雪融けの日

塩崎 ツトム

第1話

 大氷原の中に降り立った宇宙貨物船。その後部ハッチから降りて来たわが兄弟が、出迎えたわたしの姿を見てまず言ったのは「おい、きみは死ぬ気か?」だった。彼とはもう何年も会っていなかった。久しぶりの再会なのだから、もっと気の利いた言葉をかけてもいいはずだが、まあ、彼の驚きようは仕方ない。彼から見れば、わたしの姿は裸も同然だったからだ。その後はお決まりの、抱き合って、お互いの触腕を絡ませあう抱擁を行ったが、彼の蒸着された船外服越しでは、まるでわたしが一方的に親密さを示しているようだった。最近の船外服は素晴らしく、まるで裸でいるのと変わらないが、こういう社交に不適な点は進歩がなかった。


「辺境恒点観測員339号」兄弟はひと通りわたしの身体を検めてから言った。「そんな風に呼ばれるようになって、まだ十年かそこらだろう〈先見の明の者〉。恐ろしく老け込んだな、君は。科学者というのはそうやって、先を急いで、ついには死に急ぐものなのか?」

「死に急ぐ? 君がわたしを皮肉ることはできまい」わたしは彼の船外服に貼られた階級章を叩いた。「〈高みを行く者〉、まさか君が軍役に就くとは。それも偉い出世のようだ」


 わたしたちの後ろでは、彼の部下と思われる兵士たちが、船からいそいそと、重機を降ろしていた。探知機を地面に押し付けて、氷河の下の岩盤の位置を確認している者もいる。彼らはいかにも軍人らしく、ピチャピチャ、クチャクチャと、早口でお互いにさえずりあって情報を交換している。


「きみもあんな兵隊話法を習得したのか?」

「わたしは単なる文官さ。軍属よりも多少は立場が良い。それよりも――」兄弟は腰に巻いた情報端末を外して少し内容を確認すると、わたしの背中を押していった。「きみは早く屋内に入った方がいい。このままでは君は焼け死んでしまう」


 焼け死ぬは大袈裟だが、確かに私の皮膚は、紫色線の照り返しと、この星の大気に含まれる三重酸素によって、目に見える速度で錆びついていき、わたしは段々と皮膚呼吸が苦しくなってきていた。


 わが兄弟の来訪を知らせる一報が星間転送基地より電送されたのは、それより五十日も前のことだった。彼の乗る貨物船は後戻りを考えていないかのように、燃料をほとんど消費し、一度もフライバイせず、この惑星まで猛スピードでやってきた。彼と最後に会って、どれほどの時間が経っただろう? わたしの記憶は、この窓の外に広がる大雪原のように茫漠としていた。私は地平と、そこから登りつつあるこの惑星の月のボコボコとした面構えを見つめながら、どうにか彼との思い出をよみがえらせようとした。たしか彼は大母と、上級文民だった二番目の兄弟の推薦で、首都の高級学校に進学していた。……そうだ。わたしは彼より三年老いていた。彼が家族から無数の賞賛を浴びるとき、わたしは志望していた一級恒点観測技官の審査から漏れて、失意のあまり、もうこのまま卵嚢抱えになろうかとまで思い詰めていた。それ以来、わたしは大母からもらった〈先見の明の者〉の名に負い目を感じるようになるとともに、この兄弟〈高みを行く者〉の存在を、神経幹の奥深くに封じ込めていた。


 兄弟は、もう長いこと使っていない洗浄機で自分に着けていた船外服を洗い流した。一方のわたしは乾燥器で錆びて剥がれた体表を吹き飛ばすだけである。わたしは兄弟に椅子を薦めた矢先、疲労困憊して寝台に倒れ込み、身体を呼吸器につなげた。

「室外活動後は、いつもそうなるのか?」兄弟は訊いた。「冗談抜きに、本当にきみは、とてつもなく老いてしまったようだ」


 わたしはその言葉に答えられず、深呼吸を繰り返した。わたしもこのとき、お互いの身体の明らかな格差を意識することになった。わが兄弟の体格は、長らく宇宙空間で暮らしていただろうに、どこにも衰えの兆候が見られない。背は内骨格と外殻がしっかりかみ合ってまっすぐ伸び、体液の循環もよいので甲羅のどこにもへこみがない。頭は若人のような流線形をなして、一歩歩くごとに風をすっぱり切るようだ。目も触覚も、機敏に動くとともに、手負いの獣のようなせわしなさを決して見せない。足の関節もすり減ったり、かみ合わせが狂った様子も感じさせず、足音はおろか、関節に無理が生じた、ぱちぱちという不愉快な音も立てない。触腕と剛腕、二対ある腕の、いずれにも欠損はなく、それはまさに文官にふさわしい手だった。


一方のわたしは、この星の風雪と、年齢に沿わない不摂生からすっかり老いてしまっていた。壊れかけているといってもよい。内骨格と外殻は、ろくな治療も施さず、安静にもせず――なにしろ労働力はわたし一人なのだ! ――鎮痛剤だけでごまかしていたため、ところどころ変形したまま治癒してしまっていた。また機械や薬品のせいで指や触覚の一部を失い、栄養失調もあり、それらはほとんど再生できない。なによりわたしの外皮は、寒さと紫色線に蝕まれて、厚くなった古い殻と治った殻とで不格好なまだら模様になっていた。最後に会ったときのわが大母も、ここまで老け込んではいなかったはずだ。


