第6話

 呆然とするわたしに、わが兄弟が追いついた。

「わが兄弟よ。もう一度、端末を読め。その前に、一度部屋に戻ろう」

 わたしは彼に引きずられていった。その間も、わたしは端末に描かれた作戦計画を凝視していた。壊された培養施設が、どうしても視界にちらつく。


「こんな作戦、無理だ。やつらは氷の星で戦ったことがないのか」

「それはないだろう。なにか深謀遠慮があるに違いない。われわれ文民にはわからないものが、きっと――」

「わたしの研究を台無しにしてもか。話が違うじゃないか」

「それはわたしも、すまないと思っている」


 船の方では貨物積載用のベルトコンベアが、兵士たちの手によってゆっくりと伸ばされていく。その様子を遠巻きに監督する者がいた。

 提督だ。取り巻きの多さを見ればわかる。

 わたしは今一度兄弟の腕を振りほどいた。地吹雪がわたしの身体を痛めつける。

「提督!」そう言ってわたしはまた、この指揮官と相まみえた。もっとも、軍人たちの分割した意識において、はたして目の前にいるこの人物にどれほどの決定権と責任があるのかは、あいかわらずわたしには想像しかねた。


 わたしは反論の隙も与えないように、まとめてしゃべり通した。

「あなたはとんでもない誤りを犯そうとしている。いいですか。すべての氷床は、大陸の周縁に向けて流れているのです。たとえ海洋すら凍結したこの星でも例外ではありません。緩慢ながら季節性の大気循環があるし、膨張や収縮、それから昇華の作用を受けるのです。圧力や氷床内水路も無視できない。わたしは長年の観測で、この地域の氷河の移動について調べぬいている。この氷原では向こうの山脈に向けて氷が移動しています。掘削して基地にしたところで数日と持たずに崩壊してしまう。それに足元には無数の迷子岩まである。拙速に地下壕を掘るよりも、氷床のせき止められる山岳地帯の方が得策で――」


 そこまで言ったところで、わたしの身体を電撃が貫いた。提督のそばに控えていた兵卒が、文民への懲罰に使う矩形波銃をわたしに向けて撃ったのだ。わたしの循環器系は麻痺し、わたしは悶絶して、そのまま仰向けに雪原に倒れ込んだ。

 倒れたわたしを、提督たちは取り囲み、道端の死骸のように見下ろした。わたしを撃った兵卒は、まだ銃口を向けている。あと一発の高周波が、この衰弱した体にとどめを刺すだろう。

 しかし彼らはわたしを殺さなかった。しばらく軍人話法を用いていたが、そのうち何も言わずに立ち去っていった。

「大丈夫か? 今度こそ死んだと思ったぞ」

 わたしはわが兄弟に意志を伝えようとしたが、声肺が動かなかった。

「どうも緊急の通信が入ったらしい。内容は知らん。しかし君の命を奪わなかったのは――おや」

 わたしは彼の話にうなずいたり、歯打ちをすることすらできず、無抵抗に体を抱きかかえられた。

 いや、もう一人、わたしの身体を支える者がいた。〈窓〉だ。身体が硬直して動けないわたしは、ふたりがかりで自分の居住棟に運ばれていった。


 わたしはそのまま、寝台に寝かされた。身体の恒常機能が弱っているので、温熱器で常に全身を温めておかなければならない。節々で体液が正しく流れないで、ところどころ滞ったり、逆流しているのを感じる。そんな体の各組織の脈動はたしかに感じられるのだが、どうしてもそれぞれの肢体をうまく動かすことができなかった。

 辛うじて声肺の麻痺は回復し、そばでわたしを見守っていたわが兄弟に尋ねた。

「わたしの身体はどうなった。朽ちたのか?」

「当たらずとも遠からず、といったところだ。医者が言うには、長年の酷使で、君の身体は神経節同士の律動が不調和になっているそうだ。それが寒さと、電撃によっていよいよ回復不能な段階にまで弱ってしまったそうだ」

「医者話法というのは難しいな」

「これでも苦労して要約しているんだが、つまるところ、きみの内臓はお互いが連携して動いていない。それぞれの不随意運動をでたらめに行うことでなんとか身体の生命機能を維持している状態だ。増強剤でなんとか持ちこたえているがね」

「で、動けるのか? わたしは」

「絶対安静で、なお悪いことに、母星の設備でないと完治できないそうだ。軍艦には神経幹をいじれる、まともな医療設備がない。少なくとも、もうこの星の山野を歩き回ることは無理だ」

「そんなはずないだろう。船には必ずそういう設備が――」

「敵船から逃げる際に諸々の医療設備を投棄したそうだ。その中にはきみの身体を治せる一切合切の設備も含まれる。きみの病状はもっぱら、年寄りがかかるものだ、本来なら。そういうぜいたく品の優先度は低い」

「……」

「そもそも君の身体は、もうすっかり老化が進んでしまっている。医学をもってしても、進みすぎた時間を巻き戻すことはできんぞ」

わが兄弟は、当たり前のことを、冷然と告げた。つまりわたしは、このまま寝台にしばりつけられているということか。天井を見上げながら、わたしは神経幹の中でうごめく様々な感情を咀嚼していた。

