第7話

 それでも船が山岳地帯に近づくにつれて、ところどころに蒸気を吹き出す温水地帯が見えてくる。地下に巨大な熱源が眠っていて、そこで温められた地下水が熱水となって沸き上がっている。この光景はいつみても壮観だ。とくに母星の老いた大地しか知らない人々にとっては、この生きている大地には、驚愕と畏怖を同時に抱かせるものらしい。同じ船室に押し込められた人々も、その光景に驚きの声を挙げていた。


 わたしは職業の性から、危うく彼らを相手に、長々とした講釈をしそうになった。いわく、この温水の中には、この氷漬けの惑星の原住民たちが住んでいる。原初のときと見た目は変わらないが、変異と増殖と淘汰を繰り返している豊かな生態系だ。この温水地帯からもかつてわたしは菌株を採取したが、彼らはこの白い停滞の中、なにを思って狭い生息域の中で、命の営みを続けているのだろうか。彼らはやがて来るであろう、雪融けの日に備えているのだろうか。もしそう問われたとしたら、わたしは否と答えるだろう。


 わたしの心の声などお構いなしに、船は温水地帯を通り過ぎ、地殻の岩塊同士が重なってできた巨大な山岳地帯にたどり着いた。氷河が厚く覆っているので視界に入るのは、セラミックの刃のような峰の切っ先だけだが、浸食の進行した、母星のなだらかな地表しかみたことがない人々にとってはこの景観も、見慣れないものである。


 船はそんな険しい峰々に囲まれた盆地に降り立った。この地にもわたしは見覚えがあった。直接足を運んだことはないが、無人観測機で測量をしたことがある。ここには氷床の奥深くに、氷河の摩擦熱でできた氷底湖がある。この山岳地帯の盆地には同じような氷底湖が無数に存在するが、わたしが発見した中では、ここにあるのが最大だ。熱源や有機物の堆積がないので生命の存在は期待できないが、汚染されてない液体の水が容易く大量に入手できるという地の利はある。縦穴を掘る労力にさえ目をつぶれば、という条件付きだが。


 船はこの星に飛来してきたときのように、無音で雪原に降り立った。その刹那、またも自重で雪原にめり込んでいく。船が氷からの浮力で安定するまで、船内の平民たちは、まるで猛獣から逃れるように、じっと息をひそめていた。外の天気は安定しており、まるで宇宙にいるかのようにひっそりとしている。

 船が腰を落ち着かせたあとも、我々には下船の許可が降りなかった。それでいて、軍人たちも暇そうに(あくまでもそう見えただけだ)、廊下のおなじところをいったりきたりしているだけだった。


 やがて陽が沈んでしまった。待たされ続けた平民からも静かな不平不満が漏れ出すが、それが大きな動きには発展せず、エネルギーの節約のため夜間の照明は使えないので、真っ暗な部屋の中で、むずむずという動きと体温だけが伝わる。

 窓を凝視していると、宇宙空間で静止する軍艦が山際から昇ってくるのが見えた。窓は曇っていたが、あまりにも巨大で、形も丸くないので間違えようがない。以前の公転軌道の内側を飛んでいるのか、昇っていく速度も、その大きさもずっと増しているようだった。しかし比較対象となる、月が出ていないのでわからない。


わたしは触指を伸ばして窓の結露を拭き取ろうとしたが、先回りするように、不意に窓に仕組まれた電熱器が動いて、結露も曇りもすべて消してしまった。宵の口の薄明かりが室内を満たす。ぼんやりとした宇宙戦艦の影はにわかにくっきりとした。星々を背景に、先ほど沈んだばかりの主星の光を受けて、片面が輝いている。半壊した二つの軍艦がつながっている様子どころか、今までは気付かなかった大型の構造物――姿勢制御装置や大型の量子通信機、高射砲に加え、表面でうごめく工作用の無人機の姿まで視認できるほどだった。


 艦内放送が流れだした。声は提督のものではなかったが、文民話法は、やはりぎこちない。

「草々よ(平民をこう呼ぶのを久しぶりに聞いた)。今こそわれらが秘匿し、なおかつ諸君の間でももっぱらの噂になっている、汎攻撃兵器の姿を君たちに見せるときがきた。窓のそばに集まり給え」

 同室の平民たちはおとなしく、命令された通りに窓際に集まっていく。その動きは緩慢で、軍の発表にも半信半疑といった様子だ。そんな平民の気持ちを知ってか知らずか、艦内放送は説明する。


「この兵器は恒星の対流層に作用し、大規模な磁気嵐を発生させる。それにより磁気圏を持たない惑星や宇宙空間に存在する機械類はおろか、放射線によって生物をまとめて殺傷することができる。この兵器の破壊力は恒星間文明圏にたいする大破局を招きかねない禍々しいものではある。我々の敵対者は、このおぞましい兵器を使用せざるを得ないまでに我々を迫害し、追い詰め、そして抹殺しようとしたことを、苦痛にまみれた死によって知ることとなるだろう。この磁気嵐は時をまたぎこの銀河を拡散していき、我々がこの恒星系において文明を存続させていること、そして我々に害をなさんとするものは、何度もこの兵器によって焼き尽くされることを警告するだろう――」

