第8話
「君の端末を確認したいのだが、この状況では――」わが兄弟はわたしから取り上げた端末を、ポンポン叩いていた。
「嵐が収まるまでは無理だ。きっと軍も、しばらくは威力の観測なんてできないだろう」
「いつになったらできるようになる?」
「それを確かめるためにこれから外に出よう。船外服をつけるのを手伝ってくれないか」
わたしたちは船から降りた。外ではすでに兵卒たちが下船して、観測機器や無電源式の量子通信機、それに電波望遠鏡を雪原の上に設置していた。
わが兄弟はわたしの車いすを押しながら、空を見上げていた。
「なんだ、今日は妙に暖かいな。それになんだか、空の色がおかしい」
「きみも気付いたか。――極光だよ」
「極光? この星の磁極は、遥か高緯度だろう。しかしここは……」
わが兄弟はいぶかしんだ。そう、今われわれがいるこの山脈は、ほぼ赤道上に位置している。対流圏まで突入できる荷電粒子が、もっとも少なくなる場所だ。きっと夜ではもっと荘厳な、それこそ目もくらむような光景を見ることができるだろう。
わが兄弟には、わたしの私物の屈折光学望遠鏡を一緒に持ってきてもらっていた。それを三脚の上に固定し、昇る太陽に向けた。
「直接筒を覗いてはだめだ。天幕や、平な雪の面に像を投影するんだ。わたしの外套を使ってかまわないから」
望遠鏡から伸びた太陽の映像は、その表面の異常を明確に示していた。恒星の表面に無数の黒点があることがわかる。この穴は一つ一つが強力な磁場の吹き出し口だ。恒星の活動が、いまだかつてないほどに活発化している証だ。
「こんな活発な恒星観たことがない。この恒星系は太陽風のすさまじい嵐に見舞われている」
「敵の機動部隊はこれで全滅しただろうか」わが兄弟は訊いた。
「敵機動部隊はおろか、星系の果てにある転送基地も心配だ。この太陽風で、もはや回復不可能なまでの被害を受けてしまうかもしれない。我々の軍艦だって無事かどうか怪しいぞ」
わたしとわが兄弟は不安にさいなまれながら、太陽が沈むのを待った。私の予想通り、夕刻から、新月からよみがえったばかりの細い月の光が、すっかりかき消されてしまうような、全天を覆う爆発的な極光が観測できた。そのまぶしさから雪原に影が浮かぶほどで、白い大地も朱色に染まった。
その光景を見るため、平民や文民も、船外服と外套をまとって下船していた。彼らの外套は食糧を詰めていた袋を再利用したものだった。見物しているのはまだ精神力が余っている、一握りの若者ばかりだ。未だに電波の状況は悪く、敵の機動部隊はおろか、第四惑星に残った、奴らの本隊の損害すら不明だが、戦争が始まれば、今は夜空を見上げる彼らだって、銃を手に取って戦うのだろう。その分、そういう自然現象への畏怖や感嘆の感情を抑制している軍人たちの方が、ひょっとしたら幸せなのかもしれない。彼らは美しいものへの未練を持たない。
兵士たちは空を見上げることなく、磁気嵐の被害を受けた自分たちの兵器の点検と、修繕を黙々と行っている。船外服をまとっているとはいえ、冷たい夜風が身体に悪いので、わたしは彼らの作業を、貨物室の隅で観察していた。長いこと孤独に暮らしていたせいで、どうも平民たちとも話がかみ合わなくなってしまい、与えられた部屋にも居辛くなっていた。わたしのことを完全に無視してくれる分、軍人たちのところにいたほうが、心穏やかに眠ることができた。わたしには彼らのざわめきが、なにか、潮騒の歌のように思えてきた。カストの連帯のため、実際に歌のような作用があるのか、これから始まる戦に高揚しており、それが何らかの規則正しい音声になっているのか、あるいはわたしの思い過ごしかもしれない。
わたしが目覚めたのは、夜明けの少し前だったと思う。作業を続ける兵士たちの動きが止まり、貨物室が鋭い静寂に包まれたので、思わず目を覚ましたのだ。なにかを察したわたしは、急いで情報端末を確認した。恒星が昇れば、地表は再び激しい太陽風にさらされる。情報を収集するならそれまでに行わなければならなかった。
わたしの予感は当たった。まず情報端末には、軍が配信した情報が到着していた。平民の士気の高揚を狙っているだろうから、あまり内容を鵜呑みにするべきではなかったが、ともかくそれによると、敵機動部隊のうち、艦隊のおよそ半数以上が破壊され、航行能力を失って、この第三惑星へ向かう軌道から逸れつつあるらしい。また、敵本隊から小型宇宙船が発進したことも敵の通信を傍受してわかったという。規模は不明だが、大型船の出航が確認できていないということは、〈汎攻撃兵器〉は敵本隊にも相当な損害を与えたらしかった。
わたしは胸騒ぎがして、天体に設置した気象情報を急ぎ収集した。すべてを受信する前に陽が昇ってしまい作業は中断されたが、一番知りたかった情報は取得できた。第四惑星の観測情報だ。
