第2話 小学校時代~低学年編~

 私は小学校に進学した。しかし、やはり普通ではない。所属したのは特別支援学級だった。ほかのみんなとは学級が違うこともあって、通常学級に行っているみんなとは殆ど関わらない日々が続いた。

 そのころ私はどういう状態だったかというと・・・相変わらず暴れていた。上級生だろうと先生だろうと関係ない。本当ならば暴れたくなんてない。暴力など大嫌いだった。それでも自分の苦しみから間欠泉の如く湧き上がる衝動を抑えるほどの力は到底持ち合わせていなかった。

 暴力以外では、勉強はすごくできたと自分でも思う。算数なんて屁みたいなもの。3桁の足し算なんて4歳でマスターしていたし、九九とマイナスの定義は5歳のうちにあっという間に覚えた。でも国語はというと、ひらがなや漢字の書き取りが大嫌いで、拒絶してよく逃げ出していた。一方では、塾に通って中3並の英語力を保持していたわけである。今となっては中3並の英語力すらない私にとって、自分でも驚く話である。

 そんな私には、宇宙の事について興味がわいていた。思えば2007年、小惑星探査機はやぶさの映画を近くの天文台で見て感動した。今思えば原点はあれだったのかもしれない。土星だって見たし、買ってもらった図鑑の内容はほとんど覚えた。そして2010年6月13日、はやぶさが帰ってきた。あのとき抱いた感動と衝撃はすさまじいもので、うちには図鑑が3冊増えた。それだけではない。小学校1年生になると同時に始めた家庭菜園は、独立した財政を持つ制度にして早速黒字化。自分で作った野菜の美味しさを存分に堪能した。

 そうしているうち2011年になり、大震災が発生した。あのとき起こった原発事故と電力問題は、それまでにも伯父の作った環境アニメーションを見ていた私に、地球環境問題についての興味を起こすのに十分すぎるほどだった。それからの変化は凄まじい。まず、毎週出ていたドライブを殆どしなくなった。それから先述した家庭菜園に雨水取水装置を付けたり、家の屋根に太陽光発電をつけるように祖父に説得したり、家の家電を経年の高いものから次々と省エネ型に変えた。その時家電を選んだのは財政を握る祖父と環境視点重視の私であった。


 それらの変化があった1年生は終わり、私は2年生に進級する。その際に担任の先生も変わり、40代のおじさん先生となった。彼は端的に言うと自信満々タイプ。私が勉強を嫌だと言ったらさせなかったし、あれをやりたい!と私が言うとすぐにさせてくれた。でもその反面、自分のやり方にものを言う人を排除したがったから、当時お世話になっていた隣の学級には行かせてもらえなかった。でもその代わりに、自分にはものを言えなさそうな若い栄養教師や、スクールカウンセラーを連れてきては、私と話をさせたりした。悪く言っているように聞こえると思うが、その時過ごした時間はなかなか楽しいものだったし、勉強になることも多かった。

 でも次第に彼とも私はすれ違うようになる。立春を過ぎたある日の午前中、私は彼と大喧嘩をやった。それから数時間が経った掃除時間、彼は私とその他の掃除係を黒板前に呼び、私を見世物にするかのように馬乗りになった。泣き叫ぶ私は見世物としては十分すぎる出来だっただろう。その後私は初めて、学校を1週間休んだ。その時は教育委員会含め大騒ぎだったという・・・。

 しかし、あの時悪かったのは私である。いくら先生が感情的になりやすい危うさを抱えていたとしても(確かに目つきは某紅茶の刑事ドラマに出てくる熱血刑事の親友並みに怖かったけど)、私のそれまでの行動からすると、到底先生を糾弾できるものではなかったように思う。

 一方家庭ではどうであったか。結論から言うと、ほとんど変わらない。だが私の要求する権限は、不釣り合いなまでに拡大していった。そのころの母に対する感情は祖父母に対するものとは対照的に、私のことを理解してくれないという恐れと恨みが決定的になっていく。そのせいか保育園のころから、私は家に母と二人でいることを極度に嫌っていた。だから祖父母が旅行に行けるのは、私が母と旅行に出たときだけ。それ以外の時に祖父母が私たちを残してどこかへ行こうものなら、近隣の目を一切はばかることなく「行くな~(泣)」という叫びを車に向かってし続けるような状態だった。

 それだけではない。私の体は段々と大きくなっていく。それに対して、私の暴力は収まるところを知らない。だから私の周りにいる大人やクラスメイト達のダメージは膨らみ続ける。しかも私が庭で農作業を始めた動機の3割は、体を鍛えて周りの大人を打ち負かそうとしていたためであったから、それまた自分でも驚きである。

 


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いかがでしたでしょうか。私は小学校に上がり、様々な困難にも自分なりに必死になって立ち向かっていきました。先述した、“母は私のことを理解しなかった”という記述。あれは半分正しく、半分間違っています。何故ならば、母の言っていることは現在に至るまで、私のためを思って言ってくれていることであり、殆どが正しいものです。しかし、当時の私の理解できる範囲からは大きく逸脱したものばかりで、ほとんど理解できなかったのです。だから当時の私の視点に立てば、理解しなかった。でも現在の私からすれば、正しいことを言ってくれていた。

 幸いなのは、私の記憶力のおかげで母の言っていたことをいつまでも覚えていて、自分の準備ができ次第実行に移すことができたことでしょう。

 

 それでは私はこの辺で。今回もお読みいただいてありがとうございました。

次回もお楽しみに。

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