第13話
わたしの周囲に来た平民は、傷を検めるためにわたしと〈窓〉の身体を懐中電灯で確認した。〈窓〉は平民の前は黙りこくってしまうので、わたしのような息も絶え絶えの重傷者と間違えてしまったらしい。しかし彼の体表を見るや、彼らの気配が剣呑なものになるのを感じた。
「彼は従者であり、友人であり、わたしたちの命の恩人だ。彼に危害を加えるなら残念ながら、きみの方をこの船から放り出さなければならない」わが兄弟はすぐさま助け舟を出してくれた。その平民はそれ以上の追及はできなかったが、釈然としない様子で歯を打った。
医務室は立錐の余地もなく、わたしは傾いた通路に、ソリにくくりつけられたまま寝かされた。通路を滑り落ちていかないように、ソリの綱はむき出しの配管に結び付けられる。医者はもはや、軽症者には鎮痛剤だけを与える処置しかせず、わたしのような重傷者には循環器系の強壮剤を打つことしかできなかった。苦痛や病の前ではカストや階級はおろか、血縁も関係なかったので、臨時の指揮官の血縁者であるわたしにも、強壮剤しか投与されなかった。わたしの声肺は、やっと息を吹き返した。
「すまんな、こんな粗末なところに寝かせて」わが兄弟が詫びる。
「謝る必要がどこにある。……ここには何人の怪我人がいる?」
「わからん。船医は死にそうか生き延びるかの判断で手一杯だ。さきほどまでの怪我人がいつのまにか死者になり、死者がいつのまにか息を吹き返している。そんな具合らしい」
わたしは暗澹とした気分になった。こんな状況では、この戦いがどう転ぼうが、この星でわが文明を維持していくのは無理だ。生き残った者は食糧や医薬品の不足に苦しみ、それらを生産する機構もない。人々がしがみつく浮袋には、もう穴が開いて空気が漏れ出していた。
生き残るためには、空気が漏れ切る前にみなで岸にまで泳ぎ切らなければならぬ。
「それじゃあ、わたしはもう行かなければ、いつドックの隔壁が破られるかもわからん」
「敵もこの船を傷つけたくはないだろう。あまり手荒なことはしないんじゃないか?」
「ここまでしでかした我々が、それを言うか?」そう言ってわが兄弟は中央指揮所に行こうとした。この戦いの最前線だ。
「まだ死ぬんじゃないぞ」
「その言葉、そっくりそのまま、君に返そう」わが兄弟はそういったが、わたしは彼との約束を果たせそうになかったし、果たす気もなかった。体液のめぐりが滞り、身体の先端から壊死が始まりつつある。薬のおかげで痛みや苦しみからは回避できているので、自分の命の残り時間を、まるで他人事のように算出していた。
船ががたがたと揺れると、一瞬浮遊感が突き抜けた後、船底から重い衝撃が伝わり、さらにもうひと揺れの後、船は水平になった。しかし宙を浮いている様子はなかった。船はまだ蘇生していなかったが、傾斜を気にする必要がなくなり、非常灯もようやく点いたので、わたしの目の前を、乗組員の生き残りがあわただしく行きかうようになった。しかしその顔触れはいつも同じだった。明るくなっても、怪我人の数は数え切れそうにない。
船内の移動が楽になったので、わたしは頭に浮かんだ計画を、すぐさま実行に移すことにした。準備のため、〈窓〉にわたしの解析機関の元に連れていくように指示をする。船内はどこも嫌な沈黙に包まれている。死者が醸し出す静けさだ。ところどころに放棄されたバリケードや、六肢をバラバラにされたり、首を跳ね飛ばされた兵卒や平民の死骸が転がっている。平民や兵卒の死骸も、時間が経つと色が落ちてつやのない暗い灰色になり、見分けがつかなくなる。床は彼らの体液でてらてらと光っている。その静寂を破るよう、威嚇の砲撃音が散発的に聞こえてくる。全方位から音がやってくるので、喫水ドックだけでなく、この船は全方位を敵に囲まれているのだろう。この推移はわたしの思い描いた計画通りだった。しかしもう一つ、大きな不確定要素があった。そのあたりを占うために、わたしには解析機関と、そこに集めたこの星の情報が必要なのだ。
解析機関の電源は落とされていた。念のため、室内のほかの機器につながる電線の遮断機を落とし、解析機関に部屋の電気を集中させる。そのおかげで、解析機関は本来の性能の半分ほどの性能しか発揮できなかったが、今まで送受信が停滞していた、各地の観測機や、周回衛星からの情報を収集し、分析していく。その解析された情報から判断するに、汎攻撃兵器の刺激で、この星は大気圏だけでなく、地殻まで幅広く目覚めのときを迎えているようだ。巨大火山が複数噴火し、煙は気流に乗って惑星を周回し、このあたりでも明日には降灰が観測できるだろう。また地震の巣では氷河が割れて地滑りが起き、火山地帯では泥流が窪地を埋め、融けて染み出た水が沼になり、湖になり、小さな内海になろうとしていた。
わたしたちのいるこの氷原も、安定を失うのは時間の問題だ。事実、温水地帯には地温の上昇や、微動が観測されている。それが氷河の流動が原因なのか、さらなる地下の奥深くでの熱源の動きがあるのか、情報と、それを分析するだけの出力が不足しているので断言はできなかった。しかし、今のわたしにはそれまでの大雑把な分析結果で充分だった。
