第3話

 そこで言葉を切ると、わが兄弟はわたしの顔面すれすれに顔を近づけ、わたしの眼をのぞき込んだ。彼の眼には、紫色線で濁ったわたしの眼が反射して、何重にも映り込んでいた。

「さて、計画が進み始めたところで、ある下級研究者がわたしのところに来た。きみが書いた報告書の代謝回路について、さまざまな不備? とでもいうものが見つかった。きみの研究環境では解析不可能なはずの代謝経路が、あたかもすべて解明しきっているかのような、強い断定口調で書いていたり、――」

「この研究をしているのはわたしだけだ。多少粗が生じるくらい当然だろう」

「まだある。君は報告書内の数字を、ところどころ誇大に書いているな? こちらの解析機関が恣意的な改竄を読み取ったぞ。きみはこの星に派遣されてから二十五本の報告書を書いた。新しいものになるにつれ、二次関数的に改竄の数は増えている。疑わしい部分を抜粋して、いま、ここに突き出してやろうか?」


「……」

「君もわたしと同じ血族だ。名声が欲しい。こんな辺境で一生を終えたくない。特に君の身体は、ここでの刹那的な生活のせいでもう限界だ。せめて最後に、大きな成果を出して後世に名を遺したい。――わたしの何がわかる、って言いたげだな。わかるさ」

 その通り、彼の言うことは図星だったので、わたしは彼を罵倒する気力すら湧かず、ただ小さく歯打ちをした。血族の呪縛は重い。どんなに足掻こうが、そうやすやすと抜け駆けできるようなものではないのだ。


 不意に扉が開き、外の冷気が室内に吹き込んできた。

「設営終わりました」報告は短かった。兵卒はそれだけ言って、返事も聞かずにさっさと引き返していった。

「文民上がりの上長の扱いなんてこんなもんさ」

「いつもあんな態度なのか?」

「まあな。彼らは我々の血族とは、まったく違う生き物だと思った方がいい」

「それで、本隊がやってくるまで、どれぐらい時間がある?」わたしは訊いた。わが兄弟はまた端末に目を落とした。「――ええと、この星の日周期であと四〇〇日後には星間転送基地を通過する。そこから航路を演算してやってくるから、まあ、それからさらに一五〇日は余分に見積もった方がいい。まずはこの星の衛星上に無人の対艦警護機構を構築して……」


 そこまで言ったところで大地が揺れた。わたしはなんとも思わなかったが、わが兄弟は不安げに、カタカタと音を立てる家具や棚を見まわしていた。外では軍人たちがまた激しくさえずっている。言葉の詳しい意味はわからないが、怯えの感情だけはよくわかった。

「――衛星との潮汐力で起こる地震だ。この星の衛星が、惑星の大きさに釣り合わないくらい巨大なせいだ。しかし、たいしたことじゃない」わたしは説明した。

 右兄弟は落ち着きを取り戻して、静かな声で言った。

「とにかく、きみは今すぐこの星の生き物を改造し、報告書とつじつまの合う生き物を創造しなければならない。いや、軍人どもを欺ける程度のものでかまわん。奴らに理性が残っているのなら、そのうち自分たちのしていることの誤りに気付いて、あたかも何事もなかったかのように、しれっと計画を握りつぶすだろう。そうでなかったら、きみは詐欺師として、あるいは敵のスパイとしてつるし上げられて死ぬ。ついでにわたしも、きみの属する血族の代表、大母の名代として、共に死ぬ。つまり、そういうことだ。もはやきみは、孤島に隠遁する、ただの灯台守ではいられない。船に積んである解析機関や、発電機も自由に使っていい。どうせ兵卒どもには無用なものだ。わたしも必要なときは手を貸してやる。――いや、先に船の医療設備でその身体をいたわるがいい。軍用だから、外科的治療しか施せないが」


 わたしは不愉快だったが、それを声にする前に、彼に先回りされた。「遅かれ早かれ、きみはこの辺境の星で誰にも見いだせず死ぬところだったんだ。せっかくの好機が転がってきたのに、それに腹を立てる奴がいるか?」

 地面がまた揺れた。わが兄弟はもはや動じなかったが、外ではまた、軍人たちが不安げにさえずっていた。


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 兄弟の所属する軍隊が、星間転送基地を通過するまで、のこり七日を切っていた。もちろんただの予定であり、どんな不測の事態が生じているか、この辺境の恒星系では推し量りようもない。それはともかく、わたしは一定の成果を出したと自負しているが、その成果は粗だらけだ。なにより、現時点での成果物を突き付けて、それで軍人どもが納得してくれるとは思えない。彼らに軍人話法があるように、わたしたち科学者カストにも、独自の話法がある。そしてそれは、軍人話法並みに理解を得られにくいものだ。

 わたしの研究の進捗については追って記すが、研究の確度を高めるのと並行して、わたしは少しでも自分の立場が有利になるよう、先遣隊の兵士たちと親睦を深めて、二つのカスト間を分かつ溝を埋めようとした。わたしはカストごとの話法とは別の、知的生命間の信頼にすがろうとしたわけだ。


 しかし、それは困難を極めた。軍人たちの体表には、わたしたち非軍人カストにはない稲妻模様の感覚器官が、あたかも全身に彫りこまれたかのように発達している。奴らはこの稲妻模様の感覚器官を通して、同じカストの軍人たちの無数のさえずりを感じ取り、常時お互いに情報を交換し、共有し合っている。だから一糸乱れぬ集団行動を行うことができるのだ。奴らが群れをなして戦う様はよく津波や砂嵐に例えられるような、すさまじいものらしい。わたしは一度も見たことがないが。


