犠牲/礎石

 考え事がしたくて、何を考えて良いかも分からなくて、今は運ぶ荷物も無いから、私は宮殿の周りをあてもなく歩いていた。秋の夕暮れは短い。今はあたりが赤く照らされていても、すぐに暗くなるだろう。私は空を見上げる。今夜は、星も綺麗だろう。

 宮殿から離れた方、高台に向かって、何度も人が歩いた跡が残っていた。顔を上げてその先を辿たどる。燃えるように赤い光に照らされて、高台が光っているように見えた。なんとなく、そちらへ向かう。

「あら、ティーダさん」

 セジュさんが振り返ってこっちを向いた。改めて見ると、歳は三十過ぎくらいか。エルンが「おばさん」と呼ぶには少し若い気もする。

「最近はどうかしら? 何か困ったことはある?」

「いいえ、特には」

「そう、良かったわ。あなたはお仕事を手伝ってもくれるし、エルンもずいぶんあなたが好きみたいだし、あなたさえ良ければ長くいてほしいと思っているの」

「はあ」

 セジュさんの言うことは、意外だった。エルンが私を好きだなんて。ただ一度は世話をしたから様子を見に来るだけで、よく分からないことを言う人だとでも思われていると思っていた。

「あの、それは何ですか?」

 今度は私がセジュさんに訊く。松明たいまつを持ったセジュさんの後ろには、石でできたほこらのような物があった。祠の両脇には火を灯すところがあって、たぶんそこに火を点けたのがセジュさんなんだ。

 セジュさんは祠に向かう。高台から見える岩ばかりの山と谷が、夕陽に赤く染まっている。このどこかに、鉱の神がいる。

「これはお墓よ。そちらのようにお祈りをすることはないけれど、私たちも、死んだ同胞に想いをせることはあるの。ここは夕陽が綺麗で、素敵な場所でしょう? 確かに秋の夜は冷えるけれど、火を灯せば温かいし、神様のご加護もある」

 セジュさんが言葉を切る。西の山に陽が沈んで、宵の風が吹く。

「皆のために鉱石を求めて、神様と戦って死んでしまった人たちだもの。きちんととむらってあげなくては、ね」

 ――冷えたのは、体だけじゃなかった。

「そう、ですね」

 考えてみたら、当然だ。神と呼ばれていても魔物は魔物。戦えば死人くらい出るに決まっている。どうしてそんな簡単なことが分からなかったのだろう。たぶん、エルンがあまりに、戦いに憧れていたからだ。

「彼らのために、祈ってはいけませんか?」

 私が尋ねると、セジュさんは寂しそうに微笑んだ。

「構わないわ。人をいたむ気持ちに、神様は関係ないもの」

 左手でペンダントを握り、祠に右手をかざして祈る。神王様に、彼らの魂の安らぎを。――そして、私がここに来た意味を問う。



「お姉さん、晩ごはんだよ……って」

 ボクはなんて言っていいか分からなかった。お姉さんは机に向かってじっとしてる。背中しか見えないけど、なんだか怖い。こんなことは初めてだ。とにかく、晩ごはんを渡しちゃおう。

 晩ごはんのメニューはいつもどおりだ。丸芋のパンと、干し魚と豆のスープ。どっちもほかほかの料理を、テーブルに並べる。

「じゃあ、ボクはこれで」

「ちょっと待った。エルン、ちょっと付き合ってくれないかい?」

 お姉さんは顔を上げる。いつもみたいにへらっと笑ってるけど、なんだか「ちょっと」じゃ済まなそうだ。

「どうしたの?」

「この間、故郷でよく食べていた果物を見つけてね。たくさん買ったのがそろそろ悪くなりそうだから、一緒に食べてほしいんだ」

 もしかして、食べ物で釣る気なのかな? それとも怖い気がしたのは気のせい? よく、分からない。

「いいよ」

「ありがとう、助かるよ」

 お姉さんがにっこり笑った。……初めて見る顔だ。ボクは何か言った方がいいんだろうか。考えている間に、お姉さんは果物とナイフを出してきた。真っ赤な皮をむいて、真っ赤な中身を四つに割る。

紅玉果マラカっていうんだ。甘くて、さくさくして美味しいよ」

 一切れもらった、知らない果物を食べてみる。お姉さんのいうとおり、甘くて、さくさくして、でも水気があっていい香りもする。そろそろ悪くなりそうには、思えない。

「お姉さん。ボクに果物をくれて、終わりなの?」

 ボクは思い切って訊いてみることにした。もう一切れくれようとしてたお姉さんは黙っちゃって、そして少し経って、低い声で答える。

「今日セジュさんに、山の神様と戦って死ぬ人がいるって聞いたんだ」

「みんなが死んじゃうわけじゃないよ」

「でも、死ぬ人もいる」

「でも生きて帰ってくる人の方がずっと多いよ」

 声はどっちも、だんだん高く、熱くなって。

「エルン。あんたはそれでも、神様と戦いたいのか?」

 ボクは、どう答えればいいんだろう。本当は怖いから戦いたくない? 絶対に生きて帰るから大丈夫? それとも……いや、ボクはお姉さんに嘘を吐きたくない。本当のことを、分かってほしい。

「戦いたいよ。お父さんもお母さんもいないボクを育ててくれたみんなに、お返しがしたいんだ。そのためには、鉱石を取ってくるしかない。神様との戦いは、命懸けじゃなきゃいけない」

「そうか。鉱石を取ってこれたら、みんな喜ぶだろうね」

 これで、良かったのかな。お姉さんは静かにそれだけを言った。

「おやすみ、エルン」

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