呟く。それはわたしに向けてのものというより、独り言に近かった。


「仕方が無かった。ウチにはあの人みたいな才能なんて無かったから。だからあの人が死んでしもうた時、『ああ終わった』って思ったんや。

 けどな、ウチは諦め切れなかった。あの人の夢を、こんな形で終わらしとうなかった。だからウチは、あの人の代わりに書こうと思ったんや。

 その結果がこのザマや。皆の足ばかり引っ張って、あの人が生んだコ達にまで泥を塗って。ほんま、馬鹿みたいやな、ウチは」

「あ、あんた。それって、まさか」


 今の夜風のシナリオライターって……はるなつー!? この娘、社長だけじゃなくて脚本まで書いてるのか!?


「できると思ったんや。ウチはあの人の理想を誰よりも近くで見て来たから。

 けど、やっぱ無理やった。あの人は天才で、ウチなんかじゃ逆立ちしても届く存在じゃなかった。

 ゴメンな、ミサキ。そりゃあ、ウチの自慰脚本なんかじゃ満足でけんよな」


 わたしは驚いていた。聞かされた話の内容以上に、自嘲気味に語る春夏の姿が、わたしにはショックだった。

 わたしの知らない所で、この娘は一体どのような苦労を重ねてきたというのだろう。


「死んだ、んだ?」


 驚きのあまり、わたしは言葉を発することを忘れてしまっていたのだろうか。

 やっと口走った一言は、我ながら情けなくも間抜けで、何とも今更な内容だった。


「うん。死んだ」


 そんなわたしに対しても、彼女は茶々を入れること無く応えてくれた。そのことに安堵すると共に、わたしは奇妙な焦燥感を抱いてもいた。何だろう、この感覚は? わたしは一体、何に対して焦りを感じている?


「何で? ……って、ええと、そうじゃなく! あんたは、その、何でそこまでして……?

 って、違う! ああもう、わたしが訊きたいことはそんなことじゃなくってぇ!」


 目の前に居る春夏を、酷く遠くに感じた。時間が経過するにつれ、彼女との距離がどんどん開いていく。あの頃から、今も、この瞬間さえも。近づいたつもりが、ようやく追いついたつもりが。エロゲブランドの社長とただのフリーター以上の距離が、わたしと春夏の間にはあるのだと。


 それを無意識の内にも理解できたからこそ、わたしは焦っているのだろうか? 今更どのように努力しようと開き過ぎた距離は埋まらないと、同じ頭で分かっているにもかかわらず、だ。


「ゴメンな、ミサキ。こんな、泣き言みたいなこと言うて。ウチらしくないよな?

 ミサキが戸惑うのも無理ないと思うよ。こんなの、ウチの目指した霧島春夏やない」

「あ」


 彼女はとうとう言ってしまった。わたしと彼女の間の隔たり、それを決定づける一言を。絶対に言って欲しくはなかったことを、春夏は易々と口にした。わたしの期待を嘲笑うかのように、口元に微笑を浮かべて。


 いつものように柔和な笑顔。表情の戻った彼女は、でもどこかが違っていて。


 ──こんなの、霧島春夏じゃない──


 まるで別人だと、わたしは思った。似ているが、違う。わたしの知っている春夏とは決定的に異なるモノを、わたしは確かに彼女から感じた。


「ウチ、頑張るわ。ウチが憧れたあんたでもない、あんたが知っているウチでもない。ウチは、ウチが信じる霧島春夏になれるよう、頑張る」


 年月が彼女を変えたのか? それとも大切な人の死が?


 何が原因なのかは、わたしには分からない。何にせよ、彼女は既に別人として生まれ変わっているようだ。わたしの知っている春夏は、もう居ない。


 だけど。霧島春夏という人間は確かにここに存在していて、わたしは今この瞬間痛い程に彼女という存在を感じているのだ。それはもう、疑いようの無い事実。


 だから、わたしは受け入れるべきなのだ。いつまでも追いつこうと抗い続けても無駄なこと。わたしは決して春夏には追いつけないと、思い知るべきなのだ。


「敵わないな、はるなつーには」


 わたしはやっとそれだけ言って、飲みかけの青汁ソーダを一口啜った。じわりと口内に広がる苦味は、青春のほろ苦さにも似ていて。

 珍しく感傷的な気分に浸りながら、わたしは春夏の頭にチョップを叩き込んだ。


「ギャヒィッ!? い、いきなり何すんのー!?」

「ほんっと、らしくないのよわたしもあんたも! 何よ、はるなつーのくせに格好付けちゃって! そういうのはわたしが吐くべき台詞でしょうがぁっ!?