次にわたしは、〈窓〉にこの星の微生物の試料を出してきてもらった。培養施設が破壊された後、わが兄弟が集めてくれた一部だ。保管していた冷蔵装置が停止していたので、一部が融けて、白濁した液体になっている。結局、菌株一つ一つを単離することはできなかったが、これも今のわたしにはどうでもいいことだった。
わたしは解析機関から、気候と地殻変動に関する情報だけでなく、自分の論文をすべて記憶媒体に写した。わが兄弟にその欺瞞を見抜かれたあの論文だ。
「彼にはわたしに会う時間なんてあるかな」わたしにそう問われた〈窓〉は、特に相槌をしてはくれなかったが、どこに行くか訊ねるわけでもなく、わたしを中央指揮所に連れて行ってくれた。わたしは途中で意識が遠のき、〈窓〉が強壮剤を打った。今のわたしは複雑な新陳代謝ではなく、薬の力だけで動く内燃機関だった。
船内の他の場所と同じく、中央指揮所も異様な静寂に包まれている。指向性熱爆弾で吹き飛ばされた隔壁に、壊れた防柵は元々、ここに立てこもっていた兵卒たちが築いたものだろう。出入口そばの顕示盤の画面は籠城が破られたときに破壊されたらしい。どの機械も体液を浴びて嫌な臭いの煙を噴き上げていた。ただし、ほかの場所と違って、ここにいる者たちはまだ、気力や体力が残っているようだった。彼らは喫水ドックを叩く音になにか変化がないか、奇妙な忍耐強さでもって聞き続けている。
だから、わたしが兵卒に担がれながら登場したときには、彼らに集団幻覚のようなものがやってきたかのような、場違いな動揺を与えてしまった。
「なんだ、まるで死人が歩いたみたいな驚きようだな。昔、そんな恐ろしいことをさせる寄生生物が、とある植民星にいたそうだ。聞きたいか?
暗い雰囲気を破れるよう、わたしは空元気を出したが、無駄な試みだった。死にかけの年寄りが、血族を心配させまいと無理をしているのと寸分も違っていなかったからだ。みかねたわが兄弟が駆け寄る。
その口調は厳しい。
「何しにきたんだ。はっきりいうが、きみの命はそう長くない。わたしは少ない資源で、なるべく健康な人間が生き残る策を考えなければならないんだ。だからこれ以上きみを――」
「だから、わたしはその大勢が生き残る策を考えて来たんだ〈高みを行く者〉よ。わたしの残された命と引き換えに」
真の名を呼ばれ、わが兄弟はわたしが、決して冗談を言っているのでもなければ、自暴自棄になっているのでもないことを悟った。とりあえず話を聞こう、きみとの間に悔恨を残したくないから、と言ってくれた。
「できれば内密に話しをしたい。――きみをここに連れてきた貨物船はまだあるか?」
「ドックの中に寝かせてあるが、あそこに行くのはあまり勧められない。なぜだ?」
「わたしの作戦で、あれを使いたいからだ。――返却することはできそうにないが」
わたしは貨物船の運転席に座っていた。――というより、縛り付けられていた。元から備え付けてある座席ではなく、車いすのために交換した席である。下半身は模造体液で満たされた、即席の生命維持浴槽に覆われている。身体がもうほとんど壊れていて、常に体液が染み出していたのだからやむを得ないが、これでは操縦桿を握れない。しかし長距離の移動は母船――揚陸艇から量子通信で遠隔操作されるし、離発着など、現場での臨機応変な判断が求められるものは、時間がかかるが、微弱な体内電流を感知する増設操作盤を使って操作することができる。民生品なので、細かい操作はできないが。
わたしの首筋の、皮膚から最も浅いところにある体液節には、点滴針が刺さっている。わたしの体内電流の記録に合わせて、そこから強壮剤が投与されるという仕組みだ。薬の量は約四半時間分だ。これ以上の量を投与すれば逆に貴重な残り時間を削ることになる。つまり、その四半時間――この惑星で、地平線が白み始めてから、恒星が完全に地平から姿を現すまでの時間と等しい――が、わたしの一生に残された時間だというわけだ。
「もし撃墜されたらこの緊急信号を出せ。操縦席は脱出ポッドとして独立しているから、座席の下から分離して、あんたを脱出させる。短時間なら飛行も可能だ」船の整備技師がそう説明する。
「上空に射出されるんじゃないのか?」
「そうするとあんたは船の後部に激突するぞ。宇宙ではそうはならんのだが」
「ならしかたない。爆弾の量は、十分かね」
「船で集められるものはすべてかき集めたが、それでもあんたが欲しがっていた量の半分だ。しかしそれでも、飛行速度はだいぶ緩慢になる」
「格闘戦をするわけじゃないから、きっと大丈夫だ。ありがとう」
そう答えると技師は船から出て行った。
わたしは胸元に、瓶に詰めた、例の生物試料を抱いている。肌に伝わる冷気が、わたしの正気を保っていた。わたしの死出の旅の共はこいつらだ。もっとも、彼らはおそらく死なないだろう。
通信機からわが兄弟の声がする。
『本当にいいんだな? 後悔はないか?』
「この作戦を発案したのはわたしだ。後悔などあるものか」
『よかった。いまさら寝台の上で死にたいなんて言っても、聞いてやらないつもりだった。――さて』
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