キュートな日


~ 九月十七日(木) キュートな日 ~

  出席番号26番 舞浜


「……秋乃」

「ん? 何か言ったか?」


 ※荒唐無稽こうとうむけい

  根拠とか拠り所とかがない、絵空事。




 二時間目が自習になったと聞くや否や。

 監視役の先生を無視して。

 慌てて作業を開始した俺達。


 それもそのはず。

 もう、目の前に迫った日曜日には。

 二時間もの舞台を演じなきゃいけねえってのに。


 仕事は山積。

 しかも、司令塔がちゃんと機能していないせいで。


「扇子十個! できたぞ!」

「扇子はいらなくなったって言ったじゃない!」

「湖のシーン書けたから、だれか確認して……」

「そこはさっき違うやつがシナリオ上げてたぞ?」


 作業の無駄が大量に発生して。

 効率が悪いこと悪いこと。


「保坂! あんたがちゃんと監督してないからこうなるんでしょ!?」

「待ってくれよ委員長。今はセリフ覚えるのに精一杯……」

「だらしないわね。王子くんも甲斐君もあっという間に覚えて、もう他の作業手伝ってるのに」


 これでも俺は。

 記憶力には自信がある。


 最初に渡された台本だって。

 あっという間に覚えて。

 学校帰りにはそらんじていたほどだ。


 ……だが。


「ああ、王子様。どのようにここを渡りましょう」

「ご安心ください、姫。湖に浮かぶ月の船を手繰り寄せ……」

「それ、前の台本……、よ?」


 あれ?


「大きな葉を浮かべて、風に乗れば城まで一直線!」

「それは、も一つ前……」

「あれれ? こ、この池の水を、全部抜いてしまえば……!」

「それは、春姫が好きなテレビ番組……」


 記憶力が邪魔をして。

 今まで覚えたもんが全部だぶって。


 頭の中で。

 最新の台本がどれだか分からなくなっちまってる。


 五回も上書きして覚えたんだ。

 こうなって当然だろう。


 ひとまず台本を見ながら。

 読み合わせを続けるとしようか。


「このウナギさえあれば、城までひとっ飛び!」

「……え? こっちの台本と違う……」

「まじか。どっちが最新だ?」


 台本をひっくり返してみたものの。

 版数は、まったく同じ数字が書いてある。


「もう、ぐっちゃぐちゃだな……」

「わ、私。不安通り越して、もうどうでもいいやって思い始めてる……」


 連日、不安そうにしていたのに。

 今日になったらすっかり笑顔を取り戻したこいつは。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 なるほど。


「考えること、やめたんだな」

「うん。凄く気楽になった」


 それはさぞ幸せだろうな。


 ……でも。

 そいつを声に出したのはまずかったな。


 秋乃のアイデアを耳にして。

 真似したやつが現れて。


 教室中が。

 あっという間に大パニック。


「む無理です! かくなる上は、全編エチュード! そしてお芝居には全員が参加します!」


「「「はあああああああ!?」」」


 ペンを放りだして、天を仰いだ細井君に。

 寄ってたかって文句を言い出すクラスの面々。


 でも。

 彼の意見を後押しするメンバーもかなりいるんだよな。


「……それでいこう」

「甲斐君!?」

「俺も賛成だ。まるで稽古できてねえし、これから仕上がる台本覚えきれる自信がねえ」

「立哉まで……!」

「そうだな、完璧に仕上げるにはすべてが足りない。ここは奇跡に期待しよう」

「姫くんまで!?」


 けん引役を、一手に引き受けて来た姫くんと。

 主役二人が肯定したとしても。


 それでも文句を言うやつは。

 かなりいるんだろうと思っていたんだが……。


「いいね、面白そう!」

「さんざんエチュードで鍛えて来たからな! 暴れてやるぜ!」

「あたし、王子くんに守られたい!」

「あたしは、王子くんに切られたい!」

「「「きゃーーーーーーー!!!」」」


 見渡せば。

 数名を除いて、みんな大盛り上がり。


 ほんとにさ。

 何なんだよこのクラス。


「即興って言っても、大まかなストーリーを全員で組み立てることになる。何分までには、決まった結果でシーンを締めるって感じだ。全員でそこを目指しながら物語を作っていくんだ」