 ふざけんじゃないわよ! あんたの書いた糞シナリオのためにわたしが何万注ぎ込んだと思ってんの!? 返せ! わたしの貴重なエロゲ資金を返せぇっ! うがー!」

「うあ、ぶっちゃけおった!? それが本音!? ミサキの本音なん!?」

「あったりまえじゃあヴォケぇえええええええッッ!!!」


 そうだ。こういうしみったれた展開は、どうにもこうにも肌に合わない。わたしらしくないし、春夏らしくもない。わたしの知っている春夏はもう居ないのかも知れないけれど、それでも納得いかなかった。


 ──霧島春夏。中学時代の親友にして、現在はアダルトゲームメーカー「ナイトウィンド」の女社長兼シナリオライター。


 だけど、それがどうした? 春夏ははるなつー。わたしにとっては、それが全てだ。彼女が何者であろうと、それはわたしには関係の無いことだ。だから。


「あんたも悩みがあるんだったら、遠慮せずに何でもぶっちゃけちゃいなさい。わたしで良かったらいつでも聴いてあげるからさ。

 あ。これは、一エロゲユーザーとしてではなく、あんたの親友である如月美沙樹としての言葉ね。オーケー?」

「ミサキ……」


 気遣いなんて無用の長物。全力でぶつかって来たなら、それ以上の力で叩き潰すまでのこと。

 暗にそういう意味を込めてわたしは言ったのだが、果たして春夏には伝わっただろうか?


「しゃあないな。ウチも女や。そこまで言われたとあっちゃ、全力で相談ぶちかましたらなマ●コが腐るってもんや!」


 オーケー。どうやら大丈夫そうだ。



 ◇◆◇◆◇



 その後わたし達二人は、文字通り全力でぶつかり合った。


 もっとも、そのほとんどは中学時代のことだったが。誰彼がどこに就職したとか、結婚したとか、そういや同窓会出てねーなーとか、そんなとりとめのない話が続いた後。


 うーんと背伸びをし、春夏はふと、思い出したように呟いた。


「しっかし、あれやね。どっかにええライターさん落ちてないかなー? そしたらウチも楽できるのにー」

「あほ。んなもん落ちてたらわたしが拉致るわよ。でもってわたし好みの創作をさせるの。世の中はピンク色で満ちているのよウケケケケ」

「ミサキは相変わらず頭ん中お花畑やねぇ。ある意味羨ましいわー。ある意味な?」

「ふふん。わたしの妄想力を侮るんじゃないわよ? 言っとくけど今こうしてあんたと話している間も、今日一日見かけたおにゃのこ達との酒池肉林プレイを繰り広げている最中なんだからね? 脳内でだけど!」

「ほうなんや? ミサキの頭ん中分解したらおもろいエロゲができるかもしれへんなぁー。ちょっとキケンな香りもするけど」

「うひひひひ! まあ、そんじょそこいらのエロゲメーカーでは絶対に実現できないような物凄いモノが出来上がることでしょうねぇ!? にょーほほほほほほ!」


「ふぅん? だったらミサキ、エロゲの脚本書いてみぃひん?」


 それは、あくまで何気なさを装った口調だったが。


「……冗談、でしょ?」

「マジや、大マジ。なあミサキ。ウチの代わりに、書いてみぃへんか?」


 春夏の眼には、真剣な輝きが宿っていた。あまりのことに、思わず絶句するわたし。


「ああ。仕事が忙しいんか?」

「い、いや、そういうわけじゃないんだけど」


 そもそも仕事してねーし、大学だってロクに行ってねーし。ああでも、そう言って断るのも一つの手だったか?


 つかはるなつー。あんた本気で、わたしに脚本を……?


「ほなええやん! やろーや! な?」

「ちょ、ちょっと待ってよ!? 何でわたしなの!? 他に上手い人いっぱい居るっしょー!? つーか、小説なんて書いたことねーしぃいいいい!」

「書いたこと、無い? ホンマに?」

「無い! だからお願い、考え直して」

「──ネタは挙がってんねやで?」

「っ!?」


 にやりと、満面の笑みを浮かべる春夏。愕然とするわたしの前に、彼女は一冊の大学ノートを置いた。


「これにはな、ミサキ。とある女子高生が書いた愛のポエムが、全ページに渡って綴られているんよ」

「な」

「あえて誰が書いたのかは言わんけど……あんたなら分かるよな? なあ、まじかる☆みさっちさん?」


 それが止めの一言となった。

 がっくりと肩を落とすわたしに見せ付けるかのように、春夏はぽんぽんとノートの腹を叩いてみせる。


「意外やなぁ、ミサキもこういうの書くんやねー? てっきりエロい妄想ばかりだと思っとったけど、真っ当な純愛モノですよアナタ。

 ただなぁ。この名前のカレってあれやろ? 某有名漫画に出て来る腐女子向けの」

「……もうやめてぇ!?」


 これ以上昔の恥を曝されてたまるか。悲鳴に近い叫びと共にわたしは春夏の手からノートを奪い取ろうとしたが。

 普段は見せない敏捷さで、彼女はノートを鞄に仕舞い直してしまった。ち、畜生ぉぉおおおおおおっ!!!


