第6話「ヤバ。わたし、間違えてる」

「ヤバ。わたし、間違えてる」

「ふぇ?」


 それは、かの有名な美少女格闘ゲーム「爆乳天国」の続編、「三穴無双(さんけつむそう)」を購入した帰り道のことだった。予約特典の三点責めセットどこやったかなーと袋をがさがさ漁っていて、ふと気付いてしまったのだ。


「間違えてるのよ、わたし」

「えっと……何が?」

「決まってるでしょ? わたしのキャラ設定よ!」

「………」

「ほら、初期設定ではわたし、お馬鹿で天然な薫子を生温かい目で見守る、頼れるお姉さん的な役どころだったじゃない?

 それが今ではまるで逆っ! 何でこのわたしが、薫子居ないと生きていけないような超駄目人間扱いされなきゃいけないのよ!? 終いに泣くわよわたし!?」

「……今頃気が付いたんだ?」


 憤るわたしと、何やら生温かい目でこちらを見守る薫子。そうだ、その立ち位置が既に逆なんだ! 気付くと、慌ててわたしは彼女から距離を取った。


「美沙樹ちゃん? どうしたの?」

「くっ、何てことっ……! このわたしとしたことが、こんなにもどっぷりと薫子に染まっていただなんて! 薫子、恐ろしい子!」

「美沙樹ちゃん、訳分かんないこといつまでも言ってないで帰ろうよ? 今日は美沙樹ちゃん家で一晩そのゲームを遊び尽くすんでしょう?」

「いやっ! それ以上近寄らないで!」


 肩に触れようとした薫子の手を咄嗟に払い、わたしは力の限り叫んだ。


「今日限り、あんたとは絶交よーーーーーっ!!!」

「えっ……えええええええっ!?」


 言ってから後悔するようなことは始めから言わない方が良いんです。そんな教訓を改めて痛感しながら、わたしは唖然とする薫子を独り残し、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にしたのだった。


 こうしてわたしは、自分自身を取り戻すための第一歩を踏み出したのだった。



 とは言ったものの。


 人生の90%以上を薫子に依存してきたわたしにとって、彼女の居ない日々は想像するだけで億劫な代物だった。薫子以外にまともに喋れる友人なんて居ないし、アパートに帰っても誰も居ない。うちのアパートはペット禁止だから、大好きなニャーニャーも飼っていないし……だからって独りで三穴無双をするのは、何だか人として終わってる気がする。まあ、爆乳天国の時は不眠不休で全キャラのエンディングを目にするまで遊び尽くした訳だけど。


 駄目だ駄目だ駄目だ! そんなんじゃ、いつまで経っても現状から脱却できない。わたしは初期設定に還るのだ。薫子なんか居なくても全然大丈夫な、頼れる姉御キャラになるんだから! 知り合いなら薫子以外にも居るじゃないか! そう、例えば。


「包茎インポ君、居るー?」


 薫子の部屋の隣には、通称「開かずの間」と呼ばれる一室がある。呪いの三重殺が掛かっていると噂されるその場所は、本来ならば誰も住んではいないはずの空間だ。


 だけど、物事には何でも例外というものがある。大家の一人息子という立場を最大限に利用した彼──その外見から勝手に推測し、わたしは包茎インポ君と名づけていた──は、この部屋をタダで借りていた。話を聞くに、働いていないから渡すお金が無いとのこと。わたしにとっては何とも都合の良い駄目人間ぶりだった。


 インターホンを押しても出て来ないし声を掛けても返事が返って来ないので、勝手に部屋に入ることにする。留め金の外れかけている部屋のドアは、わたしの一蹴りで簡単に開放された。


「お邪魔しまーす」


 途端、むせ返るような悪臭が鼻をついた。一人暮らしの男の体臭、しかも極めて高濃度の。汗臭いとか生臭いとかイカ臭いとか、もはやそういった次元の臭いではない。これは、そう──人間の腐った臭い、だ。


 わたしは予め用意しておいた消臭スプレーを振り撒いた。ぷしゅー。まだ消えない。ぷしゅー。まだ消えない。ぷしゅー。あれ、消えない。ぷしゅー、ぷしゅー。消えない、消えない、消えない……。結局一缶丸ごと使ったが、それでも部屋の臭いが消えることは無かった。仕方なく、防毒マスクをして部屋に入る。


「あ、居た」


 玄関口から奥の寝室までには仕切り戸があるものの、基本的には戸口から奥まで一直線なので部屋の中は丸見え状態だ。どんな部屋なのかと言うと、これが意外に無駄無く片付いている。片付けられ過ぎていて、殺風景にも程があると思える程に。あれだ、大家さんが定期的に掃除に来てるんだ、きっと。


