第15話「……かわうい」

 少女は姉が大好きだった。


 誰よりも、何よりも。姉のためならば、自らの命さえも喜んで差し出す覚悟が少女にはあった。二人で舞った千日神祭りの思い出は、今でも大切なキオクトシテ──。


 ある日、姉がオカシクナッタ。

 少女は姉を、××シタ。



 何つーか、まあそれは。

 良くある悲劇的なお話の、全く救いの無い結末だった。


 とはいえ。そんなもの、このわたしには何の関係も無い訳で。同情こそすれ、所詮は他人事に過ぎない。


 だからわたしは、何事も無かったかのように彼女とのデートを楽しんでいたりする。



「……美沙樹さん。あのー」

「あにお?」

「これって、デートなんでしょうか……?」

「モロチン! もとい、モチロン!」


 頭に疑問符を浮かべるムーンちゃんにガッツポーズで答え。わたしは彼女のために用意した、特等席へと誘った。


「いやー、絶景かな絶景かな! 見事なもんよね実際!」


 彼女の隣に腰を下ろし、わたしは満足げに扇子をあおいでみせる。一方のムーンちゃんは戸惑いを隠し切れない表情で、それでも眼前で繰り広げられている乱痴気騒ぎから目を離せないようである。心なしか顔が上気しているように見えるのは、わたしの気のせいなのだろうか。


「で、でもこれって、覗き」

「イエス! しかもただの覗きじゃないわよ? ラブホテルの全部屋を一望する覗きの中の覗き! キング・オブ・ノゾキな訳っすよあーた!」

「………」


 わたしの言葉に、何故か絶句するムーンちゃん。ああそうか、まだこの娘完全には覚醒していないのね。ショック療法と言うか、思い切って刺激的な映像を見せられることでそっち方面に目覚めるかなーと、ちょっと期待していたんだけれども。


 尤も、少しは効果があったらしく。いつものように「何やってんですかこの変態ぃー!?」とキチガイみたいに攻撃して来ること無く、彼女は目の前の光景を食い入るように見つめている。


「覗きは……犯罪ですよ」


 やはりまだ、抵抗があるようである。絞り出すように放ったその言葉は、しかしか細く弱いものだった。「犯罪」なんて、今更そんな単語でわたしの心が揺らぐ訳があるまいに。


「軽犯罪よ。それにこんだけ距離が開いてりゃ誰も気付きやしないって。皆さん行為に夢中だしねぇーくふふふ!」


 わたし達が今座っているのは、ラブホテルの裏にある小高い丘のてっぺんだ。裏側ということで安心しているのか、こちら側の窓を開放している利用客は多い。


 いやあるいは、あえて開けているのかも知れない。行為の様子を見られることで余計に感じるというか、燃えるというか。いずれにせよ、わたしにとっては願ったりだ。風に乗って、ギシギシアンアン言ってる音まで聞こえて来て、臨場感もたっぷりある。


「み、美沙樹さんの、エッチ」

「あなたもね。何よそのとろんとした眼は? ひょっとしてあなた、観ながら感じてる?」

「そ、そんなことは断じて!」

「まあまあ。無理に我慢しなくても良いじゃないの」


 必死になって否定しようとする彼女の背中に手を回し、わたしはそっと抱き寄せる。それから、耳元でこう囁いた。


「何なら、わたし達もあのホテルで休憩してく? あなたとならいいわよ、わたし」


 ずっぎゃーん。言った瞬間、わたしはそんな効果音を耳にしたような気がした。まるで雷か何かが落ちたような。恐る恐るムーンちゃんから手を離し、わたしは立ち上がる。


「な、なんちゃってーあはははは。さ、さあ、そろそろ帰ろうか。大分暗くなって来たしさー」

「知ってますか美沙樹さん。こういう昼でもない夜でもない時間帯のことを、『逢魔ヶ刻』って言うんですよ」


 ぞくり。俗な言い方をするなら、背筋が凍り付いたような感覚。頭のてっぺんから足の先まで、丸ごと氷漬けにされた気分で、身体を動かすことができない。これってもしかして金縛り? いや違う。これはそんな生易しいもんじゃない。心臓が、握り潰されるように痛み始める。魂ごと押し潰されてしまいそうな、そんな重圧を全身に感じた。


 ヤバい。何か知らないけどわたし、この娘を怒らせてしまったみたいだ。さっきから怖くて顔が見られないけど、果たして彼女はどんな表情をしているのだろうか?