 つーか、何であんたが持ってんのぉ!? 高校を卒業した時にまとめて全部焼却処分したはずなのにぃいいいいいいっ!?


「ま、そういうわけや。あんたのこの妄想力、眠らせておくにはちと惜しい。

 これは友達としてではなく『ナイトウィンド』社長としての言葉やけど──どや? ウチと組まんか、ミサキ? 悪いようにはさせへんで」


 わたしの動揺を見て勝利を確信したのか、春夏は改めて切り出してきた。

 わたしに働けと。エロゲメーカー「ナイトウィンド」のシナリオライターとして働けと。

 「まじかる☆みさっち」としての側面まで知られてしまったとなると、断るのは至難の業か。


 かと言って、簡単に引き受ける訳にもいかない。何しろわたしの人生が掛かっているのだ。


「悪いようにはさせないって。具体的なメリットは?」

「事務所に泊り込むなら三食付ける。勿論家賃はタダや。そんでもってお給金は……こんなもんでどや?」


 そう言って春夏は、名刺の裏に数字を書いて差し出してきた。


 その金額たるや。わたしはどこのエースストライカーだ? と思わず自問したくなるような高配給であった。

 マジありえねー。


「これをベースに、ソフトの売れ上げに応じてプラスさせる。どや、悪ぅはないやろ?」

「いいの? 正直、わたしの文章にここまでの価値があるとは思えないんだけど。

 あんたの言葉を借りるなら、その、自慰小説になりかねないわよ?」


 つか、何でそこまでしてわたしを? 高校時代に書いた腐女子向けポエムを偶然見、何かしらの感銘を受けた、だけだとしたらあまりにもリスキーだし説得力が無い。わたしはこれまで、本格的に作品を仕上げた経験が無いんだから。


 単純にわたしより文章の巧い人なら、世の中には山のように居るだろうし。

 他に何か、理由がありそうな気がしてならない。


「ミサキは自分の価値をなーんもわかっとらんなぁ。確かに文章力だけ言うたらミサキはへっぽこかもしれへんよ? けどな、人の心を動かす物語ってーのは文章の上手い下手で決まるもんやないんや。ウチにはわかる、ミサキ、あんたは磨けば光る原石や。

 て言っても、ウチの言葉じゃあんたには十分伝わらへんかもしれんなぁ。ウチが信じるウチになりたいように。あんたも、あんたが信じるあんたを目指してみたらどうや」

「ううむ。そ、そうなのかなぁ? わたしって才能あるのかなぁ?」

「ある。あるある探検隊や!」


 びしっ。何を根拠にそこまで言えるのか、ポーズを決めて断言してみせる春夏。

 つーか、それが言いたかっただけなんじゃ……。


 未だ半信半疑のわたし。親友の言葉を信じたい天使のわたしと、「世の中そんなウマい話ある訳ねーだろヴォケェ! ちょっと可愛いからってあっさり騙されてんじゃねぇぞ!」などと罵る悪魔のわたしがせめぎ合う。


「まあ、他にも理由があると言えばあるんやけどなー」


 と。イマイチ煮え切らないわたしの態度に業を煮やしたのか。春夏は悪戯っぽく微笑むと、一枚の写真をテーブルの上に置いた。


 学生服姿の少年少女が、桜の樹の下に並んで写っている。誰も彼もが見覚えのある、ていうか懐かしい面子ばかりが揃っていた。


「これって、中学の時の卒業写真じゃない? これがどうかしたの?」

「覚えてるか? こいつ」


 その中の一人を指差し、春夏は訊いて来る。覚えてるかって、そりゃあ、まあ。

 こいつの顔だけは、どんなに忘れようと努力しても忘れられないだろうと思われる。


「キモ麻呂じゃない」


 ネ●ミ男とス●夫を足して二で割った挙句に乳鉢で磨り潰したような面立ちと、その容姿に見合った狡猾な性格は未だ記憶に強く残っている。二十年以上生きてきたわたしだが、あのキャラのインパクトを超えるモノには未だ出遭えていない。


 ……あー、いや。そんなことも無い、か?

 最近変なのと絡むこと多いからなぁ、わたし。


「せや。中学生当時のあだ名はキモ麻呂。ミサキが命名したんやっけな? あんたの下でこき使われてたから、ウチにとっても印象深い存在や。

 ほなミサキ。も一つ訊くけど、こいつが今どこで何やってるか知っとるか?」

「さあね。そこまでは」

「ふふ。やっぱり知らんのやな」


 わたしの返答に、春夏は意味深な笑みを浮かべる。何だ? キモ麻呂の現状がわたしをナイトウィンドに誘う理由と何か関係を持っているというのか?


