第13話「願わくは、死が二人を分かつまで」

 薫子と結婚する夢を見た。


 わたしは黒のタキシードに蝶ネクタイ、対する薫子は純白のウェディングドレスという出で立ちだ。どうもわたしと薫子だと、わたしの方が男役を務めないといけないらしい。まあ実際、薫子の花嫁姿は良く似合っていた。似合い過ぎてて何だか少し切ない気持ちになってしまったのは、わたしが彼女に対して父親というか、保護者的な感情を抱いていたからだろうか。


 薫子はわたしと結婚する。せめて夢の中だけでも、そんな妄想を実現させたかったのに。

 どうしてか、彼女がこのまま居なくなってしまうような気がして。わたしは思わず、薫子の身体を抱き寄せていた。


「好きよ。大好き。だからお願い、居なくならないで。ずっとずっと、わたしと一緒に居て欲しいの。お願い、だから」


 誰にも聞こえないよう、彼女の耳だけに届くよう。わたしが耳元でそっと囁くと、彼女は頷きを返してくれた。


「私も……です。願わくは、この瞬間(とき)が永遠に続きますように」


 永遠。だがそれは、ありえない夢なのだ。それが誰よりも分かっているからこそ、彼女は夢の中でのみその言葉を紡ぐのだろう。ただただ、わたしに捧げるために。永遠を。


「願わくは、死が二人を分かつまで」


 彼女の夢を叶えることは、わたしにはできない。だけどせめて、この一時だけは。彼女と共に、同じ夢を見ていたかった。



 ……って。


 何柄にも無いこと言ってんだろ、わたし。縁起でもない。これじゃあまるで、わたしが死ぬみたいじゃないの。


「いいえ。貴女は既に死んでいるんですよ、美沙樹さん」


 ああ、そうだった。もう死んでいるんだった、わたし。半分欠けた状態で、みっともなく生にしがみ付いて。何だそれじゃ最初から、わたしに夢を見る資格なんて無かったんじゃないか──。


「わたしは」「貴女は」


 声が重なる。わたしと、彼女の。


「「儚く消える、真夏の夜の幻像(かげろう)」」


 それで、わたしは気付いたのだろうか。己が在り方を間違えていた事実に。だから、何もかもを失ってしまうのだろうか。残った半身を手放し、本当の死へと。


 彼女が消える。光が消える。気が付くとわたしは何も見えない暗闇の中で、限りない孤独に絶望していた。



 ……これが、無。



「って。だからそんな、柄にも無いこと言ってんじゃないわよ、わたし──」


 自分の声で、目が覚めた。夢を見ているのだと夢の中で予め自覚していたから、別段そのことに驚きはしなかったが。


 東側の窓から差し込む、朝日が眩しかった。普段は閉まっているカーテンが、何故か今日は全開になっている。それが第一の驚きだった。


 時刻は午前七時。いつもはもう少し寝てから起きるのだが、何だか今日は寝覚めが良いらしく、二度寝をする気にはならなかった。ベッドから身を起こし、うーんと背伸びをする。


 あれ? 何だか良い匂いがする。どこか懐かしい、ここ一年嗅いだことの無い香り。故郷の、朝の匂い。


「あ。お味噌汁の匂い、だ」


 くんくん、くんくん。匂いの元は、わたしが今居る寝室と間切り一つ向こうのキッチンのようだった。でも、何で? わたし、いつも朝はパンなんだけど。


 寝惚けた頭でそんなことを考えながら、わたしは立ち上がる。薫子が来てるのかな? でもあの娘、貧血気味だから朝は苦手なんじゃなかったっけ? それにあの娘、上京する前は箱入り娘だった所為か、味噌汁一つまともに作れなかったような……?


 そもそも、鍵が無いと部屋に入れない訳だし。だとすると、これはどういうことなのだろう。部屋の鍵を持っているのは、わたしと、実家の人間くらいだ。とすると、お母さんだろうか? あれ、でもお母さんなら、事前に電話の一本も入れて来るよなー。


 とか何とか思いながら。とりあえず顔を洗おうと、わたしは寝室の戸を開けた。寝室から洗面所までの間には、居間とキッチンがある。自然、目はキッチンへと向けられて──。


 ぐつぐつと煮立った鍋と、その鍋を前にして腕組みしている少女の姿が視界に入った。


「あ。おはようございます、美沙樹さん」

「ああ、うん、おはよー」


 エプロン姿の彼女は、わたしを見ると笑顔で挨拶して来た。つられてわたしも挨拶を返し、あーもうこの娘可愛いなーと思いながら、洗面所に向かう。じゃばじゃば。盛大に音を立てて顔を洗い、簡単に歯を磨き、ごろごろごろとうがいをする。ついでに朝の小用を済ませた後、わたしが居間に戻ると。


「朝ご飯の準備できましたから。どうぞ召し上がって下さい」

「お。ありがとー」


 机の上に、味噌汁とご飯、それに焼き魚が一品と、卵焼きが数切れ並べられているのが見えた。どれも作りたてなのだろう、ほくほくと湯気が上がっている。量も多過ぎず少な過ぎず、二十代の女性が食べる量を配慮して作られているようだった。


 ああ、でも。見た感じ、一人分しか用意されていないみたいなんだけど。わたしの向かい側に正座をし、にこにこと微笑んでいる少女の分は、一体どこにあるのだろう?


