第12話

 わたしたちが焦るのを尻目に、揚陸艇は一度激しくその身体を持ち上げ、一本の鋼索とその先の杭を引き抜こうとするようにのたうち回った。そのはずみで雪原に巨大なひび割れが十字に広がっていき、その裂け目と、そこから噴き出る厚い蒸気がわたしたちの進路と視界を塞いだ。先ほどまで電磁障壁の発生装置を動かしていた発電設備からの熱が、機関の停止から行き場を失い、一気呵成に地下からあふれ出してきた。

 わたしたちが立ち往生していると、揚陸艇の方から、湯気の壁を割ってこちらへ突進してきた。ずっと氷河の下に埋まっていたはずの船底が、わたしたちの乗る装甲車の頭上をかすめていく。がりがりという嫌な音とともに、装甲車の頭がこすれていく。押しつぶされる恐怖が思考をよぎるが、幸いにもそうはならなかった。

「追おう。追いつけるかどうかはともかく、近くにいれば敵もこれ以上爆撃できないはずだ」


 装甲車を転向させようとしたわが兄弟は、小さな悲鳴を挙げた。わたしも驚愕したが、声は出せなかったはずだ。湯気の壁からさらに、揚陸艇により引っこ抜かれた発電機の本体が突っ込んできた。わたしたちは何もすることができず、発電機の直撃を受けた。

 激突してきた発電機はもはや、単なる鉄塊、原始的な質量兵器だった。機械はわたしたちの装甲車の側面に激突し、車を空中で二回転半させた。装甲車はかろうじて原形をとどめたが、わたしは社外に投げ出され、固い氷河に体を叩きつけられた。全身が砕けたかのような衝撃を味わいながら、発電機が雪原に引きずられていく様子をみていた。

〈窓〉が兄弟を車外に引っ張り出した。〈窓〉はさすがに丈夫で、肩を側面にぶつけただけだったようだ。わが兄弟も脚や胸の甲羅にひびが入ったと訴えていたが、何とか手足を動かし、しゃべることができるようだった。

 わたしは息ができなかった。元から半病人だった身体だ。先ほどの事故が止めになったのかもしれない。しかし声肺まで破れて穴が開いてしまったのか、自分の状態を告げようにも、声が出せなかった。

〈窓〉は手際よく、車内に備えてある救急医療機を取り出した。医療器は患者の状態に応じて勝手に指図をするので、だれでも操作ができる。わたしは〈窓〉が、指図されるわけでもなく自分の判断で救急医療機を持ってきてくれたことそのものに感動していたが、押し寄せる波のような痛みに思考は途切れがちになった。


〈窓〉は機械の命令どおり、わたしたち二人の船外服をはがし、手際よく、患部に塗る生温かい止液膠を塗布した。これだけでも気分はだいぶましになったが、今までにない底からくる痛みと、悪寒は収まらない。わが兄弟は身体を〈窓〉に起こされ、酸素で固まる低温硬化膏を噴霧され、防寒具をかぶせられた。

「おうい、きみの様子はどうだ? わたしの気分は最低だ」わたしは身振りで声が出ないこと、ひどい衰弱をおぼえていることを伝えようとしたが、伝えられない。「……ははあ、多臓器の循環器官が破れているな。最低と言ったばかりだが、下には下がいるもんだな。ひどい内出血だ。声も出ないだろう」わが兄弟は、医療機の表示を見るということでその問題を解決した。

「……きみの身体はこのままでは危ない。もう少しまともな医療設備と専門家が必要になるが、そのためにはなおさら、揚陸艇に戻らなければいけない。……身体を起こしても大丈夫か?」

 医療機は否定のための警告音を出したが、わが兄弟はそれを無視して、わたしが周囲を見渡せるよう、頭を持ち上げた。

「ほら、あれが見えるか?」彼が指し示した方向で、揚陸艇は前半分を氷河にめり込ませて停止していた。氷原には宇宙船が船底と発電機(の残骸)を引きずった後に沿って陥没し、蒸気を吹き出しながら割れ目を広げていった。氷原の崩壊はそこから時間を追うごとに広がっている。発電の熱で雪原の氷の下の水の流れが広がり、蒸気圧が抜けたため重量を支え切れなくなったようだ。この氷河の崩壊がどれほどまで続くのか、まるで見当がつかない。


 わが兄弟は話を続ける。

「勝敗は決したようだ。船は平民が押さえた。だから船でもっとしっかりした治療をしよう。なあに、わたしも〈窓〉も、きみを運ぶくらいの体力はある」

 わたしは、もう自分の身体は持たない。それにわたしよりも治療を待つ者が大勢いるだろうから、もう放っておいてくれないかと言いたかったが、言えなかった。わたしの気持ちを知ってか知らずか、わが兄弟と〈窓〉は装甲車の中の椅子を取り外して即席のソリをつくり、それにわたしを寝かせて散り散りになりつつある氷原を進みだした。あの巨大な揚陸艇が小さく見える。わたしという足かせがなくともあそこにたどり着くのは一仕事だ。

 わたしは所在なげに天を見上げた。空にはまだ極光がうっすらと光る。恒星の紫色線は強く、肉眼でも無数の黒点があるのがわかる。

 それにわたしは、軍艦を破壊した輸送艦が光輪に包まれながら、われわれの真上に降下してくるのを発見した。それは輸送艦と呼ぶにはあまりにも華奢な、ほとんど骨組みだけで飛行している船だった。わが兄弟がこの星にやってきたときに乗ってきた貨物船より、はるかに小さく、まさに超兵器を運ぶためだけの乗り物だった。あの船では第二宇宙速度しか出せないだろう。星間旅行は、間違いなく無理だ。その輸送艦を守るように、二隻のフリゲート艦が大氷原の周囲を低空飛行する。兵卒の反乱が不首尾に終わった以上、彼らは今度こそ白兵戦を挑んでくるはずだ。