「キモ麻呂の現在の名前は『カウパー小次郎』」

「うあ。何そのキモいネーミング」


 軽口を叩きながら。わたしはその名前に聞き覚えがあることに気付いていた。

 そうだ、あれはつい最近。確か、あれは──。


「『りーびんぐ☆ねすと』のメインシナリオライターと同名や」

「……あぁあっ!?」


 そうだ、カウパー小次郎と言えば「ナイトウィンド」と並ぶ新興メーカーの一つ、「りーびんぐ☆ねすと」のシナリオ書いてる人だ! てかわたし、あの人の小説持ってるよ!?


 って! そうだとすると、まさかわたしが信者になりかけてたのって……!?



「呼ばれて飛び出て即参上。この時を待っていたで下衆(ゲス)よお二方!」


 確かに、この瞬間を虎視眈々と狙っていたのだろう。

 これ以上無いタイミングで、そいつはわたし達二人の前に現れた。


 ネズミがそのまま進化したような顔立ち、鋭く吊上がった眼には丸眼鏡。いやらしく笑うその口元からは、ドラキュラのように犬歯が二本覗いていた。

 マッシュルームカットというのだろうか、キノコ型に整えられた髪は何故かピンク色に染められており、不健康に蒼ざめた肌の色と対照的だ。痩せ細った四肢はまるで老木の枝のようにクネクネと曲がりくねって伸びており、どこに関節があるのか分かりづらい。

 そんな彼が身に纏うは軍服。わたしは軍事に疎いのでどこの国のものなのかは分からないが、深緑色をしていることから陸軍のものではないかと思われる。何でそんなものを装着するのかは全くの意味不明だが。

 更にその上から赤マントを纏い、彼はいつの間にか敷かれていた赤絨毯の上を歩いてきた。


 何と言うか、まあ。インパクトだけは認めよう。極めてシュールですけどね。


「キモ麻呂、アンタッ……!」

「ノン! ユーに虐げられた忌まわしき時代の名前はもう捨てた!

 今の我輩はカウパー小次郎! 今世紀最高の天才シナリオライター、カウパー小次郎で下衆! 下衆下衆下衆!」


 唖然とするわたし達を前に、独り哄笑するキモ麻呂ことカウパー小次郎。

 認めたくはなかったが、本人が登場した今となっては認めざるを得ない。


 こいつは間違いなくキモ麻呂。そしてわたしは、こいつの書いた様々な作品に今まで魅了され続けてきたのだッッ……こんな奴の書いた話にッッ!!!


「下衆下衆下衆下衆! どんな気分で下衆か? かつて見下していた相手に、今こうして平伏す気分は! さぞかし屈辱的でしょうねぇ、下衆下衆下衆!」

「あほか! 誰がアンタなんかに!」

「ほほーう。ペンネーム・まじかる☆みさっちさんは我輩の数多い理解者の一人だったと記憶しているので下衆が、記憶違いで下衆かねぇ?」

「うっ!?」


 そう言えばカウパー宛にファンレター書いたことがある!? それも複数回! ヤバい、全部バレテーラ!?


「下衆下衆下衆! 所詮ユーなど我輩の敵に非ず! 完全な敗北を見せ付けられたくなければ大人しくしていることで下衆ねぇ! 下ー衆下衆下衆下衆下衆ぅ!」

「くっ!」


 何と言う屈辱! ここまで強烈な敗北感に包まれたことは未だかつて無い! しかもその相手が、よりによってキモ麻呂だなんてぇぇええええええっ!


 得意げに笑い続けるカウパー小次郎。がっくりと肩を落とし、戦意を喪失するわたし。

 負けた。もはやわたしでは、こいつには勝てない。


 ──諦めかけた、その時だった。


「いい気になってんやないで、キモ麻呂ぉ」


 絶望的な状況下で、立ち上がった者が居た。

 彼女はカウパー小次郎に指を突きつけ、敢然と言い放つ。


「アンタがどんなに過去を捨て去ろうとしてもなー。アンタが生きて来た軌跡は、ウチらの脳内にちゃーんと刻まれとるんやで。つまりは、ウチらが生きている限り、アンタは永遠にカウパー小次郎にはなれへん。アンタはずーっと、ただ強者に依存して生きることしかできない臆病者のままなんや。

 はっきり言うで? アンタはミサキには遠く及ばへん。どんなに傑作を生み出そうとも、決してミサキを打倒することはでけへんのや!」


 彼女の名は霧島春夏。


 中学時代の親友にして現「ナイトウィンド」の女社長。

 そして彼女は、東西きってのトラブルメーカーでもあった……。

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