「わたしの研究はどうなる? 大事な培養施設が壊されて、試料は雲散してしまった」

「残っていたもので、集められるものは集めたつもりだ。凍り付いていたものを容器に移してある。融かすのは危険だから、食糧庫で凍らせたままにしてあるが」

「復元できるものもあるし、復元できないものもあるだろう。しかし――」

「わたしも多少なら手伝うぞ。きみは指示だけ出して、寝台でゆっくりしてくれればいい。今後の戦闘で生き残れるのならば。……痛むかね。鎮静剤を打つか? それぐらいなら売るほどある」

「身体の苦痛はいい。……わたしは許せない。身体が動くのなら、自分の命と引き換えに、提督を殺してしまいたいぐらいだ」

「提督一人を殺しても、その代わりはすぐに補充される。それが軍人というものだ」

「……」

「君の研究だって、この星が残っている限り、だれかが跡を継ぐはずさ。……それでは慰めにならないか」


「わたしという個はどうなる。これはわたしが始めた研究だぞ。わたしの手を離れるのは早すぎる」

「われわれも軍人たちのようになれれば、あきらめがつきやすいのかもな」

「それは皮肉か?」わたしは兄弟に非難のまなざしを向けようとしたが、身体は動かないままだった。そんなわたしの枕元で、わが兄弟は話し続けた。

「今のは半分本気で言ったんだ」

「なぜ?」

「どうして自分が殺されずに済んだのか考えてみろ。きみが〈窓〉と呼ぶ、あの歩兵のおかげだ」

「あの者が……?」どういう意味だという前に、わが兄弟はわたしの口をふさいだ。

「きみはしつこく、彼と意思疎通を図っただろう。それが先遣隊の中の話法にちょっとした変化をもたらし、集団の中で幾重にも増幅され、提督たちにも同期されたようだ。つまり、きみへの憐憫が、軍人にも伝染したということだ」

「……」

 知的生命の言語も、それ自体が微生物のようにふるまうというが、それはあくまでも一握りの哲学者の思考実験の中だけの話のはずだった。しかし、戦争が長引き、軍人カストの集団も細切れになっていく過程で、この氷の星に取り残された集団内において、それが観測されたということらしい。

「今は身体を癒すことだ。――おっと、そうだ」わが兄弟は一度腰を浮かせたが、すぐに枕元に戻った。「敵の機動部隊が第四惑星を出発したらしい。きみが殺されそうになったときに来た報告とはそれだったようだ。それによりだいぶ予定が繰り上げられたそうだ」

「……」

「汎攻撃兵器の方も、いよいよ発射されるそうだ。これは噂に過ぎないが、嫌な予感がするか?」

 予感も何も、その〈兵器〉とやらの言葉の響きが空虚すぎて、わたしは何も考えられなかった。それよりもわたしは、〈窓〉と軍人たちのことを考え続けていた。

「なあ〈高みを行く者〉よ」

「どうした。あらたまった話か」

「まあ、そんなところだ」

「尊厳死には手を貸せんぞ」

「そうではなくて、いいか? ――わたしは研究を続けるぞ」

「ああ、ぜひともそうしろ」

「そんなやわな覚悟じゃない。たとえわたしの積み上げた成果が幾度も破壊されても。――たとえわたしの名前が歴史にのこらなくても、だ。研究はわたしの生きる理由ではなく、もはや手段だ。だれもそれをわたしから奪うことはできない。わたしは研究のために研究をするんだ」


「……そうか。軍人話法も難しいが、科学者の倫理というのもなかなか難しいな」わが兄弟はそういいながら窓を見た。「しかしな、それは汎攻撃兵器の使用を待った方がよくないか? 表では兵卒が船を移動させる準備を進めている。公式に発表はしないが、一応きみの意見を鑑みて、もっと安全な土地に陣地を造るのだろう。きみもこの観測所から立ち去ることになる」

「きみに指令は来てないのか?」

「それは軍人たちがしっかり既成事実を築いてからの話だ。そういう役目さ」

「そうか。平民もきっと、きみの指示を待たず、各々勝手に荷造りを進めているんだろうな」


 日が沈み、次の朝が来ると、案の定移動が始まった。小さいが、わたしにとっては全世界の縮図だった観測所は、暇を持て余す文民階級の若者たちによってきれいに解体され、揚陸船に詰め込まれた。今までの試料は凍結されて、倉庫の中にしまい込まれる。解析機関だけは軍が演算能力を一部利用することを条件に、船内の隅で稼働することが許された。その譲歩だけでもだいぶありがたいが、観測所も培養装置も、それに解析機関も、この星に到着したときに、わたしがたった一人で組み立てた。吹雪の合間を縫って、三昼夜かけて組み立てたものだ。わたしの人生の殻がはぎとられるような感傷があった。わたしは回復期用の簡易な生命維持装置につながれ、年寄りや卵嚢抱えが使うような歩行器に載せられて揚陸船に入った。飛び立った船の窓の外から、久しぶりにこの星の表面を見た。この星の景色は変わらない。どこまでも白い氷原が続き、せっかく届いた、温かい恒星からの熱を跳ね返し、拒絶し続けている。この景色はこれからも――少なくともあと数千万年は変わらないままだろう。




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