 その反面彼らは最小単位の一個人となると、彼らは恐ろしく魯鈍になる。少なくとも、わたしのような文民カストとはうまく話が通じなくなる。体表経由の軍人話法は彼らの思考にも悪影響を与えるらしい。自分と他者という境界が曖昧になり、一個人として命令を与えても、その内容は水面の波紋のように兵卒の間に拡散し、延々と処理されて、結果、だれも主体的に指示されたことをこなさない。彼らはあくまでも部品であり、喜怒哀楽や理性すら、その組織の中で分割されてしまう。組織の規模に応じて有機的に分業は切り替わっていくというが、それは戦況の変化によって誘発されるものなので、平時での彼らの融通の利かなさは、原始的な解析機にも劣る。簡単な用事も満足にこなせないので、老いて戦えなくなった兵卒はみな、ただの卵嚢抱えになる。そしてまた、戦うことしか能がない兵士ばかりが世の中に再生産される。そんな彼らの食い扶持を稼ぐため、帝国は膨張を余儀なくされてきた。それがわたしたちの歴史の概要だった。それはともかく、わたしは兵卒の一人を助手代わりに付けてもらい、彼に〈窓〉という仮名を与えた。軍人カストには、成人の際に大母より名を授かる風習がなかったから、本来はみな名無しだ。わたしは彼に対して様々な意志疎通を試みたが、あまり芳しい成果は得られなかった。その点は、わたしの本業の進捗と似たり寄ったりだ。


 例えばわたしが話しかけると、まず〈窓〉は

「わたし/わたしたちはわたしが/わた/」

と、こんな風に主語を何度も繰り返す。それは会話の始まりの合図だ。どうも彼らの話法には元々〈主語〉が抜け落ちているらしく、代わりに彼らは、自分たちの会話組織に他カストの連中が紛れ込んだことを表す信号として主語と同じ単語を用いているようだ。で、その繰り返された〈主語〉の羅列は、彼が発声器のそばに付けている集音器を通して軍団の中に伝わっていく。船の中は一刻、無数のわななきに包まれる。この音を聞くと、故郷の海にしばしば回遊してきた砂魚の鳴き声を思い出す。そして、その軍人一人ひとりに小分けにされた語彙から、私との会話に必要な文章が抽出されて

「わたしは/あなたの/むずかしい/難解だ/話が/」

 という、何とか文章として許容できる文章になる。まるで彼らが、ここから遠く離れた天体に住んでいて、お互いに遅々として進まぬ暗号通信をしているようだ。


 わが兄弟は、兵隊はあくまでもひとかたまりとして扱わなければならないと助言してくれたが、たとえどんなに日々の会話に苛立とうとも、その意見にわたしは反対だった。それは怠惰だ。この星にどれほどの期間閉じこもることになるかはまったくわからないが、自ら知恵を出せる者の数は、多ければ多いほどよいのだ。多くの生物科学者に共有されている概念だが、わたしは、生命とは能動的に自己組織化できるもの――もっと大雑把にいえば、自主的に身体を結晶化させていくものだと考えている。〈窓〉には私を守る障壁が成長する、最初の中心核になってもらいたかった。結晶が成長する兆候はほとんど確認できなかったが、生き物が変異を起こすのは、いつも唐突だ。


 生き物といえば、わたしの本分である、この惑星の生物研究についてはどうだろうか。本当ならわたしはこの研究にこそ、労力のすべてを投入しなければならないはずだが、焼きが回ったせいか、それとも思考が雑事に邪魔されることが増えたためか、最近のわたしは、一つのことに身を入れて打ち込むことが難しくなっていた。


 それはさておき、嫌酸素性細菌と好酸素性細菌との共生を長期間持続させるため、わたしは好酸素性細菌の主要遺伝情報を断片化し、その多くを嫌酸素性細菌の核の中に組み込んだ。好酸素性細菌の方には最低限の構造遺伝子領域だけを積んだ環状リン酸塩を残した。これにより好酸素性細菌のエネルギー生産効率は落ちるが、細菌の遊離がなくなるので、多少の環境の変化にさらされても共生関係が破綻せずに維持される。これにより、輸送船内の貯水槽を改造した培養タンクだけでなく、雪原を掘って作った簡易な培養施設でも安定して培養が行えるようになった。しかし、わたしが捏造してしまった報告書に記載したエネルギー変換効率の値には、逆に遠ざかってしまった。同化に利用する有機触媒の生産が複雑になってしまったことが原因かと思われるが、詳しくはわからない。ともあれ相手は生き物だ。ここからは通常の育種と同じく、変異が発生するのを待ち、そこから淘汰を繰り返して、少しずつ効率を上げていくしかない。ここからは地道な作業だが、その点で兵隊カストは便利だ。彼らはわたしたちとの意思疎通においてはぐずに等しいが、微生物の培養の管理のような、一定の繰り返し動作については無類の忍耐を示す。そして彼らは一人一人が敏感な感覚器官を発達させているので、施設内のわずかな気温変化もしっかりと記録に残してくれていた。また、作業内容を大勢のものにいちいち教え込まなくてもいいのも楽だ。一人に手順を伝えれば、少々騒々しいが、それは群れ全体に共有される。彼らは一種の生体演算機、手足のついた解析機関でもあるわけだ。その真価は、単純作業において最大限発揮される。

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