第2話

「この容器は貴重だ。これは好酸素性細菌の株だ。見つけるのにひどく苦労した。いや、好酸素性のものや、耐酸素性の菌株自体は珍しくない。先に観た菌株と同じく、熱水泉に棲んでいる。これらはここから雪上車で一日のところにある熱鉱泉で見つけたのだ。大気に触れる水面近くに膜を張っているから、それを静かに掬いとればいい。培養には、光合成細菌が放出する濃度の高い酸素を供給する」

「で、こいつらは普通の好酸素性細菌と、どう違う?」

「そこも報告書に書いていたはずだが――」

「一応きみの口から聞いておきたいんだ」

「とある特殊な性質がある。この細菌、周囲の環境が悪くなると――つまり、異化させる有機物が不足すると、ある種の嫌酸素性細菌の内部に潜り込む」

「ふむ」

「そしてその嫌酸素性細菌が生産する生産物と酸素を元に、エネルギー基質となるリン酸塩を合成する。嫌酸素性細菌は有毒な酸素を吸着してもらえるだけでなく、それを元に効率よく代謝を行うことができる。つまり共生関係ができるわけだ。この星の生物は、この一時的な共生を頻繁に繰り返すことで、この氷期の、狭くて安定しない生息域の環境で耐え忍んでいるようだ。この共生状態のときのエネルギー変換効率は、単純計算でわたしたちの体細胞の二倍にのぼる」

「それにあわせて、光合成細菌の同化効率は、わたしたちのよく知る植物の効率の一・五倍。利用できる波長帯が広いことに合わせて、非光依存反応中に見られる巨大酵素がその効率の良さの鍵になっている――と、君は推定しているようだな」

「その通りだ。ここまで効率の良い代謝を持つ生態系は、わたしの知る限り、他に存在しないはずだ。分子構造を詳細に調査したいが、この解析機関では演算能力が足りず、なにより大量の試料を培養したくても、この施設だけでは力不足だ」

「問題はあくまでも、培養施設の規模か?」

「……ひょっとして、きみの――というより、きみら軍人の求めているものは、この星の生物の代謝機構か」

「……」この場合の沈黙は、肯定したも同じだ。

「わからないな。この星の研究をしているのはこの世でわたしだけだ。つまり基礎的な研究すら行われていないも同然だ。軍人が興味を持つ水準には達していないぞ」

「それには色々な――まあ、偶然がある。わたし自身もだいぶ関与したが」

「どういうことだ」

「順序を追って話したいが、いやはや、本当にきみは、まったく俗世のことに無頓着なようだな〈先見の明〉よ」


そういいながら、わが兄弟は無理にわたしの肩を叩こうとした。そのはずみで、試薬の入る棚に腕をぶつけた。危うく容器が落ちて、貴重な試薬を床に落とすところだった。注文してからこの星に届くまで、二年は要してしまう。

 わたしは試薬の容器を元通りの所に戻してから言った。

「わたしが興味あるのは、半年後の補給カプセルがきちんと、この基地のそばに着陸してくれるか。ただそれだけだ」

 わたしがうそぶくと、わが兄弟は緩慢な動作で研究室から這い出た。

「さらなる研究を望んでいるのならなおさら、君は政治にも関心を向けるべきだ。その政治のせいで、きみら観測員は全員解雇されるか、あるいは全員忘れられて、補給や交代もないまま辺境の星に置き去りにされるかもしれないんだからな」


わたしは寝台に腰掛けながら、わが兄弟の話を聞いていた。彼は窓際の壁にもたれ、駐屯地を敷設していく兵士の様子を監視している。相変わらず奴らはかまびすしい。

「きみは配信される時事情報に目を通しているのか? まずはそこを知らないと話ができん」

「この星に来てからは、しばらく目を通していたな」

「しばらくって、どれくらい?」

「来てから七月ほど」

「半年にも満たないじゃないか」彼は室内にある端末に近づき、時事情報の履歴を確認した。「――たしかにすごい数の未開封記事だ。つまり、本当に世俗や政治の話から隔絶した暮らしというわけだな。しかし、もう長いこと情報封鎖が行われていることにすら気づかないでいたとは、筋金入りだな」

 わたしはわずかに体をゆすった。情報封鎖のことなんて、初めて聞いたのだ。

「もうわたしの無精はいいだろう。さっさと話を進めてくれ」

「いいだろう。――実は戦争が始まっている」

「そんなの、いつものことじゃないか」

「入植地を増やすための戦いじゃない。われわれの、種族内での戦いだ。内戦だよ。軍隊カストが今までの冷遇に業を煮やしてクーデターを起こした。クーデター自体は数日で正規軍により鎮圧されたが、有力な政治一族も多数死んだ。そこからは、大混乱というより、もはや混沌だ。さまざまな血族が連合を結び合い、特定のカストを自分たちで独占しようと、無数の派閥を作り出してしまった。なにしろ、どいつもこいつも、自分たちの血族こそ、文明の要石だと思い込んで椅子の総取りを狙うのだから」