 部屋の中央で、彼はこちらに背を向けて何かしていた。わたしが「こんにちはー」と挨拶しても、まるで返事無し。シカト状態。一体何をしているのだろーと彼の肩越しに覗いてみると。


「あ。るーたん新作出たんだ?」


 包茎インポ君は、一心不乱にお人形さんをいじっていた。脱着可能な服を少しずらしてみたり、自在にポーズを変えてみたり。終いに髪に頬擦りし始めたので、わたしは彼から離れてパソコンを立ち上げた。起動音は、女の子の喘ぎ声。


「んー。いつ聴いても可愛い声してるよねぇ、るーたんは。……さてと」


 おもむろにウィルス駆除を始めるわたし。暇で暇で他にやることが無いのだから仕方が無い。ウィルスがやたら検出されるのも仕方ない、普段からアングラばっか見ているからだ。


「ね、包茎インポ君。少し、お話しない?」


 たまにはわたしの方から誘ってみることにする。話し相手が居ないと退屈で、どうにも落ち着かない。あ、また引っ掛かった。マジうぜー。削除、削除、と。


「……何を?」


 ひとしきりお人形遊びをして満足したのか、ようやく彼はわたしの方を見てくれた。二十代後半にして、早くも人生に疲れたような顔。彼の人生が明日終わりだとしても、何の疑問も抱かず納得するだろうなとわたしは思う。


 わたしは確信していた。彼を救ってあげられるのは、きっとこのわたしだけだ、と。何故って、彼の話をまともに聞いてあげられるのはわたしだけだから。彼の眼をまともに見つめ返してあげられるのは、わたしくらいしか居ないだろうから。そうだ、わたしは頼れるお姉さんなんだから。彼がどんなにキモくて臭くてゴミ屑以下の存在だったとしても、わたしならきっと受け入れてあげられる。そうだ、きっと。


「そうね。るーたんのこと、聞かせてくれない?」


 適当な話題と言えば、いつもそれだった。わたしが「彼女」の名前を出す度に、彼の表情が穏やかになっていく。当然と言えば当然の反応だった。彼にとってるーたんとは、かけがえの無い恋人だったのだから。たとえその間に超えることのできない次元の壁があったとしても、彼と「彼女」は永遠に両思いなのであった。


 ……と、まあ。わたしはそんな風に彼のことを理解しているのだが、本当の所はどうなのだろうか。良い機会だから、色々と訊いておこうかな。


「るーたんは、優しい娘なんだ。いつも俺に笑いかけてくれて、いつも俺の話を聴いてくれる。あんな良い娘、他には居ないよ。俺、るーたんと結婚するんだ、今度。一杯子供作るんだ。るーたん……ああ、るーたん……」

「そう。お幸せにね」


 うん、ここまではわたしの予想通り。パソコンの向こうで虚ろに微笑むるーたんの様子を見ながら、わたしは彼に最高の笑顔をプレゼントした。それから、おもむろにマウスで左クリックする。るーたんの胸の辺りを狙って。


 びりびりびり。るーたんの服が裂けた。裂いたのはわたし、いや、プレイヤーキャラ「獅子雄怒真琴(ししおど・まこと)」。数々の女を手篭めにし、数百人にも及ぶ父無き子を産ませて来た平成の悪魔だ。プレイヤーはこの極悪非道な男に成り切って、攻略可能なヒロインをあの手この手で脅迫し、調教することによって、彼無しでは生きられない肉体に作り変えていくのである。そんな、何とも可哀想なヒロインの一人が「るーたん」だった。


 ここまで言えば分かるだろう。変態ひきこもり男・包茎インポ君の「彼女」とは、某エロゲーメーカーの創り出した美少女陵辱ゲーム「∞──ループ──」に登場するヒロインのことであり。当然のことだが、現実に存在している女性ではない。毎晩薫子が聞かされていたという「あの声」は、実はこのゲーム中で「るーたん」が犯され発する喘ぎ声だったのである。どうりで、やけに可愛い萌え声なはずだ。プロの声優さんなんだから。いやーそれにしても本当、るーたんは可愛いなあ。苛め甲斐があるというか、何と言うか。お持ち帰りしたいなぁ。


 ……はっ。そこまで思考が及んだ所で、わたしはようやく当初の目的を思い出した。頼れる姉御計画。彼はわたしより年上だけど、放っておけないくらい駄目駄目な人だから。わたしが、更生させてあげなくっちゃ。


「あ、そだ。お茶でも入れるわね……っと」


 冷蔵庫を開け、ペットボトルの中の液体をコップに注ぐ。何だかヤケに黄色くて臭いがするけど、まあ大丈夫よね。冷蔵庫に入っていたんだし。


「それ、俺の」

「ん? ああ、はい」

「俺の……尿なんだ」

「ぇ」


 コップを持ったまま、わたしは彼の顔をまじまじと見つめる。すると彼は恥ずかしそうに目を背けて、僅かに頬を赤くした。ちょっと待って、何この展開?