 二隻のフリゲート艦はゆっくりと雪原に降り立ってくる。うち一隻が揚陸艇を襲おうと、船に近づきながら、暴徒鎮圧用の小型航空機が何機も吐き出す。まだこんなに敵が残っていたのか! 中には兵卒が二人乗っている。航空機自体は中枢解析機の自動操縦だが、搭載された銃口は目と手をもった人の意志(正しくは軍人の集合意識)に操られ、機械学習ではなく明確な殺意を持って火を噴いてくる。

 そしてその殺意の大半は揚陸艦の奪取に向けられていたが、うちの三機がわたしたちの方に向かってくる。しかも生物的な気まぐれか、元来狩猟カストであった軍人の本能がうずくのか、奴らは無傷に走る装甲車ではなく、無防備に雪原を進むわたしたちに狙いを定めた。

 おかしな話だが、わたしは死の恐怖を味わった。もう助からないと言おうとしていた者が、である。これは生物の持つ本能なのか? それとも、わたしにはまだやり残したことがあるからなのか? この自問は一瞬で、わたしたちの歩んだ跡が吹き飛ばされたことで掻き消えてしまった。〈窓〉はわたしの載せられたソリはおろか、わが兄弟までひきずるように、割れ目を飛び越え、氷がせり上がった段差を乗り越え、雷のような経路を描きながら確実に揚陸艇に近づいていく。結果を見れば、彼の歩みは巧妙に敵の爆撃や銃撃を避けていたが、実際のところ、彼は傍らでわが兄弟から「船はあっちだ!」と怒鳴られながら、目の前の地形で、荷物を運びながら最も歩きやすい地形をその場その場で選んでいただけに過ぎない。兵卒である彼にとっては、最終目標よりも、まず目先の瞬間を勝ち続け、生き残り続けることが最優先課題なのだ。その大儀のなさと場当たり性はしばしほかのカストから冷笑されてきたが、わたしたちの命をまさに今救っているのは、その場当たり性だった。


 しかしその場当たり性が、最後にわたしたちへのあだになる。逃走の中、さんざん上下左右に揺さぶられたわたしは半死半生だったが、「もう船まであと少しだ!」と、わが兄弟がわたしに声をかけると、にわかにソリの滑走が快適になった。

障害物がなくなったので、〈窓〉は馬鹿正直にも船に向かって一直線に走ってしまったのだった。彼やわが兄弟は夢中だったから気づかなかったのかもしれないが、わたしは三人を追尾する飛行機に釘付けにされていた。狩人は好機を逃さない。奴らの銃口がわたしに合わせられつつあるのを、わたしは叩きつぶされる小動物のような気持ちでじっと見つめていた。

 幸いにもわたしは殺されなかった。わたしに必中必殺の一撃をくらわす直前に、飛行機は対空射撃によって、火を噴きながらゆるゆると落下していった。銃創の長い列が、わたしたちのほんの少し右側に伸びていった。〈窓〉は驚き、左へ大きく蛇行していく。それをわが兄弟がどうにかして船の方へと誘導していく。わたしは自分の命を救った射撃の出どころを探した。味方の軍人が運転する装甲車に乗った平民が、機械の補助を受けつつも簡易銃座にしがみつきながら撃ち落としてくれたのだった。わたしの命の恩人はさらに敵の航空機を落としていく。他の生き残った装甲車や、揚陸艇からも対空機銃が火を噴く。やはり平民と軍人、二つのカストが揃ってこそ、われらが種族なのだろう。

 わたしたちは味方の弾幕に援護されながら、揚陸艇にたどり着いた、敵のフリゲート艦は、今は空を向いている喫水ドッグからの侵入を試みているが、容易に目的は達成されない。わたしたちは雪原の上に辛うじて覗いている、宇宙船の連結用出入り口を緊急で開けてもらって中に入った。装甲車たちもわれわれの足跡を頼りに、結集していく。


 わたしとわが兄弟は、内側で待っていた平民たちに抱えられた。非常灯で船内はほの暗いが、だれもがみな、六肢のどれかを吹き飛ばされていることがわかる。噴出した濃厚な体液の臭いが、視覚以上に反乱の凄惨さを浮き彫りにする。狭い船内だ、飛び道具ではなく刃物や鈍器を振り回し合って戦ったのだろう。この傾いた船内でなんとか活動している者もいるが、通路に横たわるもの、かろうじて座っているもの、さらには止痛薬の過剰投与で理性失いかけ、痙攣したはずみで通路を転がり落ちていくものまでいた。

「なんだ、疑似復原機がいかれたか?」わが兄弟は、自分を運ぶ平民に訊いた。彼はこの傾いだ通路で、引きちぎられたケーブルを綱代わりにして移動していた。

「軍艦が沈んで電気が止まったときにおかしくなった。修理に行きたいがこの傾きでは機関室にいくことすら難しい。――電力を融通しているから、医療設備はなんとか動かしている」

「まずはこの傾きを正さないと、船内の移動すらままならない。そちらもなるべく優先で復旧させろ。それと、装甲車の連中には、この出入口は使うなと伝えるんだ。一人ずつしか入れないから外で列を作って、敵の格好の的になる」敵もこの入口を使おうとしたら、船内に入ったところで一人ずつ仕留められてしまうというわけである。

 わが兄弟は医務室に運ばれながらも、指揮者の生き残りとして、船内の状況を把握するべく、目につく者全員に、矢継ぎ早に質問を浴びせた。声肺からの会話の明瞭さとは対照的に、呼吸肺からの呼音は絶え絶えだった。


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