「でも少し心配です。お味噌汁、実家の味に合わせてみたんですけど……美沙樹さんのお口に合えば良いのですが」


 言われて、まずは味噌汁を一口啜ってみると。先程の芳しい香りと共に、濃厚でありながらも口当たりはあっさりとした味噌の味が、わたしの咥内に広がっていった。


「あ、大丈夫。美味しいよ、これ」


 素直な感想を漏らし、わたしはもう一口汁を啜る。うん、美味しい。お母さんの味とは少し違うけど、これはこれで問題無く食べられる。


 わたしの様子を見て安心したのか、少女の表情がぱぁっと明るくなった。


「ああ良かったぁ。私お料理あんまり得意じゃないから不安だったんですよ。嬉しいです!」

「いやいや、これだけ作れたら十分だって。良い奥さんになれるわよ、あなた」

「本当ですか!? やったー! えへへ、美沙樹さんに褒められちゃいました」

「はっはっは。何ならわたしのお嫁さんになる? とか言ってみたりして」


 ずずずずず。味噌汁とご飯を同時に飲み込み、口の中で存分に咀嚼する。うむ、余は満足じゃ。やっぱ日本人の朝は味噌汁とご飯よねー。あ、このお魚も美味しい。何だろこれ、鯖かな? わお、この卵焼きもふっくら焼けてて、焦げ目も程よく付いててなかなか──。


 一通り食べてお腹一杯になった後で。わたしはゆらりと立ち上がり、何だかとっても嬉しそうな、少女の背後へと回り込んだ。


「で? あんた、一体何を企んでる訳?」

「え? 企むって何を──」

「とぼけても無駄よ! 勝手に人ん家に上がり込んで、人が寝ている間に朝ご飯まで作って!

 おまけに何? その笑顔、普段のあんたからは想像もつかないくらい可愛い……もとい、気色悪いのよ何だか!」

「いたたたた。美沙樹さん、痛いです。いたたたた」

「当たり前よ。痛くしてんだからー!」


 ぐりぐりぐり。彼女の両のこめかみを、両拳で押さえ付けてねじ込むように回転させる。余程痛いのか悲鳴を上げる少女。ああ、何だかとっても悪者な気分。悪いのはこの娘の方なのになー、何でだろ。


「さあ、やめて欲しかったら吐きなさい! わたしに取り入ってどうするつもり? はっ、まさか食事の中に毒を一服盛ったとか!? ぐわー、どうしてくれんのよ、全部食べちゃったじゃないのわたし!?」

「あ、あの。私、そんなことしませんっ……何も企んでなんかいませんよぅ」

「ふん。じゃあ何であんたがここに居るのよ? あんたの目的は、わたしを殺すことなんでしょうに」


 そう、彼女──ムーンちゃんの目的は、わたしのような「半欠け」と呼ばれる存在の抹殺にある。そんな彼女が、エプロン姿で、微笑みを浮かべてここに居ること自体が異常なのだ。


 なのに、彼女は。


「そんな……私はただ、貴女と一緒に居たいだけなんです。それじゃ駄目なんですか、美沙樹さん?」


 なんて、悲しげな表情で問いかけて来た。何、この展開。


「美沙樹さん、言ってくれたじゃないですか。私のこと好きだって。ずっと一緒に居ようって。だから私、嬉しくて」

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。それって、まさか──」


 ムーンちゃんの言葉にハッとする。今朝見た夢の内容と、見事に一致する彼女の言動。まさか、この娘。


「あんなに強く抱き締められたの、私初めてです……美沙樹さん、責任取って下さいね……?」


 ぞくっ。背筋を、冷やりとしたものが駆け抜ける。間違い無い、この娘、わたしの寝言を聞いたんだ。


 いや、それどころか。どうやらわたし、ムーンちゃんを薫子と間違えて、夢の中で告白したっぽいのだ。


「死が二人を分かつまで。つまり私が貴女を殺すまで、ずっと一緒に暮らそうね、っていう意味ですよね? 反則ですよ、あんなの。あんな情熱的なこと言われたら、私……ああ、とろけてしまいそうです。きゃっ」

