貴重な男

 鳴海隼人という男(昔)

「……部屋に入ってこないでね」


 何度も見る灰色のパーカーとズボンの服装。長い前髪はまるで視線を合わせないための壁のようだ。


 鳴海隼人(身体が入れ替わる前)は暗い少年だった。極力、人と関わらないように接する毎日。それが家族としてもだ。

 小学生までは笑顔が溢れる優しい少年だった。やがて成長するにつれ、自分が貴重な男で女性に狙われていることを学び、外に行くたびに向けられる目線に嫌気がさし、家に引きこもるようになった。

 ガチャリと閉まるドアを哀しげな面持ちで見つめる母と姉と妹。隼人とは最低限の会話しかしていない。しかし、他の家庭よりは随分とマシだ。中には家族に暴力や罵声を浴びせるところだってある。



 ある日。隼人は小腹が空いたので、リビングに誰がいないか様子を見計らい、冷蔵庫に来ていた。


「コーラとチョコと……。下にポテチがあったはず……」


 手一杯に持てるだけ食料を持ち、部屋に一日中籠る。こんな引きこもりの生活を隼人は2年以上している。

 階段を登り切り、今日も一日ダラダラと過ごそうと思っていた時だった。


「っ……」


 何かの拍子に隼人は足を滑らせた。日頃運動もせず、部屋に篭ってばっかりの身体は予想以上に怠けており、筋力も衰えていたのだろう。備え付けの手すりに右手を掛けるが、踏ん張りが効かず、そのまま下に転げ落ちた。


 ガタガタガタガタガタっ!!


「は、はぁ〜君!?」


 騒がしい音に駆けつけた隼人の母だったが、床へ倒れ込んでいる息子を見て手で口を押さえ、絶句していた。


「は、は、はぁ〜君……はぁ〜君!!」


 落ち着きを取り戻し、大粒の涙を流しながら、倒れている隼人の身体をゆさゆさと揺らすが反応はない。


「きゅ、救急車っ、救急車……っ」


 震える手で数字を押そうとするも、だった3桁の番号が動揺と不安で正確に打てない。その後なんとか打ち、涙ながらに電話している。


(ああ……目覚めてもどうせ同じなんだ。もうこんな世界嫌だ……。誰かと変わって欲しい)


 隼人はそう思いながら、意識を失った。

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