敵はわたしの観測装置をそのまま残していたようだ。きっと探そうとすらしなかったのだろう。得られた記録からは、一つの惑星の死が伝えられた。大気圧がなくなって、ほとんどの気体の成分が、機器で検出可能な値を下回っていた。猛烈な太陽風により、ことごとく吹き飛ばされてしまったのだろう。わずかに二酸化炭素の濃度だけが上昇していたが、液体の水による吸収がなくなっただけでは説明できそうにない量だと、解析機関は分析していた。おそらく、火山活動がにわかに活発化したせいだろう。
わたしは観測装置に光学機器を搭載しなかったが、それでよかったのかもしれない。そこに記録されるのは薄い大気の層に閉じ込められた一つの生態系の破局だ。大気が失われたことにより、海洋は蒸発するか、凍り付く。その氷も、大気を失ったことにより少しずつ太陽風に分解され、はぎとられていくことだろう。そして海洋の保温効果も失い、星は急速に冷えていく。ひょっとしたら少しは地中奥深くの、放射性元素による熱源が遺って、そこにわずかな生態系が残されるかもしれないが、ここ第三惑星の生命が自分の祖先たちと邂逅する確率は、ほとんどなくなった。その破局はあまりにも唐突だったので、将来の古生物学者がその大災害の原因を見つけることすら難しいかもしれない。
無論、磁気嵐が吹き荒れた瞬間に屋外に出ていた者は窒息死し、凍り付く。船内でも、船の機能が急速の消失したため、命を落としたものがいただろう。わたしの想像は膨らみ、それと共に、提督に助言をしてしまったことに対する自責の念もふつふつと湧いてきた。一方、敵の艦隊が壊滅したことを知り、兵卒の間には歓喜が広がっていた。彼らは、自分たちがある別世界の未来を不条理にも根絶やしにしたことについて、なんとも思わないのだろうか。――いや、それよりもまず、生存のため、この星に向かってやってくる敵の残党を、一人残らず掃討できると思っているのだろうか。敵の残党は我々の持つ、星間航行ができる船を、なんとしても奪おうとするだろう。この星にたどり着くまで、こちら側は追撃される一方だったではないか。汎攻撃兵器を使用した後でも、せいぜい五分五分の戦力に持ち込めただけではないのか。
もっと憂慮するべきことは、双方とも、友軍はおろか、補給が来る見込みすらまったくないということだ。こんな状況で行う戦争など、溺れかけた二人が、水面に浮かぶ一人分の浮き袋を奪うため、刃物を振り回して戦うようなものだ。結局二人は浮き袋を切り裂いてしまい、一緒に水底に沈んでしまう。
わたしの憂慮を、軍人たちは頭の片隅にも――いやむしろ、一頭の片隅にも考慮していないことが、その後の彼らの動作ではっきりとした。彼らは来るべき決戦のため、対空攻撃から身を守るための電磁障壁を構築し始めた。これで空からの守りを固め、白兵戦に持ち込み完全勝利を飾ろうというのが、軍人たちの思い描く筋書きだと、わが兄弟は教えてくれた。きっと攻めることより守りの方が有利なのは、物理法則と同じく、全宇宙で共通なのだと思っているのだろう。そして一度方針が決まった軍人カストは、もはや止まらない。自分たちに勝機が向いたと思っているのなら、なおさらだ。
電磁障壁の展開には巨大な発電施設と冷却設備が必要になる。電力は揚陸艇の全能力では足りないので、空に浮かぶ軍艦から通信波を使って供給されるが、通信波の受信装置、冷却設備は地上に構築しなければならない。これは突貫工事になるので、軍人だけでなく身体の丈夫な平民や文民まで労働力として駆り出されてしまった。兵卒たちは今後の戦闘のため休息が必要だといい、遠くからその作業を眺めるだけだ。これはわたしたちが何万年もかけて作り上げた社会の縮図だ。平民や文民は母星や安全になった植民星で生産活動を行い、兵卒たちは危険と隣り合わせの世界で戦う。互いの仕事には干渉しない。時代が発展と拡大の時代なら、それでよかったのかもしれない。
しかし衰退と縮小の時代、この律儀な分業は本来、通用しないはずなのだ。危険な土木工事に駆り出される平民は、自分たちの労働力を軍に不当に奪われているように感じている。一方の軍人カストの方は、戦争が終わればこの発電設備はすべて平民の生産活動のために使われるのだし、なぜ戦争という、偉大なる大母より与えられた素晴らしい収穫への備えをおろそかにしてまで、平民どもの仕事を肩代わりしなければならないのかと考えている。平民が作物の収穫と、その後の宴を待ち望むように、軍人は敵をせん滅し、その体液を浴びつつ進軍してゆき、領土と、敵を抹殺するによってのみもたらされる静寂と安息を待ち望んでいる。軍人カストは平民の厭戦気分と疲弊を理解できないし、平民カストはなおさら、軍人たちが血を求める理由がわからない。俗世を遠ざけてきたわたしでも、一触即発の雰囲気が、可燃性気体のように、船の底、船の通路、倉庫に、居住区に、こびりついて蓄積していくのがわかった。
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