他律/自負

「お姉さん、晩ごはんだよ」

 やっぱりノックをしないで入ってきたエルンは、両手でトレーを支えながら足でドアを開けていた。行儀が悪いな、とちょっと思ったけれど、今は考え事でそれどころじゃない。

「あ、ボクはもう食べたから。なんか変わった味だったなあ」

 トレーには丸いパンと、干し肉と野菜のスープが乗っている。故郷では見慣れた献立だ。肉だけは独特の匂いがするから、家畜ではなく狩ったものだろう。それでも間違いなくこの国の料理じゃない。隊商が来ているそうだから、たまたま手に入ったのか、それとも――。

 セジュさんのあの笑顔を思い出す。私の国とこの国は昔から領土争いをしていた。最後は魔物だか魔術師だかが国境の森を霧に沈めたせいでうやむやになったけれど、五十年前には殺し合いをしていたんだ。

 それなのに。

「ねえ、お姉さんって北の国の神官さんなんだよね」

 ベッドに座ってこっちを見ながら、エルンが訊いてきた。

「それが何か?」

「神様がいるところから遠くに離れるのって、怖くなかったの?」

 言っていることが分からない。黙っていると、エルンは足をぶらぶらさせてにやりと笑う。

「ボクだったら、この山からあんまり離れるのは嫌だけど」

 ようやく分かった。エルンの神様――鉱の神は、この山の魔物が信仰を集めたものだそうだ。だから「いる場所」がある。エルンは神王様も同じだと思ったんだろう。

「神王様は空の上にいるから、どこにいても遠くはならない」

「空を飛べるってこと? どこの空を飛んでるの?」

「そうじゃない。神王様はもう五百年は前の、今ではロギエラとフェデリームに分かれた国の建国王だ」

 エルンが、信じられないものを見たみたいなものすごい顔をする。

「えっ……それって、死んじゃった人を信仰してるの?」

「あのお方はもう人族じゃない。人族としてお隠れになった後、その魂が民の信仰の力で神になられたんだ」

「幽霊ってこと? でも幽霊だったら、山の神様みたいに鉱石をくれたりできないでしょ? どうしてそんな神様を信仰するの?」

 私は自分の胸のあたりを触る。王都の神殿でだけ使われている、神王様のシンボルを象ったペンダントがそこにある。

「エルンの言うとおり、神王様が物をくれることはない。だけど神王様は私たちの祈りに答えて奇跡を起こしてくれるんだ。傷を癒したり、力を強くしたり、土地を豊かにしたり」

「ふうん。でもそれって魔法みたいに、使う人の力じゃない?」

 エルンはどうしても分かってくれないみたいだ。この子にとって、信仰は神様に何かしてもらうためのものでしかないんだろう。自分の力で生きろという神王様の教えとは真逆だな。



 結局その日は、お姉さんの神様が何だかはよく分からないまま寝る時間が来た。次の朝に部屋に行くと、今度はお姉さんがいない。あちこちで居場所を訊きながら、ボクは宮殿の裏まで走った。

「本当に、そこまでしてくれなくてもいいのよ」

「泊めてもらったお礼ですから」

 セジュおばさんとお姉さんの話し声がする。どうしようかなと思ってたら、お姉さんがこっちに来た。鉱石をいっぱいに入れた木の箱を抱えてて、たぶんボクのことは見えてない。

「おはよう、お姉さん」

 挨拶すると、ようやくこっちを向いてくれる。

「ああ、エルンか。おはよう。ずいぶんご機嫌斜めだね」

 お姉さんの顔はほんの少し赤かった。たぶんボクが来るより前から鉱石を運んでるんだ。こっちを向いたせいでバランスを崩して抱えなおすのも、なんだか慣れて見える。

「だって、朝行ったら部屋にいないんだもん!」

「悪かったよ」

「いいけど」

 下を向いて、黙ってお姉さんについていく。行き先は聞かなくても分かる。貯めた鉱石は、毎日少しずつ鍛冶場でかすんだ。

「昨日の続きだけどさ。今日はエルンの神様のことが聞きたい」

 お姉さんを見上げると、じっと鉱石を見てた。

「あそこに積んである鉱石は全部、山の神様と戦って授かったものなんだってね。ここでは人族が鉱石を掘ることはないのか?」

「そんなの、あるわけないよ」

 ボクはびっくりした。お姉さんがとんでもないことを言うからだ。

「どうして?」

 お姉さんは大真面目だ。本当に、何も分かってないみたい。

「どうしてって、神様じゃない人が鉱石を掘るのは無理だもん。それでボクたちはずっとこうやってきたんだよ?」

 いきなり、お姉さんが立ち止まる。鉱石ががちゃんと鳴る。

「それは、神様に頼って生きていることにならないか? 五百年前、神王様が人族の国を作る前に、人族が魔族の王と魔術師たちに頼りきりで生きていたみたいに」

「なんで頼っちゃダメなの? 自分たちで鉱石を掘って、何人も怪我して、土や水を汚すより、神様に掘ってもらった方がいいでしょ?」

 そう言うと、お姉さんはボクから目を逸らした。かごを担ぎなおして、また歩きはじめる。そのリズムに合わせて、がちゃがちゃと音がする。

「そうかもしれないね」

 やっぱり、まだお姉さんは分かってない。

「ねえ、お姉さん」

「今はここまでにしよう。他の人に聞かれてしまうよ」

 ぴしゃりと言われて気がつくと、鍛冶場はすぐそこだった。

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