 もしかして──かつて姉を××シタ時のような、この世のものとは思えないくらいに、綺麗な顔で笑っているのだろうか。


「……って」


 今わたし、何を考えた? 彼女が姉を、どうしたって? そんな事実、わたしは知らない。初耳のはずなのに、どうしたことか、わたしは知っていたかのように思い描いていた。悲しい悲しい、ある姉妹の物語を。


 いやいや。そんなことはどうでも良いんだ。今はまずこの状況から、何とかして逃れないといけない。何とかってまあ、わたし自身には霊的な力の欠片も無いから、方法としてはムーンちゃんを説得するしか無いんだけどねー。


「あ、あのさあ? ちょっとやり過ぎたみたいね、わたし。怒ったのなら謝るよ、ゴメンね?

 だ、だけどさ。この仕打ちはちょっと酷くない? 何だかとっても苦しいんですけどわたし。具体的に言うと、口から胃やら何やらが飛び出してきそうな──って、想像したら余計気持ち悪くなってきた! おええええ」

「苦しい、ですか? ああ、それはそうですね。だってあなた、本当はここに居ちゃいけないはずの存在ですもの。息苦しく感じるのは、当たり前のことですわ。

 ねえ? 半欠けの、如月美沙樹さん?」


 その時初めて、彼女と目が合った。彫刻のような、無機質な白い顔。そこに浮かんだ、三日月の形をした真紅の笑みは、平常の彼女からは考えられない程に禍々しく歪んでいて。憎しみと敵意に満ちた青く輝く双眼が、わたしという存在を刺し貫いていた。これは。この感じ、怒っているとか、そういう次元のものではない。これは、純然たる殺意そのものだ。


 初めて出逢った時。わたしは彼女から、怒りと殺意を向けられた。だけど、その時。彼女にはどこか迷いがあって、そのためにわたしは勝利を収めることができたのだ。


 今は、違う。この娘は、あの時の彼女とは、まるで別物だ。今度はもう、どうしようも無い。微動だに動かない身体は、見えない糸に絡み取られているかのよう。これは、もう本当に絶望的な──。


 待てよ。こんな凄い力があるなら何であの時、ムーンちゃんはわたしに対して使わなかったのだろう。始めからわたしを拘束していれば、あんなにバカスカ光弾を撃って店内を破壊する必要も無かったのに。あの時は迷いがあったから? いや違う。だったら尚更、拘束する方法を選んだはずだ。


「もしかして、あんた」


 それは、一つの閃き。一つの仮説に、過ぎなかったが。


「あんた、誰? あの娘をどこにやったの?」


 ある種の確信をもって、わたしは彼女に問いかけていた。そうだ、それは目の前に居るこの娘がムーンちゃんではないという確信。彼女と同じ姿をした、しかし彼女とは異質な存在であるという確信だ。


「へぇ?」


 三日月の笑みが、より深さを増した気がした。今度は首を締め上げられるような、圧迫感に襲われる。ぐえー。


「良く気付きましたね。完璧に成り切ったつもりだったのですが。驚きましたよ美沙樹さん。貴女、見た目程馬鹿ではないのですね」


 感心しているのか、感心しつつ、それでもなお嘲っているのか。彼女はそう言って、わたしの髪を撫でた。


「ふん、生憎とあの娘の下着の匂いを覚えているもんでね。あんたのはまるで悪臭、反吐が出るわ。ぺぺぺっ」

「まあ。何て、下品──」


 頭の中を、無数の星が流れていった。どうやらわたし、頬を叩かれたみたい。何だかとっても痛いけど、涙を堪えて少女を睨む。ったくもー。わたしが動けないのをいいことに、好き勝手してくれちゃってー。


「どうやら、図星を指しちゃったみたいね? てへっ。

 で、あんた、結局何者な訳? でもってこのプレイは何? ああ分かった、これ新手の羞恥プレイね? 全裸にして、ホテル中の人間に見せ付けるつもりなんだ!?」

「違います」


 うあ。問答無用できっぱりと否定されちゃった。何この人、ノリ悪いなぁ? さっきから何シリアスやっちゃってんの? お馬鹿なお話なんだから、もう少し肩の力ってもんを抜いた方がさー。


「私、貴女を殺しに来ましたの」

「あーそーですかー。何かあまりにも予想通りで白けちゃうわね、こちとら。困ったものね、空気読めない人が居ると。そこは一発ボケる絶好のチャンスでしょーが」

「そんなもの、必要ありませんわ」

「あなたにとってはそうかも知れないけど、わたしにとっては違うのよ。つーかいちいち台詞が淡白過ぎ。もう少しこう、ドスを利かしてくれないとさ、ビビるにビビれないっつーの。