 兄弟はわたしが落ち着くのを待ちながら、部屋の中を観察していた。

「しかし、三等の観測員の暮らしは質素だと聞いていたが、これは質素というより――」

「われらの先祖のような暮らし、か?」わたしたちの祖先は、暗い海の底の砂地に、深い穴を掘って暮らしていたというのが通説になっている。「この星は確かに、われらの先祖が暮らしていた星よりも、さらに始原の段階にある」


「知的生命体はおろか、甲殻類すらいないのか? 知性の火種すら――」

 わたしは否定の歯打ちをしたが、うまく伝えられたか疑問だ。わたしの歯舌はすり減り、なかなか生え変わらなくなっていた。


「この恒星系には四つ生命のいる天体があるが、どれも原始的な細胞膜生物の段階で組織化が止まっている。そしてそのまま、寒冷化によって厚い氷の下に封じ込められてしまった……」

「その四つの星、どれも氷漬けか」

「いや、第四惑星だけ温暖で、液体の水も存在する。この第三惑星の生命も元をたどれば、第四惑星で誕生したものが、天体衝突や火山噴火のはずみで吹き飛ばされて、ここまで到達したもののようだ。同じリン酸化合物を遺伝媒体にしている」

「ほう、ではその第四惑星の方が居住に適しているようだな。なぜ君はこの星に駐留しているんだ?」

「第四惑星は温暖すぎる。そのためわれわれの持ち込む微生物で生態系を攪乱してしまう。それに火山活動が苛烈で、安全に滞在できるところがない。あの星がこのまま生命の生存に適した環境であり続けるというのは、考えづらい。質量が小さすぎるから、遅かれ早かれ、無機的にも有機的にも、死の星となるだろう」

「のこりの二つの星は?」

「巨大惑星の衛星で潮汐力がすさまじい上、海面に岩盤が出ていない。いつ氷原が割れて、噴き出た間欠泉に吹き飛ばされてもおかしくないようなところだ。この三天体には無人の観測施設だけ設置している。……ずいぶんこの恒星系に関心があるみたいだな。何が目的だ?」


「……」わが兄弟は答えない。

「それときみが連れて来た軍人たちは何者だ? この星に長く居るつもりなのか? わたしが軍人嫌いなことぐらいは覚えてくれていると思ったが――あいつらのさえずりを聞くのが嫌だから、研究者になるのを選んだようなものだ」

「ははは、それは初耳だ」さえずりは笑ってはいるが、彼は少し、内心の動揺を隠しているようにも見えた。「……ここの星の生物の試料はあるか?」

「いくつかの菌株を研究室で培養しているよ。『研究室』といっても、きみの後ろにある、棚ばかりの小部屋だ。しかし、それはわたしの質問となんの関係がある?」

「もちろんあるから聞いている。外の兵隊たちは船の係留が終わり次第、きみから話を聞くつもりだが、まずはわたしが、きみの研究成果に目を通して構わないか? 少し、同じ血族でないとできない話もしたいのだ」

 釈然としなかったが、わたしは寝台から起き上がり、兄弟を案内しようとした。しかし息切れをしてしまい、彼の剛腕にすがりながら歩くしかなかった。

 研究室の中は容器が攪拌される音と、解析機関の緩やかな唸りだけが聞こえている。設置している二十本の培養器と各種分析装置、それに二式解析機関のせいでわたし一人で満員になってしまう程度の広さだ。そこにわたしと兄弟はお互いに肩を寄せ合い、それこそ頬をこすり合わせてなんとか身体を収めた。


「それにしてもひどく暑いな。ゆだってしまいそうだ」

「解析機関の排熱を培養に再利用しているからな。これでも外気と混合して、可能な限り冷却しているんだが」

「こんな温度じゃないと培養できないのか?」

「わたしたちとは代謝が違う。この星の生き物は、常時高い活性状態を必要としている。ほら――」

 わたしは二人の身体の間から腕を引き抜いて、赤色灯で照らしている培養器を指示した。容器の中は、緑色の液体で半分満たされている。


「これが光合成細菌の培養器だ。酸素を出す点は同じだが、故郷の植物と大きく違うところは――」

「たしか青色の光も吸収して、光化学反応の動力源にすることができる」わが兄弟はわたしの言葉を継いだ。「そのおかげでこいつらは、この黄色くか弱い太陽の元でも活発に増殖できる。同化速度はやや低いが」

「わかるのか?」

「君の報告書を読んだ。部下に要約してもらったものだが、なかなか興味深かった」

「ほう」

 そっけなく答えたが、わたしは純粋にうれしかった。身内とはいえ、自分の報告書が、実際に誰かの眼に留まったのは久しぶりだった。

 

わたしは気持ちが浮つくのを抑えて、説明を続けた。

「それと、これが嫌酸素性細菌だ。つまり酸素を利用できない微生物だな。酸素で遺伝物質が傷つかないよう、中心核にそれを収めて保護しているものもいる。ここでは五つの容器がそれにあたる」わたしが示した容器では、いずれも白濁液にガスを吹き込んでいる。「それぞれ窒素化合物と硫黄化合物をエネルギー源にしている生物だ。この星の生態系は、まず光合成細菌が水底を覆い、嫌酸素性細菌はそれらが酸素を消費したわずかな間隙で、光合成細菌や自分たちの遺骸を分解して生きている。堆積岩の露頭を調べると、この惑星が、かつて第四惑星のように温暖だった時代に形成された、細菌の遺骸や分泌物の含有する岩を見つけられることがある」説明しながら、わたしは片隅に残る、一つだけ離した容器を示した。


※毎週大体4000字ずつ公開していこうと思ってます。









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