「〈黒曜石を抱くもの〉が書いた報告書の通りだ」わたしはひとりごちた。「その報告書では我々の帝国の崩壊する経過について考察されている。曰く、血統主義と能力主義の都合の良い折衷で組織された帝国は、やがて双方の利害の齟齬を産み、やがて利益の分配が滞り、どちらの主義を重視するべきかで、急進的な権力争いが生じ、それによってできた分裂は、修復不可能なものとなる……」

「わたしが意見を聞いた研究者どもは、みんな同じ本の引用をしていた」兄弟はつまらなそうに言った。「自分たちのカストだけは、海の向こうの洪水のようなつもりでこの戦争をのんびりと俯瞰していられる、という気分なわけだ。しかし、そうはいかないぞ」

「で、きみは――というか、わたしたちの血族は、どちらの陣営に属している? 戦況はどれほどのものだ?」

「正直なところ、もうわからんのだ」兄弟は白状した。「もはや一族一派という状況ともいわれているが、強いて言えば、きみとわたしは旧政府軍側だ。クーデター前の元政治家を棟梁に担いでいるからな。敵も強いて言えば新政府軍側だ。クーデターを起こした軍人の生き残りが、こちらよりもほんの少し多い。……どちらかをせん滅すれば、今度は生き残りの中で分裂だ。人も資源も、そんな調子でどんどん半減していっている」

「戦局は?」

「それすら、もはやわからんが、情報封鎖と消耗戦、植民地の反乱も相まって、両陣営の戦力は散り散りだ。いまさら手遅れだが、宇宙は広すぎ、植民地の数は多すぎる。それこそ敵とすら邂逅できれば幸運といった状況だ」


「きみの話を聞いていると、政治に首を突っ込んでいようがいまいが、補給はそのうち届かなくなってしまっていたようだ。それどころか、故郷に帰れるのかどうかも怪しいな」

「ひょっとしたら母星が残っていることも定かではないぞ」冗談を言っているわけではなさそうだった。「上層部の頭の中は、兵站や安定した策略が抜け落ちている。誰もかれも、一発逆転を狙える超兵器が、どこかの星に都合よく落ちていないかという、途方のない夢想で頭がいっぱいなのさ」

 そういいながらわが兄弟は、わたしが普段使っている腰掛けに座り込んだ。

「――まさか、この星の生物をその、超兵器とやらに?」

「その声は、憤りか? それとも呆れているのか?」

 そういうわが兄弟の向かいに、わたしは座り込んだ。腰掛けはひとつしかないので、そばにあったがらくた入れを引き寄せている。

「そこからはわたしが関与しているわけだ。いや、関与してしまった、というべきか」わが兄弟は身震いをした。「文明の未来は暗いが、それでもわたしは、自分の血族の名を売りこんでおきたかった。血族の利益を第一に優先させる――科学者ならわかるだろう。それが我々の〈本能〉だよ」

「……」

「きみだってわたしの共犯者だぞ」

「わたしが? なぜ?」

「じきにわかるさ。――あれはどこの植民地にいたときだったか。転戦に継ぐ転戦だからよく覚えてなかったが、その時にはもう、わたしは軍人の肩書きを得ていたと思う。

 技術者や科学者からは、今後開発すべき様々な新兵器の計画が立案されていた。それらはどれも、戦闘を継続しながらひそかに開発できるようなものじゃなかった。研究開発を支える基幹的な教育も産業も、崩壊していたんだ。

 それでも士官たちは必死さ。なんでも兵器に利用できそうな技術を急いで探せと、わたしのような、成り行きで加わった文民あがりにまで要求する始末だった。さんざん悩んだ挙句、わたしはきみの名前を思い出した。超兵器開発に限らなくとも、科学者や技術者の数は、どの軍も圧倒的に不足していたからな。こんな時勢だ。きみの送信してきた報告書は全部、内戦時に持ち出された電子書庫の中に眠っていたよ。誰にも閲覧されないままに」

「別に気にしてなど――」


「強がるな。わたしはいちかばちか、君の報告書を上層部に報告した。きみの経歴書代わりのつもりで、わたしの血族にこんな研究者がいる、と紹介さえできればよかった。そしたらどういう風の吹き回しか、彼らはこの恒星系に興味を示した! なぜか? この戦争の雌雄が決した暁には、この星の生命が、わが文明の再興に役立つ可能性が高いのだそうだ。まったく、軍人話法というのは、しばし、驚くほど先鋭的な結論にたどり着くものだ」

「つまりこの恒星系に定住して、一から文明を築くというのか? どの惑星も、一度たりとも地表が土で覆われたことなんてないのに!」わたしは声を荒らげた。

「君の見つけた細菌たちならあっという間に有機物を生産できる。だから土壌もできるし、開拓なんて、あっという間に終わる。それからゆっくりと超兵器の開発を行い、もう二度と世界が二分しないような、完璧な覇権国家をこの恒星系に築くというわけだ。――もちろん机上の空論だ。自然の移り変わりが、そんなに迅速に進まないことぐらい、わたしだって知っている。そもそもそんな簡単に始原惑星の開発ができるなら、そもそも他星人と争う必要なんてない。無人の岩石惑星へお行儀よく入植していけばいいだけの話だ。だけど計画はもう始まってしまった。軍人というのは一度方針が決まったら意固地だ。もう止められないぞ」

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