 ……ってゆーかさ。いつまであんた、そんな格好してるのよ? マジムカつくんだけど、わたし」


 そうだ。この人がここにムーンちゃんの姿で居るってことは、本物のムーンちゃんは今頃──最悪の想像が脳裏を過ぎり、わたしは吐き捨てるように呟いた。


「あら? お気に召しませんでした? 親しい人の姿であの世に送って差し上げるのが、私なりの『思いやり』のつもりだったのですけれど」

「はっ、よく言うわ。単に悪趣味なだけじゃない。いいからあんたもう、今すぐその姿をやめなさい。でないとわたし」

「どうすると言うんです? 私を、殺しますか?」

「いいえ。ハリセンでぶっ飛ばす。何ならスリッパでも可!」


 動けないなりに、虚勢を張ることはできる。たとえ効果が無くても問題無い。要は、最後に言いたい放題言っておきたいだけなのだ。


「そうですか。それでは私の、本当の姿を貴女に見せてあげます」


 言うが早いか、突如として煙に包まれる彼女。もくもくと上がる白煙の中、彼女のシルエットが徐々に変化していく。


「しかし貴女は後悔するでしょうね。この私の真の姿は、それ程までに見る者に恐怖を与える。恐怖に耐え切れず、発狂しても知りませんよ?」

「上等じゃない。そこまで言うならばっちしこの目で見届けてやろうじゃないの」


 予想に反して、徐々に小さくなっていく影。だが決して油断はできない。最終形態になった魔人●ウは、それまでの形態よりも小柄で、しかし最も凶悪な戦闘力を見せたものだった。もし今回の場合もそうだとしたら、もはやわたしには手も足も出ない。口は出るけどね。


 やがて。煙が風に流されて、視界が晴れてきた。それと共に明らかになっていく、彼女の全貌。驚愕の真の姿。


「思い知るがいいです! 鬼神とまで呼ばれたこの私、『睡胡(スイコ)』様の真の力をォォォォォー!」


 あ、急にノリが良くなった。そうか、秘められた能力の全てを解放することによって、お笑いの神様が降臨したんだ!


「………」

「おーほほほほほっ! どうやらあまりの恐怖に口が利けなくなったみたいですね? 無理もありません。そうでしょう、そうでしょうとも!」

「………」


 あー、ゴメン。だけどわたし、あなたのノリについていけそうに、ない。多分、きっと、だって、そう。


 スイコさんとやら。あなたが期待しているのとは別の感情が、さっきからわたしの脳内をぐるぐると駆け巡っているんだもの。


「か──」

「か? 何です? あ、もしかして命乞いですか? 『堪忍して下さい』って? 残念ながら却下です。私の目的は貴女の殺害、それに尽きるのですからねっ」

「……かわうい」

「ぇ」


 その瞬間。わたしと彼女の間の時が、確かに止まった。


「いや、その。正直期待していなかっただけに、不意を突かれたというか。まさか、ねえ? あんだけ大口叩いておいて。

 その正体が、子狐だったりした日にゃあ。さしものわたしも心動かされちゃう訳ですよ」


 そして、時は動き出す。


「もう一度言う。かわうい」

「………」

「あ、ゴメン。超かわうい」

「ウワアアアアン!!!」


 わたしの褒め言葉で感極まったのか、とうとう泣き出してしまうスイコさん。ぐしぐしと前足で鼻を擦る仕草とか、動物愛好家じゃないわたしですら、ぐらっときてしまうものがあるんですけど。成る程、これも一つの萌えの形、か。


 そっかー。どうりでさっきから、悪臭ってか獣臭い匂いがすると思ったよ。狐だったんですね、納得ぅ。


「私っ……私っ、頑張ったのに……怖い子なのにぃ」

「はいはい、あんたはがんばったよ。えらいえらい」

「ううううう。またそうやって馬鹿にしてぇー。うええええん」


 いつの間にか拘束が解けていたので、子狐の頭を撫でてやりながら。ラブホテルの中が良く見えるように、彼女を抱き上げてあげた。


「ほうら、絶景だよー? 子供には刺激が強過ぎたかなぁ? げへげへげへ」

「ブー!」


 あ。鼻血噴いて倒れちゃった。何だよ、さっきまであんなに凝視してたくせに。君には失望したよ、スイコさん。


「ま、いっかぁ」


 気絶したスイコさんを胸に抱き。わたしはもうしばらく、観賞を続けることにした。ああ、夜風が冷たくて心地良い。


 ……ってあれ? 何か色々忘れてるような気がするけど。



 ま、いっかぁ。



 今日の日記:

 熱でも出てるんじゃないかと思うくらいのシリアス展開、いかがでしたでしょうか。大丈夫、わたしは元気です。萌え分補給させていただきました、ハイ。

 あーでも、できれば狐耳の美少女の方が良かった! 切実にそう思うよマジで! 子狐じゃ犯れな(ry



 それでは、明日に続くのだっ(はぁと)

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