「夏だから腐るといけないと思って、冷蔵庫に入れておいたんだ……本当はるーたんに飲んでもらいたかったんだけど……あんた優しいし、その……いい、よ……?」

「………」

「あ、そうだ。冷凍庫の方に、精液、取っておいたから。アンプルに入ってるから、直ぐ分かると思う……できるだけ濃くて元気そうなの、選んでおいたから。一発で、妊娠できると思うな……」

「………」


 思考が、ついていけない。このわたしともあろう者が、まるで赤子扱い。上には上が居るとは、良く言ったものである。まさかわたしが、本気で引くことがあるだ、なん、て。

 こ、この野郎。最後の最後で、とんでもない隠し玉を持っていやがったぁ──!!!


「そう、ね。あなたの気持ちは、とても嬉しいん、だけど」


 少年のような真っ直ぐな瞳で、彼はわたしに飲尿を期待している。その視線が痛い。痛過ぎて吐きそう、マジで。


 懸命に吐き気を堪えつつ、わたしは何とかして彼を更生させようと試みる。


「そうだ、外に行こうよ! こんな暗い部屋に独りで閉じ篭ってたら頭おかしくなっちゃうよ? もう手遅れかも知れないけど──」

「独りじゃ、ない」

「……へ?」

「ここには君も、るーたんも居る。俺は、独りじゃ、ない」


 いや、その。やたら格好良い台詞を、こんな場面で使われても困るんですけど。


「分かった……生が良いんだ、ね?」

「え?」

「出す……出すよ、君のために」

「や、ちょっ、な、何やってるのかなー、君は」


 股間を押さえ、何やらもぞもぞやり始める彼を前にして。わたしはどうすることもできず、ただうろたえていた。


 何が頼れるお姉さんだ。結局の所、わたしには何もできないじゃないか。くそっ、超変態を前にして、わたしは何て無力なんだ……!


 怖い。何だか凄く怖いよ。誰か、ねえ誰か、助けて。誰でも良い。この状況から救い出してくれるのなら、誰でも──。


 脳裏を過ぎったのは、やっぱりあの娘の笑顔だった。駄目。わたし達絶交してるんだから、助けに来てくれる訳無いよ。


「ううっ……すげー興奮する……君に見られて、視線で犯されて……俺、すげー興奮してる。こう、擦っただけで俺もうっ……出る、出ちまうよぉっ」

「だ、出すなあああああっ!?」


 最早我慢の限界だった。ペットボトルの中身を彼の顔面目掛けて噴射し、わたしは悲鳴に近い声を上げる。


「い、いい加減にしなさいよねアンタ! 怒るってか警察呼ぶわよ!? 人が優しくしてりゃあ、つけ上がりやがって──!」

「イイ」

「……は?」

「怒る顔も素敵だ……実にイイ。なあ頼むよ、もっともっと……そうやって俺を責めてくれないか……?」

「~~~~~~~~ッッ!!?」


 顔中おしっこ塗れなのにもかかわらず、それを拭おうともせず。恍惚の表情を浮かべて、彼はにじり寄って来る。ああ、駄目だ、この人。本格的に、色んな意味で、もうイッちゃった人なんだ。更生も何も、この人はもう終わりなんだ。一度壊れてしまったものは、二度と元に戻ることは無いんだ。


 だから、もう良いよね? さっきから殺りたくて殺りたくてムズムズしてるんだから。もう、我慢なんてしなくて良いよね? 殺人者になんてできればなりたくなかったけど、これはもう、正当防衛の範囲内だよね……?


 とりあえず手近にあるもの、と。パソコンの脇に何故か置かれていたトゲ付き金属バットを振り上げた瞬間、わたしの脳内を埋めつくしていたのは、大量の薫子のエロ画像だった。



 ごめんね、薫子。

 わたし、また間違えちゃったみたい。



 ──BAD END──



 今日の日記:

 またなのかよっ!?(三●風一人ツッコミ)



 それでは、もう一度今日からやり直すのだ?

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