誰も幸せになれない

「チッ。またお前かよ」

「ご、ごめんなさい……」


 そんな言い方、しなくてもいいだろ。僕は心の中で悪態をつきながらも、表面上は謝罪の言葉を並べる。僕の目の前の人は入社4年目の先輩だ。

 僕が、このブラック企業に勤めて早一年と半年。

 サ-ビス残業は当たり前。終わったと思ったら次の仕事が山のように積みあがる。

 新人研修? 何それ美味しいの? 君も今日から即戦力、というなかなかのブラックぶり。

 無能な上司程定時で上がってしまい。社員のフラストレーションが増加してしまい、若手が少しもいつかない。僕が務めるのはそんな会社だ。

 絶対に僕も、いつかこんな会社は辞めてやる!


「おい、聞いてんのかよ」

「は、はい。ごめんなさい」


 あーうっとしい。僕は知ってるんだぞ。お前、この間ミスして、取引先に謝罪に行ってただろ。そこそこの大きいミスだったから、他の上司も巻き込んでさ。

 そのせいで物理的に人が減って、僕の仕事も恐ろしく増えたんだぞ。

 コピーの部数がちょっと足りなかっただけで、なんでそこまで言われないといけないんだよ。

 無駄に長いお説教を聞き、やっと解放されたときには大分時間が過ぎていた。

 ああ、残業時間が延びた……。

 僕は誰にもばれないように、ため息をつくと、一分でも早く帰るために、自分の仕事にとりかかった。


 突然、会社内に電話の音が響く。

 事務員さんが電話に出た。


「はい。ああ、左様でございますか……」


 事務員さんの声が少しだけ沈んだような気がする。

「はい。かしこまりました。少々お待ちください」


 そう言うと、いったん電話を保留にした。そして、つかつかと、僕の方に歩いて来た。

 え、まさか僕に電話? 何だろう、もう時刻は夕方の十七時過ぎ。

 別にこの時間に何かあるわけではないが、なぜかこの電話からは厄介ごとの臭いしかしない。

 事務員さんはどんどん僕の方へと迫ってくる。一体何の電話なんだ。

 しかし、そんな僕の不安をよそに、事務員さんは僕の隣を素通りすると、僕に無駄な説教を垂れていた先輩の元へ、向かって行った。

 どうやら僕宛ての電話ではないらしい。

 僕は胸をなでおろした。

 やつは電話に出た。当たり前だが、会話の内容は聞きとれない。

 しかし、時折聞こえるやつの「申し訳ありません」の言葉にその内容が想像できる。

 またやつは何か失敗したらしい。

 やつは電話を切った。僕は心の中で、ざまあ見ろとほくそ笑む。やつは慌てたように外へと出かけた。

「ねえ。ちょっと」

「え、あ、はい、何ですか?」

 先ほど電話に出た事務員さんが、僕に話しかけてきた。

「このお仕事って君がお手伝いした分じゃないの?」

 そう言って、僕が見せられた資料。それは確かに僕がヘルプで行った案件だ。でもあれ、まさか……。

「さっきの電話ね。取引先からだけど、君のミスで問題が発生したみたいなの。でもこの案件のメインはアイツでしょ。君、大変ね」

 事務員は僕へ意味深に冷たく言い放つと、自分の席へと戻っていった。

 僕は、なんで……。でも……。そんな……。

 僕はなんだか園児のように泣きわめきたい気分になった。

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小話集 うさぎ君 @asitamo

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