聖戦/凶行

 夕飯を食べて、食器を返しに行った。湯を使って体をいた。口をそそいだ。寝間着の代わりに、革鎧を着こんだ。

 部屋を暗くして、ベッドの上で息を殺して、じっと天井を見る。壁も床も、天井まで石でできた部屋。初めて来た時、まるで牢屋みたいだと思った。たぶんそうなんだろう。神殿も、宮殿も。

「――鉱の神を討て」

 神殿を追い出された日に言われた言葉を、そっと繰り返す。人族が自由に掘り出すべき鉱石を奪う魔物は、神王様の御心にかなわない。よって滅ぼし、南隣の国の民を救うべきだ、と。神王様に誓ってもいい、それは絶対に本音じゃない。良くて因縁ある国の神を奪い、鉱石も手に入れたい。悪くすれば、何も考えていない。ただ、ざわりな神官を追い出す時のくだらない決まり事だ。自分たちはどうほうを追い出したわけじゃない、ただ試練を課しただけ。そう思いこむために無理な要求をした。

 いや、それは本当に無理なのか?

 神と呼ばれていても、鉱の神には形がある。壊すことは無理じゃない。実際鉱の神と並び称される海の朋友マーニ=ロ・ティモフォズ=ロ・イーハも一度は討たれた。長い時が過ぎれば復活することもあるみたいだけど、それは私の知ったことじゃない。

 そうだ。

 そんなことは、全部どうでもいい。

 私はただ、エルンを殺されたくないだけだ。賢くて、強くて、でも外の世界を知らないエルン。初めは怪物の手先だと思った。生意気だとも思った。でもそうじゃない。私は、あの子も暗闇に囚われているんだと思う。たとえあの子が犠牲じゃなく礎石そせきだと言っても。安い同情、私の身勝手、なんでもいい。なんならあの子に憎まれたっていい。エルンがどうかは知らないけれど、私はエルンが好きなんだろう。

 部屋のすみの壁に立てかけた「荷物」を背負う。腰の下から頭の上までの高さのそれは、もちろん荷物じゃない。

 部屋を出る。松明を一本借りて、宮殿を出る。暗闇に目を慣らしながら、谷底を歩いていく。入り組んだ谷の奥の洞窟から重圧が発されていた。「荷物」を背から下ろして、縦に積まれた箱を外す。箱はふたや底に穴が空いていて、その穴を貫通するように、私の武器が入っていた。総身が金属の巨大な戦棍バトルメイスだ。

「――神王様、どうか私にご加護を」

 戦棍を右手に、左手でペンダントを握って短く祈る。松明に火を点けて、洞窟を進んでいく。足音が響いて、響きが遠くなっていって、急に聞こえなくなった。何もかもに見られているような重い空気。

 洞窟の壁にしょくだいが並んでいた。宮殿の人々が使ってきたものだろう。松明を掲げて、次々と火を灯していく。炎の明かりが鉱の神を――山の神様を照らし出す。獣のような虫のような形をした岩塊の「目」が、おきのように赤く光った。

「私と戦いなよ、山の神様。戦いは命懸けなんだろ?」



 嵐みたいなものすごい音がして、割れそうなくらいに地面が揺れた。寝ていたボクは無理やり目を覚まされたけど、あんまり揺れがすごすぎて、しばらくはベッドから起き上がれなかった。揺れが収まると今度は頭がくらくらする。ちょっとした地震は神様のくしゃみだっていうけど、これは神様の何だろう?

 ようやく立てるようになったボクは、上着を羽織って、ランプに火を入れる。お姉さんが心配だ。ここまで大きいものは初めてだけど、宮殿のみんなは地震に慣れてる。でもお姉さんは違う。

「ああ、エルン。怪我はしていない?」

 早足で廊下を歩いてると、セジュおばさんがいた。ランプの赤っぽい光でも分かるくらい真っ青な顔をしてる。たぶんこの後みんなの無事を確かめに行くんだ。

「ボクは大丈夫だよ。お姉さんの様子を見たら、部屋に戻るから」

「そう、でも気をつけてね。また揺れるかもしれないわ」

「分かった。お母さんも気をつけて」

 おばさんと別れて、お姉さんの部屋に向かう。ドアを軽く叩いてから手をかけた。良かった。地震でゆがんだりはしてなさそうだ。ドアを開けながら声をかける。

「お姉さん、大丈夫? すごい地震――」

 最後までは言えなかった。真っ暗な部屋に、お姉さんはいない。

 たまたま他の部屋に行ってるのかな。そう思って、慌てて部屋を出ようとして、危ないところで気づいた。

 お姉さんの、あの大きい荷物も無くなってる。

 また宮殿を出て、旅に出ちゃったのかな。でもそれならボクやセジュおばさんに挨拶くらいしていくと思う。いくら部屋を探しても、置き手紙だって見つからない。お皿もないから、晩ごはんはちゃんと食べたんだと思う。その前は――。

 お姉さんは、神様の話をしてた。

 ランプを高く上げると、壁の模様が見える。赤く塗った上から、白い線で山みたいな形が描かれてる。山には短い脚と頭と太い尻尾があって、それが山の神様の見た目なんだって。こっちの国の人なら絶対に知ってることを、お姉さんはぜんぜん知らなかった。よく分からないこともたくさん言ってた。

 ランプを下ろす。前髪が顔にかかるのをどけようと手を上げて、でもどけるものがなかった。そうだ、お姉さんが髪留めをくれたんだ。お姉さんは優しい。怪我を治してくれたり、ボクが一人でしてた特訓を一緒にやってくれたりもした。

「お姉さん、ねえ、どこ行っちゃったの?」

 ボクはどうしてもお姉さんの様子が見たかった。あの面倒くさそうな声で、へらっと笑って、心配しすぎだって言ってほしかった。本当はいけないことだけど――ボクはこっそり、宮殿の外に出る。

 空は星が綺麗で、谷の奥に続く道がぼうっと、光って見えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る