第5話
「わたしはただ、放任してくれさえばいいのだけれど――これは言ってみただけだが」
中央指揮所は逆に、想像以上に狭かった。低出力の解析機関が数台並列に接続されて壁際に設置されているので、人に割り当てられた空間が狭いのだ。わたしの研究室と一緒だ。各機関の端末には一人ずつ通信兵が配置されていて、顕示盤の内容をいちいち読み上げている。機関自身も文字列を音声で出力するので、室内は都会の雑踏のような雰囲気になっている。郷愁は別にない。
わたしが軍人の区別がつかないのは相変わらずだが、提督はすぐに見分けがついた。部屋の真ん中で、ひとりだけ椅子に腰かけているからだ。その周囲を、幕僚と思われる華奢な兵士が五人取り囲んでいる。まるで大母を囲む子供たちのようだ。
「提督、こちらがかねがねお伝えしていた、わたしの血族者です」わが兄弟は敬意を示すしぐさをすると、わたしのことを紹介した。
提督はゆっくり時間をかけてその言葉の意味を咀嚼すると、その後にあるはずの回りくどい挨拶を無視して、わたしに直接話しかけた。
「あらかじめ警告する。貴様はわたしに、聞かれたことだけ答えたまえ。貴様ら文民はしゃべりすぎるし、話し足りなすぎて困るからな」
「……」わたしは無言で歯を鳴らした。一応肯定の意味だった。提督はそういったきり、傍らにいた兵卒から受け取った端末に目を落とし、わたしの方を見ようとはしなかった。彼は苦労して文民話法を使おうとしているらしく、しばしば幕僚の助けを借りていた。もっともその幕僚たちの語学力も同程度だったが。
「この恒星系に、地磁気が存在する天体は、この星ぐらいしかない。この情報は、正しいか?」
はい提督と答えると、提督は特に感心した様子もなく次の質問をした。
「第四惑星に磁気圏は存在しない。この情報は正しいか?」
「はい、提督」
「太陽風がこの惑星の磁気圏を突破して、その影響からわれわれが身を守る方法はあるか?」
「氷河の中に隠れれば、宇宙線や太陽風の被害を軽減できると考えます、提督。しかし――」そう言いかけたところで、幕僚たちがわたしの前に立ちふさがり、無言で威嚇した。
そしてしばらく軍人話法でささやきあったあと、提督はわたしではなくわが兄弟に向かってこう宣言した。
「ではもはや作戦の変更の余地はないな。この星についてもっとも詳しい者が、それを肯定したのだ。さっそくわれわれの固い意志を、奴らに見せつけるべきだ」
「一体なんの話ですか、提督?」わたしは訊ねた。
「非軍人には関係のない話だ。下がって命令を待てばおのずとわかる」
「しかし……」わたしは反論しようとしたが、わが兄弟がわたしの腕を強く引いた。そのままわたしは、未練と不安に身を引かれながら指揮所を後にした。
煮え切らない気持ちが仕草に出ていたのか、昇降機で降りる最中、兄弟は無言のわたしに重ねて忠告した。
「警告だけで終わったのは幸運なんだぞ。軍人というのは自立して思考を行う文民を基本的に信用していない。腹に一物を抱えていて、潜在的な間者や裏切り者と思っている」
「軍民話法を使えないだけで?」
「使えても、だ。彼らは思考を共有できない存在を憎んでいる。だから彼らは同情も義侠心もなく、敵に対して苛烈に振る舞えるんだ。彼らの本音を言えば、文民や平民なんて、できることなら皆殺しにしてしまいたい。だが、そんなことをしたらだれも自分たちの食糧を生産しないし、寝床を掃除しないし、糞尿を片付けないから、精一杯の恩情で生かしてやっている、というわけさ」
わたしは軍人と付き合うようになってまだ日が浅いが、わが兄弟の話を聞く限り、帝国が散り散りになるのは時間の問題だったのだと、改めて思い知らされた。
「しかし提督の様子では、わたしの形ばかりの承認だけはなんとしても必要だったようだが」
「下働きの平民は軍人よりも医者や科学者を信頼するものだ。だから作戦を実行するにあたり、最低限きみの言質を取っておきたかったんだろう。わたしが雇われている理由だってそうさ」
「しかしあんなもの、説明でも説得でもなければ、承認や受諾や助言ですらないぞ」
「説明、説得、助言……」わが兄弟は、いちいち反復した。「きみが今言ったそのすべてを、軍人は謀略と詐称のための道具としか思ってないさ。残念だな」
「というか、わたしの研究の話はどうなった? 宙に浮いたままか?」
「いずれ好機は来るさ」わが兄弟は、(忘れられて、むしろ好都合ではないか)と言いたげだった。「さあ、帰る前に平民たちに挨拶していこう。軍人としくじったら、彼らを味方にしなければならない」
「さっきの雑魚寝していた連中か?」
「いや、管理者はもう少し安全な部屋に住んでいるらしい」
わが兄弟は部屋と呼んだが、船の障壁裏にある、本来なら燃料でもあり、放射線防護用でもある水を貯めておくタンクを、無理に居住用に作り替えただけの所である。みなが粗末な一人用カプセル状の居住区画に二人以上詰め込まれていた。わたしの住居より狭苦しい。わが兄弟は中に押し込められている機械工や医者、そしてその血族を簡単に紹介してくれた。みな長旅の疲れや宇宙船の影響で、わたしと同じくらい老け込み、少し見ただけでは年齢がわからなかった。彼らが頭脳労働者なのだとは、にわかには信じられなかった。みな寡黙で、うつむき、これ以上自分に面倒なことが起きることを恐れている。