「………」


 ああもう、何と言うか。誰かこの事態を上手く収拾してくれないかなあ。つーか何でムーンちゃんがここに居るのよ、おかしいじゃない。わたしこの娘にアパートの住所教えた覚え無いんだけど──。


「一応確認しておくけど。あんた、誰かにここの住所訊いたりした?」

「え? はい、薫子さんから。最愛の貴女に逢えなくて寂しそうにしていた私を見かねてか、薫子さんの方から声を掛けて下さって」

「ほおう。薫子が、ねえ?」


 あ、あの野郎っ! 最近何か調子に乗ってるとは思ってたけど、まさか敵にまで情報を売るようになるとはっ……つくづく恐ろしい子!


「それで、闇討ち、もとい夜這いをかけようと思いまして。美沙樹さんが寝静まるのを待って、こっそり忍び込んじゃいましたぁ」

「忍び込んじゃいましたぁ、じゃない! 何あっさりとんでもないことバラしてんのよアンタはぁ!?」


 それじゃ何、あの夢を見なかったら今頃わたし、あの世に旅立ってたかも知れないってこと? つーか、あれだけ正々堂々全力で戦いたいとか何とか言っておいて、この娘はー。もしかしてわたし以上に、適当な人生を送ってるんじゃないのか?


「つーかさ! 忍び込んだって言ったけどあんた、一体どっから入って来た訳? 玄関には鍵が掛かってたはずだけど」

「ああ。それなら、これで」


 そう応えた、彼女の手が青白く輝き始める──って、まさかー!? わたしは慌てて、玄関へと走り出した。まさかまさかまさかまさかー!


 ……あ。玄関、無くなってる。


「ふ。ふふふ、ふふふふ」


 木っ端微塵。まるでミサイルでも撃ち込まれたように何もかもが吹き飛んだ玄関跡地には、ぺんぺん草一つ生えてはいなかった。いや生えられても困るんだけどね?


「く、くくく……ははははは、あはははははははっ……!」

「あはは。綺麗さっぱり吹き飛ばしましたから、後片付けする手間が無くなって良いですよね。流石は私、力のコントロールは抜群ですっ」


 哄笑するわたしに合わせるように、ムーンちゃんもまた笑って。少し得意げに、二の腕に力こぶを作ってみせた。


「ああ、うん。そだね」


 その手を掴み、わたしは彼女を引き寄せ。


「やっと事情が飲み込めた。

 納得したから、アンタもう死んで良いよ?」

「──ぇ──」


 驚きの表情を浮かべるムーンちゃんを、全身の力を振り絞って抱き締めた。


 これぞわたしの最上級の愛情表現。全力をもって対象の背骨という背骨をへし折る、範●勇●郎も真っ青の死の抱擁である──。


 なんてことができるはずも無く。現実には彼女を抱き締めた状態で、デコピンを一発喰らわせるに留めておいた。


「うー。美沙樹さん、痛いです」

「我慢しなさい。派手に玄関ぶっ壊したんだから、それくらいの罰は受けてしかるべきでしょ? むしろこれで済ませてあげたことに感謝して欲しいくらいだわ」


 朝ご飯、ご馳走になったことだしね。あの味噌汁の味を思い出すと、どうしても本気で怒る気にはなれないのだった。


「美沙樹さん。お願いがあります」

「何よ?」

「私を、ここに置いて下さいませんか? その、ご迷惑をお掛けしたお詫びも込めて。しばらく、貴女のお世話をさせていただけないでしょうか?」


 わたしの腕の中で、彼女はそんなことを口にした。いつもなら問答無用で断るであろうそのお願いに、わたしは。


「勝手にしなさい」


 なんて、自分でも驚くような返答をしていた。何? わたし今、何て言ったの?


「はい。じゃあ、勝手にしますっ」


 食べ物か、それとも彼女が見せた笑顔につられたのか。どちらなのかは分からないが、とりあえずわたしは負けたのだと思った。参ったな、ホント。何であんた、そんな嬉しそうに笑ってる訳?



 ……あんた、わたしを殺したいんでしょう?



 それとも。今こうしている現実さえも、真夏の夜の幻像に過ぎないというのだろうか。


「ああ、そうだったら良いのにな」


 玄関の惨状を眺めながら、わたしは修理費一体どれくらいかかるのだろうかと頭を抱えるのだった。ちゃんちゃん。



 今日の日記:

 てゆか、玄関爆破された時点で気付くよね普通。

 余程疲れていたのかな、わたし? だからあんな夢を?

 ま、気にしてもしゃーないけどねー。ううう、にしても薫子のヤツ、余計な真似をしやがってー(恨)



 それでは、明日に続くのだっ(涙)

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