ネフルカの暗闇

白沢悠

旅人/宮殿

 むっとする熱気が流れてきた気がして、目が覚める。起きると石の壁が目についた。大きく切り出された石が贅沢に使われている。なのに木でできた家具はお粗末な作りだ。ここでは石より木材の方が貴重だからだろうけれど、なんだか牢屋みたいだ。

 すると、いきなり部屋のドアが開いた。思わずそっちを見ると、十二、三歳の女の子がいる。この国に多い焦げ茶色の髪を雑に結んでいる。

「あれ、起きてたんだ」

 ノックもしないで入ってきたその子はへらへらと笑って言った。

「ねえ、おばさん、名前はなんていうの?」

「ティーダ」

 つい正直に答えてしまった。女の子が口をとがらせる。

「変なの。女の人は『おばさん』って呼んだら怒ると思ってたよ」

「別にどう呼ばれようが気にしないよ」

 私は二十六だ。こんな人生じゃなけりゃ娘がいたっておかしくはない。そう思ってみてから、何かおかしいぞ、と気づく。

「ちょっと待て。あんた、私を怒らせるつもりだったのか?」

「うん」

 子供はにやにや笑いながら、当然のようにうなずいた。

「そうかい。なら次からはもうちょっと上手いこと言いな」

「あれ、怒らないんだ」

「そんなことでいちいち怒っていたら面倒じゃないか」

 それに、たぶん恩があるんだろうし。ぼんやりかすんだ頭でそう考える。町の手前の関所をどうくぐり抜けようかと考えていたのが覚えている最後のことで、次に知らない部屋で目を覚ましたなんていったら、その間に倒れて拾ってもらった以外にないだろう。

「で、あんたの名前は?」

「あんたって。行き倒れてた人が恩人にそんな口聞いていいの?」

 子供が頬を膨らませる。さっきから失礼なことばかり言っているのによく言う。だいたい、恩があるのはこの子にだけじゃないはずだ。私とあの荷物を運ぶのは女の子一人じゃ無理――。

 はっと気づいて、さりげなく部屋を見渡す。部屋の隅に、がっちりと背負子しょいこくくりつけられた背の高い荷物を見つけてほっとした。開けられてはいないみたいだ。

「あんた以外には丁寧に喋るよ。で?」

「ふーん、まあいいけど。ボクはエルンだよ。ねえ、お姉さんはなんで町の外で行き倒れてたの?」

 エルンは楽しそうに訊いてきた。痛いところを突いているつもりなんだろうか。面倒だから、適当に作り話でもしておこう。

「疲れきったところに町が見えたもんだから、気がゆるんだんだろうさ。でかい荷物を背負って慣れない山道を歩き詰めだったからね」



 お姉さんはへらっと笑う。薄い金色の髪の毛と、やっぱり薄い茶色の目は、たぶん北の国の人だからかな。だったら山道に慣れてないのも分かる。ひょっとしたら、ここのことも知らないかも。

「ところでさ、お姉さん。ここどこか分かる?」

 石の壁に描かれた模様を指しながら聞いてみる。この国の人なら絶対知ってるはずの模様だけど、お姉さんは顔をしかめた。

「どこって、町の宿か何かじゃ」

「残念でした。今は隊商の人たちが来てるから、宿はいっぱいだったんだよ。で、ここは山の神様の宮殿。聞いたことくらいあるでしょ?」

 お姉さんがぴくっと動いて、ようやくこっちを見る。

「山の神様っていうのは鉱の神ギム=ロ・デュンガのことか」

 顔は怒ってないけど、少しだけ早口で、少しだけ声が低い。

「宮殿の外の人はそう呼ぶねえ」

 ボクは部屋のドアを開ける。ここがどこかは、見た方が分かる。

「ついて来てよ、せっかくだから案内してあげる」

 壁の火を辿って暗い石の廊下を歩いて、急な階段を降りてまた歩くと、鍛冶場に着いた。金属を叩く大きな音、熱い空気。たくさんの人たちが炉の赤い炎に照らされながら動き回ってる。こういうのもいいけど、ボクは戦う方が好きかなあ。ふと後ろを向くと、お姉さんは見てるんだかいないんだか、とにかく黙ってついて来てた。

「知ってるかどうか知らないけど。山の神様は、昔々の英雄様と戦って、その強さを認めて、鉱石をくれたんだよ。それで昔の人はその鉱石から武器を作ってもっと強くなったの。だから今のボクたちも、強い武器を作ったり訓練したりして強くなるんだ」

 喋りながら鍛冶場の横を過ぎて、また廊下を歩いて、次は中庭に出る。今はボクより年長の子の訓練の時間だ。刃のないものの武器で、そろって素振りをしてる。

「あら、エルン。旅人さんは目を覚ましたの?」

 いきなり、後ろで声がした。セジュおばさんだ。

「はい、おかげさまで良くなりました。私はティーダ・ネフルカ、旅人です。昨日はありがとうございました」

 ボクが答える前に、お姉さんが頭を下げる。おばさんの目がぴかっと光った。あーあ。また始まっちゃうな、おばさんの長話。

「まあ、ご丁寧に。私はセジュ・ドロトスです。エルンの母親代わりと、ここのお世話役のようなことをしています。ところでティーダさん、何か足りないものはないかしら?」

「いえ、特には」

 少し引いてるお姉さんに、おばさんは身を乗り出してにっこり笑う。

「それは良かった。せっかくロギエラから神官さんがいらしたんですもの、国同士では無理でも、人同士でくらい良い関係でいたいわ」

 お姉さんがはっとして胸元を探った。やっぱり北の国の人なんだ。神官っていうのは、ボクたちみたいな人なのかな?

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