「なんでも転送基地を超えた際の戦闘で、中破した船に乗っていた平民も一か所に集められたそうだ」わが兄弟は説明する。「これでも比較的体力の残っているものが、この船に乗り込んだらしい。他の者は、環境変化に身体を馴らすのにも、ひどい時間がかかるから」
「彼らうち、生殖能力の残っているものは?」
「医療検査機器が不足していてわからん。ただ、半分が死にかけていることくらい、医者じゃなくてもわかるさ」
わたしは愕然とした。この状態では、戦争なんて待たずに、われわれはもはや袋小路に追い込まれているも同然ではないか。
「きみが言いたいことはわかる。しかし色んなことがもう手遅れなんだ。少ない選択肢で最善を尽くそうとするのが知的生命の本懐ってやつだろう」
わたしはそれ以上反論する気力も萎えてしまった。肉体的な疲労には慣れきっていたが、精神的疲労は久しぶりだった。その日わたしは、釈然としないながらもおとなしく自分の居住区に引きこもった。
次の日、わたしは大地の激しい振動で目覚めた。何度も経験している地殻変動や、月との潮汐による地震ではなかった。わたしは驚いて外を見た。
揚陸艇はゆっくりと浮上を行い、喫水ドックの出入り口を露わにしていた。そこから重機が何台も降ろされていき、雪原の上を走っている。わたしが視線を横に動かすと、雪原から湯気と煙が昇っているのが見えた。
わたしは居住棟から飛び出した。ちょうどその時、煙の上がる方に向けて、数台の土木作業用の重機が突進していくのが見えた。
一体なにが起きたのか理解できず、その光景をぼんやり眺めていると、わが兄弟が声をかけてきた。
「何事だ? まさか敵軍の爆撃があったわけではあるまい」
「それを伝えるために来たんだ。だがわれわれ文民に連絡がきたのもつい先ほどだ。きみ、どうせ情報端末なんて見ていないだろう」
そういって彼は自分の端末をわたしにつきつけた。
「秘密兵器の運用と、その準備として氷河内基地掘削――」
寒さも朝の太陽のまぶしさも忘れて、わたしはその、そっけない文章を食い入るように見つめた。
来るべき決戦の日のため、揚陸艇や、輸送艦、さらには軍艦の核融合炉、動力機関を氷河の中に隠す。さらには汎攻撃兵器使用時の悪影響と、戦闘時の持久戦に備え、居住区も氷河下に建造する。ありとあらゆる物的・人的資源は、この作戦のために最優先で動員される――。
「この汎攻撃兵器というのは? きみが以前話してくれた秘密兵器のことか?」
「あれはあくまでも噂だ。いまだにそんなものがあるとは信じられん。ただ――」
「ただ?」
「提督がきみに尋ねた内容に鍵があるように思う。秘密兵器なんてもの、場合によっては敵味方双方に甚大な被害が及ぶのが常だ。提督に、こちらの被害が軽微になるという確信があるのでは?」
「……」
「それよりきみは、服を着てきたほうがいい」
わが兄弟の忠告を無視して、わたしは昨日の尋問のことを思い出そうとした。なにか作戦の手がかりがあったはずだ。しかし、その試みは中断された。
揚陸艇から吐き出された重機は、入植のために用意された機材らしかった。雪上用の迷彩もなにも施されていなかったが、そのうちの二台が、わたしの屋外培養施設に近づいていく。電流のように、悪寒が身体を走った。施設には今までに集めた菌株たちが、塩基配列の類似性に基づいて整理され、継代培養されている。あそこはわたしの小さな、しかし大事な図書館だ。その記憶の鎖を途切れさせるわけにはいかなかった。わが兄弟の制止も聞かず、わたしは培養施設に駆け寄った。
そんなわたしに気づいているのかいないのか、中から出てきた兵卒と、機械工らしい平民たちは屋外に設置した気体交換設備に手をかけた。
「とまれ! 何をするつもりだ」
彼らはわたしの声を無視した。地吹雪が目の前を横切り、わたしの歩みを阻む。
吹雪の中、わたしは設備の機関が止まる音を聞いた。このままでは中にいる嫌酸素性細菌の株から死滅していくが、機関が止まっても、少しの間なら猶予がある。培養容器それぞれに予備動力や、化学性の気体供給器が備え付けられているからだ。
しかしわたしの望みはあっけなく、それこそ文字通り踏みにじられた。外部の動力装置は一つの重機により、電磁的に浮上した装甲車の綱によって吊り上げられていく。
残った建屋は、装甲車が体当たりをして粉砕した。装甲車は少なくとも、市街戦においてはその能力を十分に発揮できることを実証したわけだった。内圧を高めてあったので、建屋は外壁のパネルの隙間に沿って切り刻まれるように、一瞬ではじけて倒壊した。施設は半地下なので、装甲車は衝突した勢いのまま、踏み抜いた床に落ちていく。内部の湿った空気が外に漏れだしていき、配管から暖房用の温水(といっても沸点に近い熱湯だが)が噴出し、外の冷気に触れて爆発的に凍り付いた。その噴煙の中から、装甲車が風船のように、ゆっくりと音もなく這い出てくる。それと入れ替えに、倒壊した建屋の跡のくぼみに、掘削機を引いた重機が殺到した。
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