渡辺正紀の場合
目が覚めたら、左頬が腫れていた。
「痛え……」
そっとさすりながら、からだを起こす。昨日は遅くまで飲んで帰ったら、気分が良くなってしまって、玄関先で大騒ぎをした。そのおかげで、妻にパンチを喰らったのだ。そう、そこまでは覚えている。だけど、そのあとだ。問題は——。
「なんなんだよ。ここ?」
目が覚めた場所は、明らかに自宅ではない。木造のロッジ作りの建物を見渡してから廊下に出る。小さい家と言うわけではないらしい。廊下に出てみると、扉が右と左に三つずつ並んでいる。目の前にある階段を降りていくと、カウンターらしきところに、男が数名いて、なにやら言い争いをしていた。
「オイオイ、なんの騒ぎなんだよ」
おれが声をかけると、男たちは今度はおれに向かって文句を言い出した。
「このバカ親父! 宿屋の店主は24時間カウンターにいるのが普通だろう? お前、なにしてんだよ」
「そうだ、そうだ。
「はあ?」
宿屋ってなんだよ。きょとんとしてから、ふと頭上を見上げると、その建物にはベッドのマークのついた看板がぶら下がっていた。はあ、ここは宿屋ね。いわゆる旅館。しかし、おれがここの店主だって? なんだか仕方がないので、おれはカウンターに立った。
「で? なに? 泊まりたいの? 男ばっかりで? 一人一部屋でいい? ああ、めんどくさいね。みんな一緒にしたら?」
「ふざけんなよ! おい」
「おれたちは別だ」
「そうだ」
騒いでいる男たちを数えると、四名。まあ上の部屋数が六室あるのだから、間に合わないことがないが……。ちょうどそこに、他のキャラクターたちとは一線を画するような、凝ったデザインの人間が四名が入ってきた。
「四人だ。親父」
ここがどこで、なんなんだかは、わからない癖に、この凝ったデザイン人間たちを優先させなくてはいけないことはよくわかる。
「はい、お前らどいた、どいた」
先客を排除して、おれは手続きをとる。
「部屋は一つね。四人で寝てください。だけど料金は四人分ね。ああ、そうそう。馬車に隠れている人たちはどうするの」
先頭にいた女性の勇者はすかさず答えた。
「あいつらも一緒だ。体力回復するのだろう」
「だな、じゃあ、あいつらの分も払って。ああ、でも部屋は一つね」
おれは鍵を取り出して、それを勇者に手渡した。すると勇者は、なんの疑問も持たずに、仲間をゾロゾロと引き連れて二階に上がって行った。あの人数で一部屋に泊まれって言って、そうするのか? 怪しい。ああ、そっか。だから宿屋の主人は朝になると「昨晩はお楽しみでしたね」的なコメントを発するのだな。
「ぱふぱふ、とかもあったよなあ」
そんなことを考えていると、目の前の男たちがまた怒り出した。
「おい、部屋空いてるだろう!」
「なんとかしろよ」
「あのなあ、宿屋ってーのは、勇者しか泊まれないことになってんの」
「部屋空いているだろう?」
「だって、他の部屋には誰もいた試しがないじゃないか。お前らゲームしたことないわけ? 常識知らない奴はこれだから困るんだよなぁ。ああ、そうそう、うちの新人もそうだけどさ。自分の主張だけは一丁前のくせに、大した仕事できないんだから。泣きべそかいたって、泊めないよ? いいの?」
息巻いて怒っていた男たちは、おれの言葉の意味を理解したのか、しないのか、急に大人しくなった。
「しかもさ。大丈夫だって。どこにいたって、勇者が寝れば、明日の朝になるからよ。お前ら金払わないで一晩越せるんだ。ありがたいことだろう?」
「た、たしかに」
「そうだな」
そんなことを話していると、不意に頭上の空気が歪んで、視界グニャグニャと変化し始めた。
「ほれみろ。しかし、気持ち悪いな。酔いそうだ……」
上から降りてきたグニャグニャは、見る見る間にあたりを変化させて行った。直視していると、本気で気分が悪くなりそうになったので、目を閉じて軽く深呼吸をしていると、朝を告げるBGMが鳴り響いた。時間的経過が行われたと言うことか。
目の前にいた、あのうるさい男たちは姿を消して、代わりに勇者御一行がそこにいた。おお、ここでおれのあの名台詞。
「ゆうべはお楽しみでしたね」
やった! これ、おれの存在意義打ち出すところ! おれは内心嬉しくなって、勇者たちを眺めていた。
渡辺正紀、宿屋の親父ライフが始まります!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます