因習/煩瑣
嘘だ。私は細工物を売ったりなんかしていない。ただ、エルンが興味を持たなさそうな物を答えただけだ。セジュさんに言って町に降りたのも、
それなのに私は、なんでこんな物を買ったんだろう?
宮殿に戻って、何も変わっていない荷物を置いて、ベッドの上で私は、銀色の細工の髪留めを見つめていた。束ねた花の形をしていて、黄色い石がついている。細工は詳しくないけれど、良い物だと思う。
「おかえり、お姉さん」
エルンがいつものようにノックしないで入ってくる。もちろん髪飾りを隠す暇なんかない。ばっちり、見られた。
「あっ、それが売り物なの?」
思ったとおり、エルンはあまり興味なさそうに訊いてくる。
「違うよ。これはあんたにやろうと思ったんだ」
それでも、気づいた時には、私はそう言ってしまった。
「え……でもボク、それどうやって使っていいか分からないよ?」
「着けてやるから、頭を貸しな」
エルンは素直に体を寄せてくる。よく動く子供の体は熱いくらいで、焦げ茶の髪は性格とは違って、さらさらしてまっすぐだ。私は雑に切り揃えられた前髪をすくって、髪留めを着けてやった。
「これ、いいね」
エルンが信じられないことを言う。でも、本当に嬉しそうだ。
「だって、動いても前髪が邪魔にならないでしょ?」
私は思わず、頭を抱える。ちょっと期待した自分が間違っていた。そう、エルンがそういうことに興味を持つとは思えない。この子はたぶん、外の人族の暮らしを知らない――。
「そういや、エルン」
「なあに?」
そういう人族は、神殿にもたまにいた。彼らは、身寄りのない幼子として引き取られ、神殿の中だけで育ってきていた。
私は思い出す。いつだったかエルンはセジュさんを「おばさん」と言いかけて、「お母さん」と言いなおした。そのセジュさんも、自分のことを「エルンの母親代わり」と言っていた。
「あんた、いつからこの宮殿に住んでいるんだ?」
エルンは、どこか泣きそうな顔で笑う。初めて見る顔だ。
「分かんない。……たぶん、お姉さんが考えたとおりだと思う。ボクはすごく小さい頃に、本当のお父さんとお母さんが死んじゃったんだ。だからそれから、ずっとここにいる」
賢い子だな、と思う。私が何のつもりで質問をしたのか、分かってしまったみたいだ。
「お姉さんと一緒だよ。お金がなくて、家族をなくした」
そんな子が――この宮殿の中で、外を知らずに生きている。
お姉さんが宮殿にいるのにも慣れた、ある日の朝。ボクが部屋に行くと、お姉さんは部屋の隅っこでうずくまってた。
「ねえ、お姉さん、大丈夫?」
具合が悪いのかなと思って、駆け寄って、顔を
「大丈夫だよ、エルン。神王様にお祈りしていただけだ」
いきなり、薄茶色の目がボクを見る。びっくりしてお姉さんから離れた。お祈りはよく分からないけど、よく見るとやっぱり辛そうだ。
「お祈りって、何?」
「そこからか」
ボクは心配して訊いたのに、お姉さんはへらへら笑っちゃった。
「この間あんたの怪我を治したのもお祈りだよ。怪我を治してほしい時、力を貸してほしい時、土地の実りを願う時……あとは迷っている時や感謝する時なんかに、こうやって、神王様を思い浮かべるんだ」
お姉さんは目を閉じて、ペンダントを軽く握る。
「神官は、よくお祈りをするの?」
「ああ、何をする時にもお祈りするくらいだよ。ここの人らが鍛治や訓練をするのと同じくらいか、それよりもずっとやってる」
「でも、お姉さんがしてるのは初めて見たよ」
「そりゃあ、くだらないからさ」
びっくりした。お姉さんの言葉は、
「くだらないの?」
「ああ。朝、目が覚めたこと、花が咲いていたこと、人とただ話せたこと、ありがたいなんて思っていないことも感謝する。本気で悩んでいないことも相談する。そうじゃなきゃ、神殿にはいられない」
「神殿にも、いられなくなったの」
それは、変だ。だってお姉さんの奇跡はすごい。それに、奇跡が必要な人を見分けることも得意だ。なのに。
なのにお姉さんは、馬鹿にするみたいに笑う。
「ああ、そうさ。神王様の教えじゃ『自分の力で生きろ』ってなってる、でも神殿はそうじゃない。いくらすごい奇跡を使えるようになっても、いくらたくさんの人族を救っても、それどころかいくら山程の金を神殿に集めたってどうでもいい。あそこじゃ、くだらない決まりをいくつ守れるかが全部だった。まるで人形だ。
私は追い出されたんだ。決まりだけ守る奴らにとっちゃ、私は目障りだったんだろう。ありもしない悪事をでっち上げられた」
全力で走るみたいに話しつづけて、倒れこむみたいに黙る。
「山の神様は強い人が好きだし、宮殿の人も強い人が好きだよ」
「知ってるよ」
ふう、とお姉さんは苦しそうに息を吐いた。
「お姉さんのところは、大変だね」
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