「なるほど……」

「だから、細井! みんなで手を貸すから、せめて面白いコマ割りを考えるぞ!」

「は、はい……! 助かりました最上君! 僕は、新しい恋に目覚めてしまいそうです!」

「きもちわるい」


 姫くんに頭を殴られてる細井君と、シナリオチームはこれで方針が固まった。


 それなら、次に考えなきゃいけねえのは……。


「みいにゃん! 今からお店に連絡しといて! 当日、ありったけの衣装持って来るわよ!」

「ひにゃあ! む、無理だよ……!」

「無理じゃない! ハリーハリー!」


 さすが委員長。

 そういうことだ。


 だったら次は。


「ってわけだ。俺も手を貸すから、人数分の小道具、気合い入れて作るぞ」

「あたしも手伝っちゃうよん!」


 ……こっちは甲斐ときけ子に取られたか。

 だったら……。


「このラスボスの間で書き割りは最後にしよう。後は遠し稽古を何本もやって、物語を確定させてくぞ」

「あっは! ドタバタ劇にしかならなそうだよ? 姫りんご!」

「誰がヒメリンゴだ!」



 ……おお。

 俺の出る幕。

 どこにもねえ。



 せっかく役に立てると思った所で肩透かし食らって。

 呆然とみんなの姿を眺めてた俺の裾を引く秋乃。


 こいつは、姫くんと王子くんを見つめながら。


「や、やっぱり、仲良し……、ね?」

「またその話か」


 どうにか二人をくっ付けたいと。

 昨日からずっと言い続ける話を。

 またも口にした。


「即興劇だからこそ経験者が引っ張って行かなきゃならん。お前が頼りだからな」

「あっは! 任せてもらおうか!」


 自然に王子くんの肩に手を置く姫くんと。

 嬉しそうに笑う王子くん。


 確かにお似合いの二人だけど。

 お互いの気持ちもあるし。


 それに……。


「王子くんファンが黙ってねえだろ」

「でも、あのね? ファンの皆も、結構、その気になってる」


 へえ。

 そりゃ驚いた。


「だって、文化祭って。恋のボーナスチャンスだから……、ね?」

「この忙しいのに、よく恋とか考えられるな、女子は」


 思わずつぶやいた言葉に。

 秋乃は、急に余所行きの表情を浮かべて。


 王子くんを見つめながら。

 小さな声で語りだす。




 女子にとって、恋愛は人生そのもの。

 呼吸とか、食事とかと一緒。


 だから。


 芝居の準備で忙しくったって。

 部活の出し物と両立してたって。



 恋のことは。

 いつだって考えてる。




「…………恋、か」


 もちろん、興味がねえって言ったらうそになる。


 でも、まだピンと来てねえし。

 今は目の前のドタバタと。

 将来の受験の事で精一杯。


 そのうちどっちかに余裕が出来たら。

 俺も、恋をすることになるんだろうか。



 ……その時の。

 相手って、一体……。



 荒唐無稽こうとうむけいだったものが。

 こうして現実に、目の前にある。


 甲斐ときけ子。

 そしてひょっとしたら。

 姫くんと王子くん。


「……恋って、いいよね……」

「え? お前、誰か好きな奴が!?」

「そ、そんな余裕ない……」


 いつものようにわたわたと手を振った秋乃は。

 何を思ったか、教壇に立つと。


 急に方針が決まってやる気を取り戻したみんなに訴えかけた。


「み、みんな……」


 秋乃の声は小さくて。

 こっちを向いた人は数人だけだったんだが。


「私……、これが高校生になって、初めての文化祭なの」

「「「全員そうだ!!!」」」


 ばっちりな掴みのせいで。

 あっという間に爆笑をかっさらうと。


「だ、だからね? 絶対成功させよう……、ね?」


 さぞ恥ずかしかったことだろう。

 それが容易に分かる、震えた声に。


 みんなから、一斉に。

 おうと掛け声が上がった。



 ――役者は、人は。


 いつだって。

 どんな役も演じることができる。


 だから、俺は。

 たくさんの友達を引っ張って歩くような役者を目指していたんだが。



 そういう役は。

 決まって。


 華があって、人気があって。

 そして、ちょっぴりの勇気があるやつが。


 こうしてかっさらっちまう。




 そんな、人生の花形役者は。

 みんなが落ち着いたところを見計らって。


「あの、ね? 文化祭って、恋のチャンスなんだって。……だから私、みんなの恋の、お手伝いしたい……、な」


 妙なことを口走ると。

 とたんに騒ぎ出したクラスの皆。


 しまいには、自分はどうなんだとか言われて。

 わたわたしてやがるが。


 俺に助け求めるなよ。

 ……まあ、手ぇあいてるから助けてやるけど


「そうだな。お前、文化祭のドタバタ中に恋人ができるって感じには見えねえな」

「そう? な、なんかお祭り騒ぎの中で、っていうキュートなの、憧れる……」


 キュートねえ。


「どんなシチュエーションよ」

「パンを咥えて……」

「キュートか?」

「キュート」

「お前ならフランスパン一本齧って走りそうだが」

「あ、あれ、おいしい……」

「否定しろよ」

「それで、遅刻しちゃう遅刻しちゃうって」

「フランスパン横に咥えるから乗れねえんだ、電車」

「角を曲がったら人にぶつかって」

「だからって縦に咥えて前が見えねえからそうなる」

「転んで、イチゴパンツが……」

「こってこてだな」

「…………保坂君、大変」

「なにが」

「サクランボしか持ってない」

「うははははは! いらん個人情報ばらまくな!」


 気づけば巻き込まれていた夫婦漫才に。

 みんなして腹抱えて笑いだす。


「おもしれえなあ舞浜ちゃんは!」

「それで台本ねえとか!」

「今の、舞台でやったら?」

「幕が開く前の前座とか……?」


 いかん、秋乃がその気になってやがる。

 こんなの舞台でやりたくねえ。


「ほれ、遊んでねえでとっとと練習するぞ」

「前座の練習……!」

「しねえよ!? 何する気だよ!」

「早口言葉」

「お前から一番無縁そうなの来たな」

「と、隣の柿がね? あ、失敗」

「怖え言い間違いすんな! 食ってるよ客!」

「ぼ、坊主がジョーズを……」

「寺の池! コイが全部食われる!」

「庭に、ワニ」

「まさかのジョーズVSワニ!?」

「…………さらに柿も参戦」

「やっぱ人食い柿だったか!」


 面白いけど作業にならんと叱られながら。

 廊下に追い出された俺と秋乃。


 こんな形で廊下に立つのも久しぶりだが。


「……ちゃんと参加しねえと」

「じゃあ、許可局長も参戦」

「うはははははははははははは!!!」


 前座。

 逃げられねえ気がして来た。

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