 平民たちはじっとその演説を聴いていたが、若い声で「それよりも、母星に帰りたい」というつぶやきが、確かに聞こえた。


 演説の背景から軍人話法のさえずりが漏れる。

「母船から発射の準備が整ったとの連絡があった。早速、汎攻撃兵器は起動され、敵軍の機動部隊はおろか、彼らの基地すら滅することだろう」再び軍人話法が聞こえ、それきり演説は沈黙した。

 民衆の意識は、宵闇にぽつんと浮かぶ船に集中した。恒星に照らされた船の一面から無数の尖塔が盛り上がっていき、船体に長い影を落とす。しかし尖塔の先が励起状態になり、そのエネルギーを宇宙空間に放出して、おぼろげながら、青白く発光する。その光は深海に灯した照明のようで、とても破局をもたらすようなものとは思えない。しかしエネルギー放射はこの惑星の大気にも影響を与えているのか、船を中心に赤い発光がのたうつように空に広がっていく。その赤と青の光は山脈や雪原に映り、まるで天と大地が共鳴して、古代の神話劇を再現しているようだ。しかしわたしは神々の物語に詳しくなかったので、それ以上詩的な感想を思い浮かべることができず、平民たちとともに、息を殺してその光景に魅了されているしかなかった。


 放射はどれほど続いたのか、記録にとっていないのでわからない。長かったと言われれば長かったようだし、短かったかと問われれば短かったような気がする。しかし発光がおさまり、いつもの夜が戻ってくると、平民たちは夢から醒めたように「なんだもう終わりか」とか「なにが秘密兵器だ。大したことなかったな」などとつぶやきながら各々の寝床へと戻っていった。

 わたしの実感は違った。これは破局の終わりではなく始まりだ。平民たちが想像する以上のことが起こったはずだった。軍の説明から想像するに、兵器から放射された何らかのエネルギー場が恒星に到達し、それが磁気嵐となるまでにはかなりの時間差があるはずだ。

わたしは自分の情報端末を確認しようとした。わたしの端末には、観測機器を置いた恒星系の天体の情報が集約される。情報を更新して〈汎攻撃兵器〉が与えた影響を調査するつもりだった。


 調査には助手がいる。結局のところ、頼りになるのはわが血筋である。

「そんなものがあるのなら、その情報をなぜ軍に提供しなかった?」わが兄弟はわたしにそう詰問したが、「求められなかったから」としか答えようがなかった。

「それに、観測機器といっても星を周回する光学衛星に、気温や気圧や放射線を測定する気象観測装置だけだ」

「敵の陣地の気象が、軍事上どれだけ重要かどうか、きみはわからないのか?」

「しかし、広い地表のほんの数か所の情報だけだぞ。それに敵軍に発見されて、すでに破壊されているものだってあるだろうし――」ここからさらに長い議論になりそうだったが、わが兄弟も兵器の実力を知りたいらしく、わたしの荷物から端末を探し出してくれた。

「おい、情報はどうやって見れる?」

「閲覧用の命令文を打てば一覧が表示される」

「その命令文は?」

「今からいうさ。――ただ」

「まだなにかあるのか?」

「兵器の影響が光の速さを超えるとは考えにくい。それに観測機は最大五十日分の情報を保存するから、今から慌てて情報を吸い出す必要なんてない」

 わが兄弟は興を削がれたのか、わたしの端末を持っったまま、自分に割り当てられた船室に引っ込んでしまった。


 しばらくうたた寝をしていると、わたしの周囲の平民がざわめいているのに気付いた。わたしは何が起きたのかを知ろうと耳を澄ませたが、平民の一人の方から、わざわざわたしに話しかけてきた。

 その平民は大柄な肉体労働者風の若年だった。目が覚めるなりわたしは事態の急変を悟った。部屋の明かりは大半が点滅しているか、消えてしまっていた。

「あんた、学者だろう。少し助けてくれないか」

「この病人にできることがあるかな。一体どうしたのかね」

「機械の調子が悪い。維持装置の調子が悪くなって、昨日まで無事だった病人が死にそうだ。それに通信端末やら空調が一斉におかしくなりだした。どこの部屋でも何かしら機械が壊れてるんだ。だから修理できる奴が足りなくなった」それからしばらく考えて付け足した。「宇宙を飛んでいるときでも、こんなにまとめて壊れだすことなんてなかったんだけどな」


 わたしはいよいよ、磁気嵐の影響がこの星に到達したことを知った。しかし、地磁気で守られたこの地表でさえ様々な影響が表れているというのは尋常でない。わたしは、磁気嵐が収まるまで精密機器の使用を避けるしかない。いま急いで修理をしても、どうせすぐに壊れてしまうだろうからと助言するしかなかった。

「ところで今、何時かな」わたしは若年に尋ねたが、相手はただ

「朝だってことしかわからない。なにせ時計の数字がどれもばらばらだから」

 とだけ答えて、あきらめたように自分に割り当てられた寝床に戻っていってしまった。

 わたしはもしやと思い、わが兄弟に連絡を入れて屋外に出た。船内では多くの扉が開け放たれている一方、隔壁が誤作動を起こし、通路の至る所を勝手に閉鎖していた。病人が使用している生命維持装置はこまめな再起動が必要だったが、わたしの車いすは単純な機構しか搭載していないので、磁気嵐の後でも問題なく動いてくれた。







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